bemod
« 2007年06月 | | 2007年08月 »

2007年07月29日

タイヤ=亀田兄弟=再チャレンジ=自費出版

自転車の前のタイヤが早くも壊れた。
今月は出費が多く、体の調子も良くない。

高校生相手にマススパー(スパーリングの真似事)を2Rやっただけで死にそうになる。高校生はその後も続けて普通に何Rかミットやって普通の顔してるし。情けない…。

(手に入れた本など)
五島辰夫『世界史はこう整理してこう暗記する!』(文英道)
亀井高孝ほか『世界史年表・地図』(吉川弘文館)

亀田兄弟の難しさ

亀田兄弟は別に嫌いじゃない。興毅選手が東洋獲ったときのノーモーションのカウンターとか「おおっ」と思ったし。でも結果として、微妙なマッチメイクが多くのファンを失望させてしまった。誰が後で手綱を引いているのか知らないが、勝ち続けることがマーケティング的に有効だという判断があったのだろうか? 亀田兄弟は無敗であるにも関わらず、人気は衰える一方だ。ボクシング界を大きく盛り上げてくれた兄弟がこのような形で失速するのは、ボクシングファンとしては残念でならない。

その一番の原因は前哨戦という謎の興行である。格下と思われる相手と何度試合をしてもそれでファンの心が震えるはずがない。ランキングの上位には強い選手がゴロゴロいるし、そういう選手に勝たない限り強い選手とは認めてもらえない。当たり前の話である。興毅選手が弱いとは少しも思わないし、大毅選手が坂田選手に勝つ可能性だってある。だからこそ、彼らは強いと言われている相手と試合し、勝ち続けなければ本当の強さを証明することはできないのだ。ボクシングとはそういう儚いスポーツだと思うのだがどうだろうか?

「再チャレンジ」公務員試験に、フリーター殺到

何人が再チャレンジに失敗するんだろう…。

町田康さん「布袋寅泰さんに殴られた」と被害届提出

リングの上で決着だ!

自費出版と共同出版商法は根本的に違うのに…

livedoorニュースに自費出版に関するルポが上がっていた。

【ルポ】自費出版を持ち込んでみたが…。(上)
【ルポ】自費出版を持ち込んでみたが…。(中)
【ルポ】自費出版を持ち込んでみたが…。(下)

自費出版と共同出版商法は根本的に違う。最近の新風舎批判のレポートはそこがごっちゃになっているのではないだろうか。

問題を難しくしているのは、発行部数と印税の関係である。普通に考えれば自分たちの支払ったお金がそのまま制作費になっているのだから、流通させた本の売り上げの30−50%くらい(これを印税と呼ぶべきかどうかはわからんが)は受け取るべきだろう。さらにまた、500部を制作したとしても必ず500部が取次ぎを通るとは限らないため、残った分、返本された分は著者に戻すべきである。しかし、そういった詳細な説明はなく、500部が発行され、増刷分から印税が発生するという不可解な契約にサインしてしまう著者が後を立たない。

サインしたならそこで契約が成立しているわけで、売れないからといって文句言うのは筋違いだとも思うのだが、結果として共同出版商法が自費出版のイメージを大きく歪めてしまったように思えてならない。その点、文芸社はかなり軌道修正しているようにも思う。

Posted by Syun Osawa at 23:40

2007年07月25日

国立ロシア美術展

2007年4月28日−7月28日/東京都美術館

国立ロシア美術館展今回の絵画展を見て確信した。ロシア絵画と日本の漫画・アニメとの親和性はものすごく高い。

むろんロマン主義の影響がいちばん強い。むしろ強すぎて、その中に自閉している印象すら受ける。細密な部分ばかりにこだわり、妄想が肥大化しているような状況と言えばよいか。ともかくムンムンなのだ。構造的に見てどうか? なんてことはどうでもよく、ただただ絵の中に物語がある。まるで劇画を見ているようだ。だから極貧の労働者の生活とか、働く女性など傾向絵画的な作品も少なくないし、肖像画の中に「萌え」を喚起させるよう絵もあったりする。

僕はロシア・アヴァンギャルドの流れは好きだし、そこにあった政治的なイデオロギーと芸術の爆発の相互作用みたいなものにも惹かれている。だからといって、社会主義リアリズムのようなものを屑のような作品といって切り捨てる気持ちもサラサラないのは、今回の絵画展で提示されたようなロシア絵画が奥底に持っている物語への欲望が僕自身の欲望とも合致するからだろうと思う。

