2018年1月16日
常設展示特集「燃える東京・多摩 画家・新海覚雄の軌跡」
2016年9月4日/13:30-14:30/府中市美術館
久しぶりに 戦争と芸術 関連の話題のためだけに美術館へ行った。別にこの趣味に飽きたからではなくて生涯学習としてやると決めているために優先順位がどうしても下がってしまうのだ。
そして今回の美術館のある府中という微妙な距離感。アイドルヲタク全盛期の僕なら絶対に行かなかったであろう場所だが、最近は時間にも余裕が出てきて再びこの趣味について勉強を始めたいという思いが湧き上がってきたために行くことにしたのだ。
府中駅で降車し、やたら混んでいた運賃100円のバスに乗って府中市美術館へ。美術館の後ろにはかなり綺麗な公園もあり住環境としてはかなり良さそうな雰囲気だった。
という御託はともかく展示内容について。
常設展の中での企画展示だったのであまり期待していなかったのだが、想像以上にしっかりとした(それこそ企画展と呼ぶにふさわしい)展示だった。新海覚雄氏はどちらかと言うと左というかプロレタリア系の画家であるだけに、ここまでの厚遇は今どき珍しい気がする。府中市平和都市宣言30周年記念事業ということが理由なのかもしれない。
新海覚雄は戦後に労働運動をモチーフにたくさん得を描いているが、戦前・戦中は深く社会運動にコミットしていたわけではないようだ(シンパではあったようだが)。彼の絵でもともと知っていたのは《貯蓄報国》だけで、これも戦争画として記憶されているが、戦争に備えて貯蓄しましょうという国の方針に沿った銀行の絵で生々しい戦いの様子が描かれているわけでもない。
そういうあたりから戦争と芸術についてはなにやら考えられそうな気もするが、この手の話題について考えるのが久しぶりということもあってなかなか頭に妙案が浮かばないでいる。
死語になっているかもしれないが、いわゆる右と呼ばれる保守派の人と左と呼ばれる革新系の人が最終的には同じような価値観を共有しているという問題において、戦前のプロレタリア運動(左)と戦中の苦しい今こそお国のために頑張ろうという右的な運動が似たような場所で結びついている。芸術の世界でもそうした思想の一致が残した影響というのは少なくないと思うし、またそうした影響について深く考えられそうなな画家の一人のような気もした。
戦中に特攻に捕まって転向した左系の人たちが熱烈に保守派の論客になったり、また戦後に揺り戻して左翼になったりするケースがたくさんあり、そのことについて批判する芸術家も少なくなかった。新海氏の場合は転向したわけではなく、ただ戦後はかなり労働運動系にコミットしているのでそのあたりの思想的な動きというのは彼の芸術を追いかけでる上では重要だろう。
(関連) 戦争と芸術
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