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2017年12月9日

Aira Mitsukiラストライブ COUNTDOWN“0” I’LL BE BACK

2013年9月29日/18:00-21:00/渋谷 Glad

いろいろ複雑な思いの詰まったライブだった。

2008年に タワーレコード新宿でのインストアライブ で見て以来、何だかんだ追いかけ続けたAira Mitsukiのラストライブ。彼女はこの日を最後にアーティスト活動を休止することになった。

アーティストとして活動するだけならアマチュアでも続けられるはずだが、彼女があえて「活動休止」を宣言したということは、商業的なプロのパフォーマーだったことを自覚していたということだ。それが同時に「アイドル」だったことを自覚するものだったかはわからない。

過去に書いた彼女に関するブログを読み返すと、少なくとも僕は彼女をアイドルとして位置づけ、その中で起こす革新的な振る舞いにどこか期待し続けていた。それはオーディエンス側からの勝手な思い込みだと自覚している。ただ『COPY』から『PLASTIC』へ至る一連の流れの中には「Perfumeのフォロワー」としての位置づけを世間に説得するのに十分な要素が多く含まれていたことは間違いない。それは『COPY』というタイトルが端的に示している。

しかし3rdシングル「サヨナラ TECHNOPOLiS」あたりから少しずつ「Perfumeのフォロワー」という乗っかり方から少しずつ変遷し、当時はやっていたエレクトロブーム全体に活動の視野を広げることになる。その折衷案として生まれた2ndアルバム『PLASTIC』にはまだその色は残っていたものの、次の3rdアルバム『???』では完全にPerfumeの影は見えなくなっていった。

僕はその頃の彼女の音楽も大好きなのだが、その頃には「Perfumeのフォロワーは誰一人として成功していない」という噂が流布しており、Airaのそうした音楽的変遷を知らない人たちもその噂を当然のことのように受け止めていたように思う。

この当時の変遷をアイドルからアーティストへの脱却というと聞こえはいいが、今回の活動休止の事態をみると最後まで脱却することはできなかったのかもしれない。ライブの最後のMCの際に、ライブを見に来ていたAiraのママが「本当にそれでいいの?」って叫んでたこととか、本人が「戦い続けられなくて悔しい」って言っていたことが、この時期の葛藤をそのまま表現していたようにも思った。

ハレパンの活動停止の時はTerukado氏は泣いたそうだけど、やっぱり道半ば悔しくて泣くってのは嘘がない。あとは残した作品自身が語り続けるのみである。Airaの曲は好きなのいっぱいあるからね。ラストライブのためにアルバムを作るというところにも音楽への思いが溢れていると思う。そしてこのアルバムもとても素晴らしいものだった。

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