ロシア系の画家を僕はほとんど知らない。そのため14人の反乱の話も知らなかった。どの名前も似たり寄ったりでおぼえずらいが、ガイドに列挙された名前を頼りに、少しずつ彼らの作品を楽しんでいこうと思う。プロパガンダ絵画にせよプロレタリア絵画にせよ、傾向絵画のような作品は日本ではあまりお目にかかれないのが辛いところだ。

Posted by Syun Osawa at 00:21

2007年07月21日

電通の正体

週刊金曜日編集部/2005年/金曜日/A5

電通の正体テレビ、新聞にとって広告費はかかせないものである。そして、それを取りこぼしなく供給してくれる存在が大手広告代理店だ。そのため、政府にとって都合の悪い報道はできても、広告代理店にとって都合の悪いことは報道できない。そのことが日本メディアの弱い部分と言われてきた。

電通は日本最王手の広告代理店である。

しかも、電通の子会社には視聴率調査会社のビデオリサーチがある。ビデオリサーチから広告主にとって都合の良い調査情報を引き出し、営業活動を行う。なかなか上手いビジネスだと思う。しかも電通は業界2位の博報堂と比べても群を抜いた存在であるため、広告主がより大きな広告効果を期待できる電通に依頼するのもうなずける。

ただし、電通がメディアに対して独占的な地位にあることについては留意しておく必要があるだろう。というのもアメリカなどの広告代理店は広告を引き受けるとき、一業種に対して一社の広告を引き受けるのが慣習らしいからだ。一方、電通は一業種の中で複数の企業から広告を引き受けている。国鉄が民営化する際、国鉄側と労働組合側の両方からの依頼を受けていたというのだから笑い話である。

笑い話でおさまるならよいが、こうした寡占状況がメディアの広報戦略の足腰を弱めているとしたら問題だろう。一業種で一社の広告を引き受けるアメリカでは、当然広告代理店同士が激しいバトルを繰り広げることになる。そこで培われたノウハウが、『 ドキュメント戦争広告代理店 』につながっているのだとしたら、世界的視野で見たときこの寡占状態は解体されるべきだと(今のところ)思う。

ところで、小泉首相人気を語るとき、野党陣営はきまって広告代理店が引き合いに出し、政治的プロパガンダに敗れたという。残念ながら、政治が広告代理店を活用しているのは今に始まったことではない。しかも、自民党だけがそれを行っているわけでもない。野党側にはこういう見当違いのぬるい解釈はしないでもらいたい。

Posted by Syun Osawa at 22:18

2007年07月18日

内藤選手勝った!!

勝ったよ! ポンサクレックに!!
久しぶりにボクシングの試合で泣いたわー。

サービス残業な人たちを平然と無視して帰ったかいがあった。
こういう試合を見ないでどーするよって感じ。
元気もらいました。

Posted by Syun Osawa at 23:02

2007年07月17日

天皇=科学=自費出版=パクり?=無料公開

気になる科学ネタ で、今上天皇がロンドンで講演された「 リンネと日本の分類学 」の要約がネイチャーに掲載されたことを知った。また、1992年にもサイエンスに論文が掲載されている。これって凄いことだと思う。

昭和天皇もヒドロ虫類の研究をしていたし、秋篠宮はナマズの研究で有名だ。彼らはバリバリの理系なのだ。ここで先の ニセ科学フォーラム のイデオロギーについて考える。バリバリの理系であり、科学者であるということは、自分が神であるなどと思うはずがなく、良くも悪くも客観的な事実から物事を判断している人たちなのではないかと想像してしまう。

共産党の志位書記長が東大物理工学科卒であることもあわせて、いろいろと思いがよぎる。そして最後に浮かぶのは決まってこの疑問だ。

では一体、誰が踊ったのか?

誰が踊らせているかよりも、誰が踊っているのかが気になる今日この頃。

(手に入れた本など)
ブックレット『国立ロシア美術館展』(産経新聞社)
安西育郎『科学と非科学の間』(筑摩書房)
長山靖生編『海野十三 戦争小説傑作集』(中央公論社)
芳沢光雄『算数・数学が得意になる本』(講談社)
横山傳四郎『数字の詩』(葛飾書房)

フリーペーパー類では『GRAPHICATION No.151』(富士ゼロックス)、いつの間にかリニューアルして季刊になっていた『WB』(早稲田文学)、『scripta no.4』(紀伊國屋書店)、『熱風』(スタジオジブリ)など。

誰も本を殺しはしない

『scripta』では相変わらず上野嬢が残念な吼え方をされているが、それはさておき今回は都築響一さんの自費出版ネタが良かった。佐野眞一さんの『誰が本を殺すのか』以降、というよりも文芸社と新風社の共同出版批判以降、自費出版には常にネガティブなイメージがつきまとっていた。そして、それを誰も払拭しようとはしない。

