bemod

2010年10月07日

ポンピドー・センター所蔵作品展

2010年7月3日−10月11日/東京藝術大学大学美術館

ポンピドー・センター所蔵作品展チケットには、でかでかと「シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会い〜交錯する夢と前衛〜」と書かれていて、誰もそれがポンピドー・センター所蔵作品展とは思わない詐欺まがいの釣り方が潔く、さすがは日本の雄たる東京藝術大学の美術館だなと嫌味を言ったりしてみる企画展。

そんな企画展で僕が一番目当てにしていたのは、もちろんシャガール。シャガールは色彩感覚が非常に優れているらしく、それがよくわからない僕には、どちらかというと苦手なタイプの画家だったりするのだが、若かりし頃の彼の写真を見る限りかなりのイケメンで、ドキュメンタリー映画に登場していた晩年の彼もユーモアに富んだ老紳士だった。

さて。そんなシャガールの色彩感覚が最もよく出ていたと思ったのが、歌劇「魔笛」の舞台美術用に描かれたデザイン画の数々だった。絵は具体性に乏しい絵の上に、色だけが鮮やかに映えていて、正直シャガールじゃなかったら怒られるレベルではないのか?w とか思ったり…。彼の中心にある主題みたいなものがちょっと見え隠れしているように思った。

彼はロシア・アヴァンギャルドの重要人物として位置づけられているようだが、《黒の正方形》を描いたスプレマティズムのマレーヴィチやカンディンスキーのような過激な方向に舵を切らなかった。そのため、シャガールが勤めていた美術学校にマレーヴィチを呼び入れた結果、彼らの方向性の違いによってシャガールがそこを出ることになってしまった。

この方向性の違いがどの程度のものであったかは僕にはわからない。というか、ロシア・アヴァンギャルドなる言葉のいかがわしさを、僕自身が上手く飲み込めていないからだが、それでも僕が思い描いていた夢というのは、カンディンスキーやマレーヴィチが突き詰めた現実を過剰な破壊し、再構築する路線であった。

その一方で、シャガールが思い描いた夢とは、彼らのような形で現実を描くのではなく、あくまでも具象の中にとどまり、別の現実をキャンバスに描き出すことであった。だから、彼は民間芸術の中に根付いてるおとぎ話的な物語に主題を見つけていたのである。

彼の代表作の一つである《ロシアとロバとその他のために》には、そのことがよく現れているように思う。夜空が画面全体を覆いつくし、地上は画面の下方にある。屋根の上にはバイオリンを弾く男、その上に浮かぶ親牛とその乳を飲む子牛。そして、なぜか人間の子どももその乳を飲んでいる。その右上には、首が切り離された女性が浮かんでおり、彼女の首の後ろ側には赤色が塗られ劇的な印象を与えている。

解説によると、この絵は当初、左上に太陽が描かれていたそうだが、後に黒く塗りつぶされたそうな。それが原因なのかはわからないが、おとぎ話のような不思議な世界と、素朴な人々の生活が描かれていながら、それがフワフワと心地よく浮かび上がるような浮遊感は感じられなかった。どちらかというと下方に重く、下に引っ張られているように見える。ただ、似たような構図の《空飛ぶアトラージュ》には浮遊感が感じられるので、僕の思い過ごしかもしれない。

そうであっても感じる「重さ」は、もしかしたらキリスト教と関係しているのかもしれない。最近、藤原えりみ『 西洋絵画のひみつ 』とか『 pen別冊 キリスト教のすべて 』を読んだこともあって、西洋絵画に潜むキリスト教絵画のコンテクストに毒されすぎて、この重さは決して無視できなくなってしまった。彼自身、聖書から多く引用しており、キリストの姿も何度も描いている。会場で上映されていたドキュメンタリー映画の中では《白い磔刑》なども映し出されていて、戦争と芸術 関連の興味も含めて抑えておきたい。ともかく、このあたりのことは「何となくそう感じた」程度であって、もっと勉強しないと何とも見えてきそうにない。ともかく今は、その程度にとどめておこうと思う。

Posted by Syun Osawa at 01:56