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2007年06月30日

創価学会

島田裕巳/2004年/新潮社/新書

創価学会創価学会についてわりと客観的に書かれた本。

政権与党の中に公明党=創価学会がいるのに、この団体についてほとんど知識がなかった。たいていの場合、創価学会ネタはひどく嫌がられるし、僕にしたって日常会話の中では避ける。「この人が創価の人だったらどうしよう」などと変な勘ぐりをしてしまうからだ。これは知らず知らずのうちに創価学会に対してネガティブなイメージを抱いているからだろう。

僕の友人の中に両親が学会員という人がおり、家に泊まらせてもらったことがある。そのときは折伏されることもなく、とても親切にしてもらった。友人は学会員ではないが、おそらく会員名簿にはのっているだろうと話す。僕の創価体験はこれくらい。

そんな謎の団体についてサラッと知るには、この本は最適だった。日本共産党と犬猿の仲であるらしいが、組織に取り込んでいる層が似ており、結果として共産党が負けたというところはなるほどと思う。日本の労働組合が大企業を中心とした企業組合で、その下の下層労働者(派遣やパート、アルバイト社員など)は組合の恩恵を受けていないという実態があるので、都市に流入した地方労働者の孤独や不安を和らげる相互扶助機関として創価学会が勢力を拡大したというのは説得力がある。

ところが、ニートやフリーターが数多くいる今、彼ら不安の受け皿を創価学会が担っているとは思えない。共産党も創価学会もない今、不安定な彼ら(僕も含めて)の孤独や不安を和らげる団体は存在するのだろうか? その一つが「オタク」だということも言われるが、それだって大企業の消費財にされてはいないだろうか? また、オタク以外で2ちゃんねるやmixiというのでも何だか切ないし、広告代理店主導の「もったいない」運動とかだったらもっと切ない気がする。

そんなことだから、若者は「希望は戦争」とスネてしまうのだろう。スネたところで、北朝鮮はミサイルなど撃ってくれるはずもないのに。

Posted by Syun Osawa at 21:49

2007年06月26日

科学史から消された女性たち

大江秀房/2005年/講談社/新書

科学史から消された女性たちこの本は2006年にネット上で盗作を指摘され、後に出版社が自主回収。絶版となった。そのため、古本屋などでは相場の2倍以上で取引されているらしい。僕はある古本屋で新品を半値以下で購入した。探せばあるもんだな。

ところが、この文章を書いている2007年6月現在、Amazonを見ると普通に通販されている。絶版になったんじゃなかったの?

てな外側の騒動はさておき、科学がちょっと好きな一般人がサラッと読むにはかなり良い本ではないかな。僕自身がそうなので、楽しく瞬読した。科学史の裏側で女性が活躍していて、今はそのことが再発見されて有名になってよかったね…みたいなところがシンプルに書かれている。正確には科学者ではないが(逆か?)、アインシュタインの妻だったミレヴァ・マリッチなども紹介されていた。

こういう本の内容は学校では学べない。中学や高校の教科書にも登場する有名な科学者同士の人間関係が密接なことに驚かされる。また、有名な科学者の中には意地悪な人もいれば、引っ込み思案な人もいれば、病気ですぐに死んでしまう人もいる。教科書の場合はそういうものが漂白されて、知識としてだけ取り出されいるのでこういうドラマを知ることはない。科学史に興味のない理系の人も知らないまま過ごしているかもしれない。実はこういう本こそが理系と文系という古くさい認識を緩和させる最良の本であると思う。