市民系ニュースサイトでは連日のように新風舎叩きが行われ(大半がまっとうな批判である)、中には「本屋に行っても自分の本がないのは営業活動が足りないからだ」などという若干お門違いな批判まで出てくる始末だ。もちろん共同出版社側がそのように言っているのなら仕方ないが、一般書の流通部数は基本的に取次の窓口が決める。1000部をトーハンに依頼したからといって、そのまま1000部取り次いでくれるわけではない。売れないものなら当然、取次ぎされないことだってある。それ以外は書店と直で棚の契約でもしていない限りほとんど置かれることはない。当たり前の話である。

それでも、僕は自費出版に肯定的だ。その理由を都築響一さんが明快に書いておられた。

「丸山眞男」をひっぱたきたい

『論座』で話題になっていた原稿を 赤木智弘さん が公開された。ついでに 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」 も。どうせなら新たに原稿を追加して、文学フリマとかコミケで売ればよかったのに。無料で公開するにはもったいない代物だと思う。

竹熊さん、そのネタって…

竹熊さんご自身が連載されている宣伝誌で、内田某さんがそのような内容のエッセイを書かれていたように記憶していますけど…。まぁ、読者層が違いますからね。

本をブックオフに売らせないための習慣として

斎藤孝さんが三色ボールペンを使うのは,ブックオフに自著を売られないための戦略である。買った本に積極的に書き込みをさせることを国語の授業で行う。出版社も推進する(鉛筆を付録でつけたり…)。そういう習慣づけが本読みの習慣を新たなステージへ向かわせるかもしれない。

ところで…

世間は歴史歴史とうるさいが、学校で習うものなどすべて歴史じゃないか。数学の歴史、理科の歴史、国語の歴史。美術はどうだ? ん? 現代美術は一つのカテゴリなのか? 現代の美術だから現代美術なのか? ということは、いずれは現代美術と呼ばれなくなるということか? よくわからん名前だ。

Posted by Syun Osawa at 00:54

2007年07月14日

数学の歴史

森毅/1988年/講談社/文庫

数学の歴史難しかった…。

この本を読む前に、数学の歴史の本を読むべきだった。『 数の歴史 』のような手取り足取り本を期待していた自分が甘かった。やや玄人向けだったので、ある程度知識がないと彼独特のユーモアにも反応できない。それがちょっとくやしい。

できすぎた逸話に軽く突っ込みを入れながら、それぞれの時代の数学者たちが問題としたことを現代的解釈で優雅につむいでいく。また、章がすべて「いかなる時代が、新しい数学にふさわしかったか」というような問いの形式になっているのも著者もまた数学者であることを示している。いずれにせよ、僕には少しハードルが高かったので、もう少し知識を蓄えてから読まないと彼のユーモアをすべて楽しむことは難しいようだ。

受験数学みたいなものに関わっていると、自分が去勢された馬のように感じることがある。この本はそうした窮屈さを少しだけ開放してくれた。森毅さんの本はあと2冊読む予定。

Posted by Syun Osawa at 23:27

週末起業

藤井孝一/2003年/筑摩書房/新書

週末起業「週末起業」は心をくすぐる言葉だ。

たとえサラリーマンであっても、野心のある人ならば誰しも自分の力で生きて生きたいと思っているに違いない。先日『 金持ち父さん貧乏父さん 』を読んだあたりからお金について少しだけ考えるようになった。別にお金に苦労したという経験はないのだが、自分防衛策がタンス貯金と質素倹約というのでは心もとないからだ。

そんなサラリーマンの心を動かす週末起業。

うん、悪くない言葉だ。すぐに本を手にとり読んでみた。当たり前のことが書いてある。そうなのだ。この手の本はいつもまっとうなことが書いてあるのだ。「考え方」を変えることをすすめる内容で、感化されやすい者はテンションがちょっと上がる。

とはいえ、具体的な内容が書いてあるわけではないので、結局は自分防衛策は自分で見つけなければならない。ただ防衛するだけならばみんなと同じでいいのかもしれないが、自分防衛策は楽しくなくてはならない。だって楽しくなければ起業する意味はないはないから。そして、その楽しさが人それぞれである以上、防衛策も無数に存在することになる。

楽しく自己防衛。こう書くと、ちょっときな臭い感じになるな。

Posted by Syun Osawa at 00:13

2007年07月11日

ニセ科学フォーラム2007

2007年7月7日/13:00−18:00/学習院大学

ニセ科学のブームはこれまでスルーしていたが、近くでイベントが開かれるというので参加した。講演者のラインナップは小波秀雄、菊池誠、天羽優子、土佐幸子、左巻健男。マイナスイオンのような有名ネタから、ちょっと専門的なネタまで幅広く取り扱われており、初心者の僕にはなかなか興味のそそられるイベントだった。無料というのもありがたい。

