bemod

2007年01月31日

スキャンダル戦後美術史

大宮知信/2006年/平凡社/新書

スキャンダル戦後美術史近い時期に大島一洋『 芸術とスキャンダルの間 』(講談社)が出ており、和田氏の盗作事件の余波が出版業界にも影響していることがわかる。

前述の大島さんの本と比べれば、ぶっちゃけこの本は雑な印象を受ける。大島本との違いは、戦争画関連のネタと公共事業としての美術館ネタがあること。戦争画に関する記述は、引用している画家・評論家が野見山暁治さん、針生一郎さん、ヨシダ・ヨシエさんだったりすることから思想の傾向を察することができる。それを単純にサヨ系と言うつもりはないが。

藤田嗣治さんへの言及については夏堀全弘『 藤田嗣治芸術試論 』(三好企画)を読んでるのかと疑問に思うところも少なくなかった。例えば、戦後に藤田のもとへ戦争画を描いた責任を取れと言いに行った内田巌さんとのやりとりについて、

内田の訪問のことを話しているのは君代夫人だけで、藤田本人はこの件に関して何も語っていない。

と書いているが、『 藤田嗣治芸術試論 』に掲載された藤田の手記では、内田に対する思いやりの言葉か書かれていたと思うがどうか。

ともかく「戦争責任」を言う論者には少なからず疑問が沸いてしまう。ベトナム近代絵画展 に行ったとき、そこには数多くの戦争画が展示されていた。いわゆるゲリラの戦争画である。そこでは女性や子どもが銃を持っている姿が描かれていた。あれは「抵抗」だからOKなのか? この本の筆者はピカソの〈ゲルニカ〉についてそのように言及しているので、そう言うかもしれない。

僕自身が戦争画に興味があるのは、「戦争を描く」ことについてのシンプルな興味であり、戦争を描く場合は必ず厭戦的でならなければならないとか、平和を主張するものでなければならないとは思わない。

美術館乱立の章は面白かった。

公共事業の乱発により外側だけ立派な美術館が日本各地に建設された。ところが中身はたいしたことがない。それどころか交通の便が悪く、内容も地味なことから客足が遠のき経営状態はすこぶる悪いという。東京現代美術館も例外ではなく、客を呼び込むためにジブリ系の展覧会などを開いているという。ディズニー・アート展 なども、集客目的で企画されたものなのだろう。ただ、そうすればするほど現代美術の絵画がズラリと並ぶ常設展とのギャップばかりが目立ち、結果的には悪い方向に進むのではないかという気がしないでもない。

東京芸大をめぐる受験戦争については、今に始まったことではなく、多くの人が「これは、こういうもんだ」と思っているのではないだろうか。このネタが話題になるとき、いつも不思議だと思うことがある。東京芸大を卒業した画家や文学者が「芸術は学校で学べないから、東京芸大など行く必要なし」と言っていることだ。カッコよくとらえれば権威の無効化に見えるが、実際は権威を確保した上での茶番劇(それも芸のうち)であることも抑えておく必要があると思う。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 22:37