この本のネタ本であるらしいロンダ・シービンガー『科学史から消された女性たち アカデミー下の知と創造性』(工作舎)はもっと面白いらしい。こちらも読んでみよう。

Posted by Syun Osawa at 21:52

2007年06月24日

キダ・タロー=メガテリヤキ=避妊=俳句=トーチカ

キダ・タローがテレビに出てつんく秘話を語っていた。

少ししか見てないが、おそらくラジオでの共演のことを語っていたと思われる。10年以上前になるが、MBSラジオで放送されていた「ヤングタウン木曜日」という番組(出演者:桂小枝、羽野晶紀、キダ・タロー)で、つんくが1コーナーを担当しており、毎週リスナーのリクエストに答えて即興で曲をつくって歌っていた。それを、毎度キダ・タローにダメ出しされるというのがオチだったと記憶している。

当時のヤングタウンはダウンタウン後の空白期だったが、月曜日には森高千里、笑福亭笑瓶、根本要(スタレビ)、谷口宗一(元BAKU)というよくわからない組み合わせがあったりで、そこそこ楽しく聴いていた。

メガテリヤキはメガなのか?

食べたけど、どこがメガなんだろう? 普通のサラリーマンはテリヤキバーガーのセットにチーズバーガーを追加して食べるくらいのことは普通にある。それが一つになったからといって何なのだ? 最近チェーン店で「大盛り無料」と書かれているのを見かけるが、大盛りを頼んで、実際に大盛りだったことはほとんどない。

杉浦太陽の直球発言

『バニラ気分!』(フジテレビ)に辻希美と結婚した杉浦太陽が出ていて、オセロの二人と小柳ルミ子に避妊しなかったことを攻められていた。オセロの白に「つけるとか…」と言われたとき、杉浦太陽が言った「だって、盛り上がっちゃったんですもん」という発言が何ともよかった。盛り上がるって大事だし。

自動俳句マシーン

ひろぶろ より。これはちょっと感動した。機械に笑わされるなんて。

トーチカの上の女性たち

なんつー写真だ…。

ワイド版タブレット

これ欲しい! 僕の使用しているノートはワイド画面なので。

原作に忠実であることの余波

京都アニメーションが受けているのは職人的に原作に忠実だからではないのか? だが、彼らにしたってオリジナルを夢見て 京アニBON を始めたりと、別の方向で模索している。

アヌシー2007のレポ

いつから日本のアニメスト(本日、このように命名)達は、蟻のように賞レースに群がるようになったのだろうか。

ラピュタみたいなHONDAの広告画

素敵な絵。このように、自分の描いた絵を広告から分離して公開するというのは結構面白い試みかもしれない。

靖国アニメ「誇り」がきな臭い感じに

前半に書かれている釈明はひとまずおいておいておく。残念なのは、「誇り」は一般人に公開される予定がないということだ。Youtubeに流れるのを待つしかないのか。あー、見たい、見たい。

Posted by Syun Osawa at 23:30

2007年06月22日

金持ち父さん貧乏父さん

ロバート・キヨサキ/訳=白根美保子/2000年/筑摩書房/A5

金持ち父さん 貧乏父さんこういう本は読むタイミングでズッポリと心を持っていかれるんだろうなぁ…。

僕も一年前ならヤバかったかもしれない。今はすでに実行段階に入っており、書かれていることに納得しつつも冷静に自分の身辺状況を見つめながら、できること、できないことを判断している。

この手の本によく書かれている「リスクを恐れない」という考え方についても今は冷静。恐怖心を克服するための準備は絶対に必要だと知ったから。

この本で一番関心したところは、金持ち父さんの哲学よりも、貧乏父さん(著者の父)に対する理解だったりする。ぶっちゃけ貧乏父さんにしたって、世間でいうところの貧乏な父さんではないし…。そういう意味では、本の帯に書かれた村上龍さんのの推薦文「お金で幸福を買うことはできないが、不幸を避けることはできる」というのは上手い表現だと思う。お金に無頓着な僕みたいな人間は、この手の本を少しずつ読み続けて、金に対する思考のトレーニングをしていく必要があるかもしれない(ないかもしれない)。