ニセ科学をネタにする組織というとト学会が有名である。あちらはネタにして笑うことを目的としているのに対して、こちらはもう少し真面目。笑うだけでなく間違った科学への認識を改善させることが目的となっている。となれば、運動の様相を呈するわけで、イデオロギーがうっすら浮かび上がることもある。

それを右翼と左翼の二項対立で考えるのは間違いだと思う。右翼=唯心論、左翼=唯物論なんていうのも無茶な話で、対立軸の一方には広告代理店を据える必要があるだろう。科学的根拠があろうがなかろうが視聴率さえ取れればそちらが優先される。オウム事件以降もテレビ局はスピリチュアルなことや霊的なことを扱いたくて仕方がないのだ。

その日の夜『世界ふしぎ発見』を見た。アメリカ・グランドキャニオンの特集でレポーターの竹内海南江さんが滝で水浴びをしたときに「マイナスイオンがいっぱいー」と言っていた。根の深さというのはこういうところにある。ニセ科学は『ナウシカ』で言うところの腐海のようなものになりつつある。そして、それを助長する大手広告代理店はトルメキアのような存在だ。

Posted by Syun Osawa at 23:47

2007年07月06日

大変=CS3=NC=面白い対談=小室

会社って大変…。毎日が綱引き大会ですわ。

勢いに任せてFLACH CS3とノイズキャンセリング・ヘッドフォンを購入。まだほとんど触っていないが、MXから随分と進化してる印象。CS3をインストールしたら、なぜかFireFoxとThunderbirdのフォントが変わった。

ノイズキャンセリング・ヘッドフォンは思っていた以上にノイズが軽減されて驚いた。科学は進化しとるなぁ。

小林よしのり氏×萱野稔人×宮台真司

今週はこれでしょ。萱野稔人さんはヴィジュアル的に応援してるけど、小林よしのりさんの方が言葉に迫力がある感じ。引用より地の声の方が下々の人間には届いてしまうのだよ。

慰安婦問題

この問題は本当に不思議な経路をたどっている。

小室哲哉の今の仕事

華原ネタで2ちゃん見て知る。こういう感じになっているのか。「今、なぜ尾崎なのか?」みたいな特集は組まれて本になるのに、「今、なぜ小室なのか?」はない。だからちょっとひかれ始めている。

ライトノベルの物語と絵は別々に存在している

おいおい。

今日もどこかでブログ炎上

僕は少し納得したけど。

Posted by Syun Osawa at 00:27

2007年07月01日

異文化とコミュニケーション ― オタク国家・日本の危機

島田裕巳/1991年/日本評論社/四六判

異文化とコミュニケーション島田裕巳つながりで読んだ。超流し読み。

80年代にオタクという言葉が使われはじめたときと、2007年現在ではその言葉が持つイメージは変わっただろうか? 変わったとも言えるし、変わっていないとも言える。ただし、オタクを一つの団体と捉えると、いろいろな価値概念を取り込みながら巨大な組織になったことだけは間違いない。

島田裕巳によると今から16年前の1991年、オタクは以下のようにイメージされていた。

オタク族とは、適当にバイトをしながら、親のスネをかじり、親の与えてくれた個室に鍵をかけて閉じこもって、自分の趣味の世界に生きる若者たちのことをさす。かれらは、一般の人間からすれば、そのおもしろさが理解できないこと――売れないアイドルを追いかけたり、昔のアニメのビデオにこったりといったこと――をマニアックに追及する。かれらは、話し相手のことを「オタク」と他人行儀に呼び、緊密な人間関係が生まれることを回避しようとする。このオタク族という言葉には、そういった若者たちを批判しようとする社会の姿勢が現れている。

このイメージは今も変わっていない。ただし、オタク族はオタク族の中だけで相互扶助しあえるほどに巨大になってしまった。

数が増えれば、カッコいいオタク、お洒落なオタク、金持ちなオタク、高学歴なオタクも出現する。そして、特に世代が下になるごとに官僚化が進んでいく。核となるオタクのイメージは今も変わらないはずだが、組織の巨大化によって、オタクのイメージは平準化され、一般人と大差なくなってしまう。そうするとオタクのコア部分がなくなり、団体としての吸引力が薄れてしまうのだ。これって『 創価学会 』で読んだことと妙に似ている気がする。というか、自然の摂理なんだよね。おそらく。

Posted by Syun Osawa at 23:18