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2010年04月01日

サイバーアーツジャパン展 ― アルスエレクトロニカの30年

2010年2月2日−3月22日/東京都現代美術館

サイバーアーツジャパン展 ― アルスエレクトロニカの30年アニメ関係の東京国立近代美術館の ウィリアム・ケントリッジ展 、東京都写真美術館の 躍動するイメージ。展 と、名の知れた美術館でアニメ関係の展覧会が続いている。国立新美術館で毎年行われているメディア芸術祭も少しずつ動員数を伸ばしており、これまであまり大衆の目に留まることのなかった現代美術の世界で、「メディアアート」という一つのジャンル(?)だけが突出して注目を集めていることは面白い現象だと思う。

たしかに現代美術が苦手な僕も「メディアアート」と呼ばれるものには興味があって、これまでもちょくちょく展覧会に足を運んでいた。それでも、そこで展開されている作品のコンテクストがよくわからなくて、毎回「うーん…」と唸るだけだったのだが、今回、サイバーアーツジャパン展を見て、そのコンテクストが何となくわかったように思った。それをサックリ書いてみる。

メディアアートのコンテクストは、「ネト充のままリア充になるか?」ということなのだと思う。つまり、メディアを通じて情報として流通した作品から、いかにして身体性を呼び起こすか、ということである。これは、東工大のシンポジウム で宮台真司氏が言っていた「現実の虚構化/虚構の現実化」とは違う話だということに留意しておきたい。「ネト充/リア充」という対の概念ではなく、東浩紀氏が小説『 クォンタム・ファミリーズ 』で書いた、並行宇宙の世界に近いものだと考えている。

このように考えると、『 アバター 』という作品は、メディアアートとしてかなり優れた作品だったと言えるのではないだろうか。『 アバター 』は「ネト充・イズ・リアル」といった話で、最後に主人公の男性がネト充な生を受け入れる。そのため、この話だけを受け取ると、宮台氏の言っている「現実の虚構化/虚構の現実化」になってしまうのだが、この作品は3D映像によって、僕たちの身体性へ明確に作用しようとしている。

東工大のシンポジウム で、黒澤清氏が『 アバター 』の3D映像を古臭い表現と言っていたが、その古臭い表現をもってきた意味(実際には古くはないのだが…)というのは、このコンテクストをキャメロン監督が正確に捉えていたからではないだろうか。今回のサイバーアーツジャパン展でも、身体へのアプローチに対して、多くの作品がポジティブな印象を受けた。

ところで、岡崎乾二郎氏が、先日行われた、メディア芸術祭のシンポジウム で、「メディアアートはメディア批評を含んだ作品である」という定義づけをしていた。僕はこの話を聞いたときに、「たしかにそうだな…」と思ったのだが、メディアを通じた身体性の獲得をメインに考えるのならば、こちらはあくまでメタコンテクストとして位置付けられるべきだろう。メディア芸術祭で優勝した作品は、たしかにメディア批判を含んでいるが、身体へのアプローチも強く、コンテクストおよびメタコンテクストの両方をを十分に満たした作品だった。

というわけで、「メディアアート」のコンテクストは「いかにして身体性を呼び起こすか?(ネト充のままリア充になるか?)」で、メタコンテクストは「メディアアートはメディア批評を含んでいるか?」だと思うことにした。そう勝手に定義付けることで、メディアアートの楽しみが少し膨らむのなら、僕得なんだからいいでしょ…というだけの話である。

Posted by Syun Osawa at 00:43