Posted by Syun Osawa at 23:30

2007年06月20日

忘れてしまった高校の数学を復習する本

柳谷晃/2002年/中経出版/四六判

忘れてしまった高校の数学を復習する本タイトルどおり社会人が高校数学を思い出すために読む本。

この手の本が数年前に流行りだし、このところは落ち着いてきた。思ったより売れないから撤退したという出版社もあるくらいだが、この本はシリーズで順調に増刷を重ねているようだ。

内容はというと、これがなかなかわかりやすい。いや、正確にはわかった気になれる。

僕がこの手の本に興味を持っているのはまさにこの点にある。『 マンガでわかる 微分・積分 』などもそうだが、この本を読んだくらいで大学受験の二次試験にのぞめるなら苦労はない。おそらくセンター試験でも難しいだろう(当たり前か)。

科学系の本でも似たようなシリーズがあって、「相対性理論」に関する本は硬軟含めてたくさん出ている。難しいはずなのに、新書や図解本を読むと何となくわかった気になる。しかしそれは、真の意味で相対性理論を理解したわけではないのだ(こちらも当たり前)。

繰り返すが、この本は「わかった気にさせる」技術に長けている。難しい専門書を読んで数ページで挫折するくらいなら、サラッと読み通して何となくわかった気にさせておき、その勢いに乗せて次のステップへ進むというのは悪くない。普通の教材だと一つの教材でそれをやるのが常套手段であるが、余裕があるならこの手の本を何層にも読んで、頭の中にミルフィーユ状に積み上げていく方が足腰も強くなるのではないかと思っている。大人だからなせる業だ。

Posted by Syun Osawa at 23:52

2007年06月17日

ラピュタ=愚痴=愚痴2=愚痴3=好きな曲

『ラピュタ』完璧。CMが入るテレビ版は見ないことにしているのだが、一旦目に入ると夢中になってしまう。ピンチの連続。それを乗り越えることで成長する子どもたち。演出が冴えわたっとる。そういや英語版『ラピュタ』のシータの声をアンナ・パキンがあてているのを知らない人って結構いるらしい。

(手に入れた本など)
山本俊郎『カリスマ先生の数学』(PHP研究所)
小島寛之『解法のスーパーテクニック』(東京出版)
『高校入試対策 難関突破精選問題集 理科』(学習研究社)
『アニメーションノート No.06』(誠文堂新光社)

松文館事件上告棄却

わいせつコミック裁判 』の裁判、その後。このときの感想でも書いたが、そりゃ猥褻っていわれれば猥褻ですけどね。ぶっちゃけ。ただ、猥褻だから排除するという感覚は、人間そのものを否定しているようでどうも好きじゃない。

期待と絶望のよくある言説

放送作家の憂鬱。感情はブーメラン。

唐沢さんの盗作疑惑

また乗り遅れた。着地点はどこなんだろ?

小谷野敦さんならこう動く

新手の復讐劇。小谷野さんの言っていることは相変わらず過剰だけど、妙に納得できる。盗作かどうかも裁判所が決めればわかりやすい。

そして淘汰される

ネットイナゴ が何かと話題らしく、池田さんが 蟲師 になったという素敵な意見もある。本当の蟲師は2ちゃんスレにマルチ投稿を繰り返す人なんだけど。その手の構造を『風の谷のナウシカ』の世界に当てはめると結構いい感じ。

フリーディアとなかやまきんに君

意外な組み合わせ。

Perfect Star Perfect Style

Perfumeの話題に触れることがなくなったが、ファーストアルバムはちゃんと発売日に買っていたりする。そして、一番のお気に入りはアルバムの1番目に収録されているこの曲なのだ。今でものっちラブ☆です。

Posted by Syun Osawa at 23:55

2007年06月10日

ジャンクSPORTS=ゲド=熱風=中国のFLASHアニメ

『ジャンクSPORTS』にトミーズ雅、和泉修の二人が出ていて驚いた。若い人は誰? みたいに思うかもしれないが、関西出身のおっさんからしてみれば、なかなかの事件である。みんな歳をとって丸くなったということなんだろうなぁ。

