bemod

2010年06月16日

公開講座「インタラクティブアート入門」

2010年5月29日/13:30−15:30/東京工芸大学

最近はいろいろな大学が無料の公開講座を開いていて、貧乏リーマンにはとてもありがたい。特に東京工芸大学はわりと近くにあり、よく利用させてもらっている。感謝。

今回の公開講座は、浅野耕平氏によるインタラクティブアートのお話だった。いくつかの作品を映像で紹介しながらの進行で、とてもわかりやすい。今は、デジタルを使ったアートコンテンツが爆発的に増えているので、その膨大な作品群を全部見通すことは素人の僕には難しい( white-screen.jp の作品ですら全部は追えていない)。だから、今回の浅野氏のように、「いくつかの作品を提示することで一つの文脈を形作っていく」タイプのキューレーター的な役割って今後どんどん必要になってくるように思う( 東京芸大のイベント も1作品ごとに、山村浩二氏の解説が入っていてわかりやすかった)。

話が逸れた。ともかく、インタラクティブアートというのは、「相互性という特性を利用した表現活動」のことを指すらしい。ちなみに、メディアアートは「先端技術を使った表現活動」という言葉で説明されていた。メディアアートに関する僕の考えは、以前書いた とおり。

ようするに、メディアアートとインタラクティブアートは今、極めて近い位置にある。なぜなら、そのいずれもが能動的な体験や関係性が表現の主体だと考えているからで、率直に書いてしまえば、コミュニケーションそれ自体がアートの対象となっているのだ。

カオスラウンジなどの動きを見ていても、この流れは素人の僕にもわかりやすいコンテクストだとは思う。ただ、一つ気になるのは、この「コミュニケーション」という言葉がかなりバズワード化し、安易に用いられていることだ。もしも人と人の繋がりの中で起こる軋轢を軽減させることに、これらのアートの主題を見つけるのだとしたら、何だか物足りない気もする。

メディア芸術祭のシンポジウム で、岡崎乾二郎氏は「メディアアートとは「メディアによって如何にメディアを批判するか?」という問いを、作品内部に取り込んだもの」であると話されていた。だとするならば、インタラクティブアートは、この「コミュニケーション」に対する批判的な言説もメタコンテクストとして用意しておく必要があるのではないか? そんなことを思った。

Posted by Syun Osawa at 01:26