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2012年07月18日

加藤久仁生展

2012年2月10日−3月25日/10:00−19:00/八王子市夢美術館

加藤久仁生展八王子へ モーニング娘。のライブ を見に行ったので、ライブ終わりに立ち寄った。

加藤さんの展示会といえば、2003年の アニメーション*スリー 、2005年の 続アニメーション*スリー に行っている。今回が3回目だ。

2005年以降、加藤さんは『つみきのいえ』で2008年にアヌシー国際アニメーション映画祭グランプリ、2009年に米アカデミー賞短編アニメーション賞を受賞しており、アニメーション作家としては最高レベルの場所に辿りついた。これは本当に凄いことだと思う。

なぜなら、短編アニメーションの多くは個人的な動機で作られているからで、商売の色がそれほど濃くはない。ちょっとしたスポンサーがついたとか、助成金が出たとか、それくらいのサポートはあるとはいえ、商売としては成立しにくいこのジャンルにおいては、作家本人のモチベーションがなければ決して作品を完成させることができないのだ。

だからこそ、長年にわたってアニメーション作品を作り続けてきたことはとても大変なことだし、それだけにそこに映し出されている映像には作家本人のプライベートな感情が投影されやすいとも思う。言い換えれば、そうでなければあまり意味がないようにも思う。

加藤さんの場合は、メルヘンチックな世界観でクローズドワールドを構成するのがとても上手い。そして、『つみきのいえ』はその箱庭に地球温暖化問題という外部の問題が侵食してきたような作品だ。加藤さんの作品でここまで明確に社会的な問題を取り込んだ作品はこれまでなかったのではないだろうか?

『つみきのいえ』はこの社会的な問題について何かを答えるということはないが、個人的な感情のざわめきを穏やかな演出で表現しており、作者のプライベートな一面がとてもよく表出していたように感じた。もっとも、そのあたりが批判の対象になるのかもしれない。日本の短編アニメーションの社会性のなさは、よく批判されるところでもあるからだ。

ただ、上にも書いたように短編アニメーションの多くが個人のモチベーションによって成り立っている規定できるのならば、明確なゴールや意思表示を持たない作品がこれほどまでに高いモチベーションで作られ、また高いクオリティで完成されていることにも、アニメーションの中の日本人性みたいなものを見出せるような気もする。

あ…なんか展示会と関係のない話になってしまったw 展示会のディスプレイ自体は、絵コンテだとかスケッチだとかの展示で、ごく平凡なものだった。

Posted by Syun Osawa at 22:13