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2017年12月30日

スクールセクハラ ― なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか

池谷孝司/2014年/幻冬舎/四六

スクールセクハラ ― なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか今まで見過ごされてきた学校現場におけるセクハラ。特に先生が児童に対して行うセクハラが社会問題になってきたのは最近のことだ。そうした時流に乗って書かれた本なので最近の事だけが書かれているのだろうと思ったらそうではなかった。

この問題はずっと昔から存在しており、例えば30代や40代になった女性でも学生時代に教師から受けたわいせつ行為を苦しみとして抱えていて、ようやく真相を告白できるようになったというケースが少なくないようだ。それだけ10代の頃に受けた傷というのは人間形成の上でも深刻な影を落とすということだ。

近年、わいせつ事件によって懲戒免職になる教師が目立ってきた背景として「ロリコン教師が増えたからだ」とか「教員採用に問題があるのでは?」と言われることもあるがそうではないだろう。鈴木伸元『 性犯罪者の頭の中 』の中で性犯罪を引き起こす人に特有の特徴はないと書かれており、事実、今回読んだ本の中でも妻も子もいる普通の小学生教諭が教え子の小学生に本気の恋心を抱くというケースがあった。

つまり、こうした問題というのは常に引き起こされる問題なのだ。それは人間であれば避けられないことだと僕には思える。教師なら誰でも引き起こす可能性のある問題であるということが前提とされるべきだし、「あの先生がそんなことをするわけがない」という世間に流布している性犯罪者のイメージとのギャップも取り払われるべきだろう。

圧倒的な力関係・支配関係における人間関係の中では人はいろいろ間違えるのだ。例えばキャバクラのようにお金を払って相手とコミュニケーションをとっている場合であっても、その関係が長く続けば「自分たちは恋人同士なんだ」と本気で思ってしまう客が出てくることもある。本の中で教師が相手も自分に気があると思っていたという気持ちは完全に否定されていたが、男側から見たら確かにそういう気持ちを抱いていたのかもしれない。しかしそれは、上述したような圧倒的な支配関係を前提とした人間関係があってこそ引き起こされている事態である。

このことをさらに進めて考えると、人間関係というのは多かれ少なかれそうした従属関係にあるわけで、特に資本主義社会で生きていく上では誰もが避けては通れない困難さだということに気づかされる。それは例えばバイトと店長の関係だってそうだし、会社の部下と上司の関係もそうだ。サークルの先輩・後輩もそうだし、友達同士の中にも緩やかなカーストがあったりするのである。

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