少し前にアニメ業界でも騒ぎがあったらしい。

どこかの声優プロダクションの社長が逮捕されて、あの声優もヤられているに違いないなどの憶測がとびかっているようだ。マドンナ信奉者の僕としては、もう一歩上の認識をおすすめしたい。

華やかな商売というのは裏がある。裏が黒ければ黒いほど、その反作用として表は明るく輝くと思うからだ。映画『ノーマ・ジーンとマリリン』を見るとよい。

(手に入れた本など)
徳永貴久『どんどん目が良くなるマジカルアイLESSON』(宝島社)

今月は話題のフリーペーパー『ゲドを読む』に驚いた。半分くらいが中沢新一の文字で埋め尽くされているからだ。その次に河合隼雄。このフリーペーパーのプロデュースを担当した糸井重里が宗教団体「Power for Living」を参考にしたのはほぼ間違いない。そのためか顔ぶれも若干オカルトっぽい(ウソです…)。僕は『ゲド戦記』を読んでいないので左へ受け流し、積読の中ほどにおさまった。

『熱風 2007年6月号』の特集は「新しい貧しさ」で、森健さんがトップを飾っている。パッと見て楽しめるチープなコンテンツが濫造される状況を踏まえて新しい貧しさについて言及しており、随分と納得させられた。Youtubeのチープなノリは笑えるが深みは伴わない。深みのあるコンテンツはほとんど過去のコンテンツを引っ張り出して消費しているに過ぎない。この貧しさを克服するのは年金問題くらい大問題である。

底辺から這い上がるのが難しいわけ

借金返済ブログ系で有名な 格差社会底辺からものすごい勢いで這い上がるブログ の底男さんが、期間工を経て外資系の営業職を勝ち取ったにもかかわらず、直前で挫折してしまったらしい。知らない人のためにあらすじのエントリをリンクした。

同じように底辺を這い回る者として、挫折の経緯が痛いほどわかってしまう。会社を辞めることを自分で決めてしまうという状況の難しさ。これは一見、甘えのように見えるかもしれないがそうではないのだ。底辺から這い上がるのは簡単ではない。

なぜ簡単ではないかというと、その状況は自分自身の「考え方」によってもたらされた事態だからだ。だから、まわりの状況がどれだけ変化しようとも、自分自身の考え方が変わらない限り、同じように這い回ってしまうという結果になる。悲しいかな僕もその一人である。

FLASHアニメは死なず

FLASHなんてアニメ作成のツールなんだから死ぬも死なないもないんだけど、ともかくこの作品を見て久々に「はぁ〜ん」ってなった。よく考えると、僕が影響を受けたFLASH作品の多くは海外のFLASH作品である。日本のブームとは関係なく、世界ではあいかわらず素晴らしい作品がつくられ続けている。

ともかくMXからのアップグレードが安いということらしいので、CS3を買うことに決めた。日刊デジクリの マツカサ対談 を読む限りは微妙らしいのだが、MXはアップグレードしておかないと、アップグレードの対象から外れるらしいので仕方ない。

Posted by Syun Osawa at 23:14

2007年06月07日

数の歴史

ドゥニ・ゲージ/訳:南条郁子/1998年/創元社/四六

数の歴史算数とか数学の授業で話される雑学のネタ本的内容。面白く読んだ。

図版がちりばめられてる創元社の知の再発見シリーズは雰囲気をつかむのに最適。森毅さんの『数学の歴史』と『魔術から数学へ』を読む前にと手にとったのだけど、正解だったと思う。

そして今、高校の数学を大人になってから復習するための本を読んでいて(といっても僕自身が復習するためではない。売れてるらしいのだ)、最初のまえがきがこの本のネタと激しく重なっていた。この本を種にしたということだろうか。

