bemod

2009年09月13日

皆殺し文芸批評

柄谷行人、福田和也、東浩紀 他/1998年/四谷ラウンド/四六

皆殺し文芸批評今から11年前に出された座談会本。昨年の 早稲田文学10時間シンポジウム の面子とほとんど変わっていないことに驚いた。こういう状況を見ると、東チルドレンやゼロアカ、宇野常寛氏が総動員される深刻さというものが、僕の予想していた以上に大きかったことにもまた驚かされた。

この本には、5つの座談会がまとめられており、その最終章の座談会に『存在論的、郵便的』を上梓する前の東氏が参加している。今の姿からは想像もつかないような外見の話はさておき、彼の語っている内容が他の論者と比べてやや浮いている感じがしたのは、無遠慮にアニメや漫画の話を持ってきていたせいだろうか。彼が批評として扱う領域への視野というものは、当時からあまり変わってないようだ。ただ、コミケやオタクに対する考え方は、今とは少し異なっているように思えた。例えば、保坂和志『季節の記憶』の中に登場する哲学的で思わせぶりなネタを受容している層に対して、福田氏が大人な意見を述べる一方で、東氏はコミケ的なものを含めた形で直線的な批判を加えている。

(福田)ニューアカ的なクローズドサークルで知的な目配せがあって、「俺たちわかってるよね」って言って楽しくて、それを消費する読者層って言うのは一定量いるでしょう。
( 東 )アニメおたくの同人誌とかそういうことを延々とやってるとか。けれどもそれはただそれだけということですよね。つまり保坂和志はコミケで本を売っていればよいというだけの話でしょう。そんな開き直りを僕は知的に評価する気にならない。

この頃の東氏のモチベーション(伊藤剛氏との対談「オタクから遠く離れて」などもそうかな)が『動物化するポストモダン』に結実するのはいいとして、そこから彼が予想もつかない方向へ舵を切ったことが、僕が東氏に興味を持った最初だったと思う。

東氏はその後、美少女ゲーム論で同人誌界を賑わせたかと思うと、2004年にはフリーペーパーで「 2004年で祭りは終わった 」と宣言(このペーパーの中で『情報自由論』の出版中止も宣言しているのが興味深い)し、『 ゲーム的リアリズム 』で一連の流れを総括した後、再びゼロアカや思想地図で新たな祭りを起こしている。

こうした彼の活動が、ライトノベルや美少女ゲームなどのサブカルチャー系作品群を批評の領域に取り込むことにより、批評そのものの拡大を目指していることは明らかである。そして、そのように好意的に見れば、彼の挑戦を評価する人が出てきても不思議ではないだろう。その一方で、彼がこの手のサブカルチャーに擦り寄れば擦り寄るほど、外の人間から見れば、その視野が逆にどんどん狭くなっていっているように見えるところもまた興味深い。

少しだけ残念なのは、彼の批評の中心にあるべき想像力が、この本が出た頃に共有されていた想像力からほとんど拡がらずに、ひたすらループしているように思えることだ。例えば 東工大のシンポジウム では「アーキテクチャ」をキーワードに批評の未来が語られていたが、そこで語られた批評の骨格めいたものは、すでにこの本の中で福田氏によって語られている。長いけど引用しておく。

(福田)批評のプロトタイプというか、二十世紀批評の典型としてまず考えるべきなのは、ヴァレリーの『建築家ユーバリノス』のようなものだと思います。あれはプラトンの対話編を踏襲しているわけですね。イデアの躍動としての建築というか、理念の音楽みたいなものとして建築があるという話だけれども、大事なのは、思索を上演してみせている、シュミレートしているわけです。思索を現前させる一方、建築は、イデアというものを直接、物質として、現物として世の中に現前させるものだよ、というテーゼを出す。同時に、作品として思索それ自体の経緯が、対話編という形で定着される。もちろん、対話というのは何なのかは、これはフォルマリスムの問題も含めて、二十世紀の大きい問題だと思うんですけれども、ここでヴァレリーが試みた事は、一番端的に言えば、たとえばニーチェの「神の死」を、ハイデガーが解説したように、神の死ということは、単に神が死んだのではない、物も死んだんだと。イデア的、理念的なものもないし唯物的なものもない。すべてが等価であり、今の言葉で言えば、シュミラークルであると言っていいし、イマージュであってもいいけど、そういうものになってしまった。ですから、イデアを展開するような形而上学的な思考ではなくて、イデアが物となって、現世に現れるという形としての批評、それをヴァレリーは示した。これは、純粋な(イデアルな)幾何学的形態の無限の反復が建築であるというル・コルビジエなどのそのまま対になる考え方だと思います。イデアや形などが出てくるのに対応している。二十世紀の批評の宿命は、現前性を上演していく行為として、批評と文章化せざるを得ない。 そう考えていくと、三つの時期設定ができるのではないか。カントとヘーゲル、フィヒテを逆転させてはまずいんでしょうが、まず、フィヒテ的、十九世紀的な天才による芸術の世界がある。これは「創造」を前提とする文学観、芸術館です。次に天才性のようなものによらないで、ボードレール的というか、カーライル的といってもいいと思いますが、一種のダンディズムですよね。ダンディズムというのは、特殊や個性を否定して、誰もが平凡な人間で、すべてブルジョワであり、同じ黒装束を着ている人間であるという、その均質性、反復性を肯定する言葉です。これを、他の芸術でいえばボードレールの版画というようなタームになるんでしょうけれども、たとえばウィリアム・モリスらの「工芸」として考えてもいいと思います。「創造」に対する。あるいは『表象』でもいい。 それに対して、二十世紀批評は、芸術が去り、手工業が去った後は、「建築」がやってくる。これはテクネーの世界というか、テクノロジーの世界であって、理念と物質を合体させたものをつくり出そうとする。ル・コルビジエを見ればよくわかるように、手工芸が前提としているようなモリス的な共同性を断ち切り、ファシズム的な人工都市、人口共同体、集合住宅のような形の共同性を出す。モリスを共同体主義というのは問題があるでしょうし、コルビジエをファシズム的というのもまた問題があるでしょうが、いずれにせよ、「建築」に対応するのが二十世紀の批評の言葉ではないでしょうか。

最近、西洋美術館でル・コルビュジエの展覧会もやってたし、このループはかなりヤバいんじゃないか!と思ったりするわけだが、一つの言い訳として「この時期にはネットがなかったし、生態系のように増殖するアーキテクチャは視野に入っていなかったわけだから、そこが昔とは違う」ということは言えると思う。このあたりは、東工大のシンポジウム でも浅田氏との間でやり取りがあった。

ただ、ネットを通過した後のアーキテクチャ議論の中身を見てみると、単にネットから出てきた新しいサービスを批評っぽく解説しているようにも見えてしまう(ニコ動のタグ戦争などはその典型だろう)。ネット上のコンテンツが進化を続けていることは間違いない。その進化のどこに作家性が宿っているかという議論はひとまず置くとして、少なくともクリエイティブの現場では、今も想像力が拡がり続けている。しかし、そこに対置されるはずの批評家の想像力は更新されず、拡がりを持っていないとすれば、根っこにある批評の問題というのは、未だに何一つ解決していないようにも思えるのだ。

Posted by Syun Osawa at 00:58