数学と理科に関しては、計算とか暗記とかということを少しはなれて、周辺をぐるぐる回ると結構楽しいことに気付き始めた今日この頃。しばらくはこの手の本を読み続けることになる。

Posted by Syun Osawa at 00:21

2007年06月04日

胸板=断絶=こずえ鈴=Google360=飯島愛

女性がよく「胸板の厚い男性が好き」と言うことがあるが、胸板=強い男をイメージしているのならば、それは間違いである。胸板と格闘技の強さはあまり関係がないからだ。胸板は「見せ筋」と呼ばれ、見た目をよくするために膨らませているに過ぎない。どうせなら「背筋の大きな男性が好き」と言うべきで、そのあたりからして女性も案外騙されやすい生き物だと思う今日このごろ。

MovableTypeを卒業して、WordPressを勉強しようと思っている。最近、本が出たらしいので、ビックカメラで立ち読みしてから決めることにする。というのも、新しいデジタルコンテンツの試みを一つ始めようと思っているからだ。ドメイン も取得済みだったりする。

やっぱり断絶

右翼も左翼も分裂を繰り返す。これを細胞分裂と思えば、新陳代謝がいいのかもと思うが、たいていの場合はそうではないことが多い。

ところで今月号の『論座』に小林よしのりさんが出ていて「勝ち組翼賛体制」という言葉を使われていた(と思う)。この言葉、僕も今後積極的に使っていこうと思う。戦後の近代教育において右と左の引っ張り合いはたしかに存在した。しかし、残念なことに右にも左にも流れることなく受験戦争だけが過熱していったという歴史がある。これは教育学部では必ず習っている自明の話だ。右でも左でも、結局は勝ち組になりさえすれば、言いたいことが言えるのが日本である。

こずえ鈴改めフリーディアのサイトについて

フリーディアさんは、アイドルオタクな僕にとって完璧なビジュアルを持っている。グッドシャーロットのベンジー(だっけ?)と別れた後、日本で芸能活動を再開したらしいので久しぶりにサイトをのぞいたら、いい雰囲気を漂わせていた。FLASHの使い方とかラリってて悪くない。ブログ を見ると、元気そう。

Google Mapsで360度ストリートビューが可能に

結構面白い。本当に世界がヴァーチャルになっちまうよ。

飯島愛さんがお手伝いさんを募集

最近は当たり前のようにAV女優がテレビに出てくるし、他のタレントも客も色物扱いをすることがない。飯島愛さんは引退してしまったが、彼女が残した功績はでかいと思う。僕は飯島愛さんが好きだが、同じような感覚で彼女を好きでいる人が多いから、引退した後もブログがあれほど盛況なのだろう。セラピストにでもなれば大儲けできそうなんだけどなぁ。

Posted by Syun Osawa at 00:20

2007年06月02日

リクルートのDNA ― 起業家精神とは何か

江副浩正/2007年/角川書店/日本

リクルートのDNA僕は江副さんに対して憧れがあった。一代で、しかもサービス業で一大帝国を築き上げたからだ。

リクルートは広告を記事にしてしまうという身も蓋もない戦略で出版業界に革命を起こした。戦時下のプロパガンダは自国の宣伝を目的としたが、現代のプロパガンダは相手を選ばない。広告主に対して最大の広告効果が得られるような戦略を練る。実にシンプルだ。そしてそれは『 ドキュメント戦争広告代理店 』にも通じている。

戦争と広告の話は広く研究がなされているし、電通を含め日本の動向を探ってみると面白いに違いない。また、出版業界で最王手にまでのぼりつめたリクルートが東京大学新聞の広告を出発点としており、学生企業家の延長戦上に築かれているところも興味深い。

そうしたプロパガンダ的な話やベンチャー的な話は興味深いが、彼が推し進めた広告の高度化という事態はどこかむなしい。そのため彼が構築したビジネスモデルは少しも好きになれないでいる。

Posted by Syun Osawa at 08:33