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2007年04月23日

マンガ 化学式に強くなる

原作:高松正勝/作画:鈴木みそ/2001年/講談社/新書

マンガ 化学式に強くなるやわらかめの教材を読むことがいつしか楽しみの一つになった。たいていの場合は自分の理想からすると不十分で、その原因を考えながら読んだり、改善点を想像しながら読むのだが、今回ばかりはマンガの点から見ても面白く、教材の点から見ても親切で大変わかりやすかった。何より力作という感じが伝わってきて印象も良かった。

明快なストーリーがあるわけではない。高校生の女子と大学生の男子(女子の友達の兄)の二人の会話だけで話が進んでいく。その点だけを考えると、とてもシンプルな教材マンガであり、悪く言えばつまらない作品になりがちである。ところがこの作品では、二人の関係を恋愛の面で強く引き寄せており、あくまでも化学が嫌いな女の子と化学が得意な男の子がたまたま化学の話をしているという状況設定にしたことで、教材臭さを上手に消していた。

マンガでわかる 微分・積分 』は新聞社を舞台にした物語の中に教材的視点を織り込むという工夫がなされていたが、今回はそのような構造的な工夫はなされていない。けれども、マンガとしての完成度に重点が置かれていたために、生徒役のキャラクターが学んだことに過剰反応するようなうそ臭い作品になっていなかった。このあたりは漫画家の力量が大きく関係しているのだろう。

理科的な分野をマンガで描く人は多くない。そうした状況の中で、鈴木みそさんは物理分野での続編も予定しているらしい。こちらも楽しみだ。

Posted by Syun Osawa at 22:34

2007年04月22日

芸術と戦争 − 従軍作家・画家たちの戦中と戦後

もりたなるお/2007年/産経新聞社/四六

芸術と戦争火野葦平からはじまって、藤田嗣治、横山大観、吉川英治、森鴎外、林芙美子など戦中・戦後を経験した文化人たちの足跡を追っている。しかもそれを芸術と戦争というフィルターで捉えているのだから、これは読むほかないと判断した。

著者が作家のためか、すべて小説形式で書かれている。まぁ、これは仕方ない。こういう類の本は結構ある。ただ、あとがきで著者が産経新聞の編集が企画したことを告白していることからもわかるように、踏み込み方が少し足りないようにい感じた。僕が一番期待していたのは、芸術家が戦争をどのように捉え、芸術との間で格闘したかというところだったので、その部分がサラッと流れてしまっていたところが残念だった。

よいところもあった。

産経が出しているということもあってか、変質した平和主義一辺倒みたいな内容ではなかったのはよかった。桜井忠温『肉弾』など、知らない本もたくさん紹介されていたし、今後このテーマを勉強をしていくうえでの一つの手がかりを示してくれるような本であった。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 09:50

2007年04月19日

ゲーム的リアリズムの誕生

東浩紀/2007年/講談社/新書

ゲーム的リアリズムの誕生一部のオタク界隈をにぎわせた『 動物化するポストモダン 』の続編。前著を読んだ頃は『 郵便的不安たち 』や『 網状言論F改 』なんかも含めていろいろ熱かったんだけど、今回は東さんがコミケで売っていた 同人誌 の延長上に綺麗にのった話だったので、スムーズに読み終えてしまった。

タイムリープ作品の変遷を発展させて、ゲーム的リアリズムの誕生として読み直す試みは刺激的だと思うし、列挙されていた作品に対する言及もなるほどと思わせる。特に今回はオタク全般というよりは、ライトノベルやビジュアルノベルを軸にした新しい文芸評論の試みといったところが前面に出ており、僕自身はただただ納得するほかなかった。

ただ、どこか熱気がないんだよなぁ。この先に何か面白い何かがありそうな感じがない。その理由は上記のような文芸評論の試みとして、環境分析を提唱しているからかもしれない。

環境分析とは、いわば、作家が言いたかったこと、作家が語ったことそのものを「解釈」するのではなく、作品をいちど作家の意図から切り離したうえで、作品と環境の相互作用を考慮し、作家にその作品をそのように作らせ、そのように語らせることになった、その無意識の力学を「分析」する読解法である。

ここからさらに踏み込んで作家を越えて超えてアッパーな方向に進んでくれたら、楽しみは広がるかもしれない。東さん自身、年齢的にもそろそろアッパー系に進むかダウナー系に進むかに分かれる頃だと思うし、少なくともこの本や最近出版された一群の本たちはその分岐点になることは間違いないだろう。

Posted by Syun Osawa at 23:13

2007年04月15日

ちょいワルの楽しみ方=限界キャラ=筑摩=分社化?

今週も本屋で立ち読み。

ちょいワル雑誌が自分の中でブームになっている。遅ればせながら、ようやく楽しみ方をわかったのだ。本屋でちょいワル雑誌を見ながらニヤニヤしている僕は相当気持ち悪いに違いないが、その読みの真なるところを知ってしまった今となっては、他人の目も気にして入られない。もっと早く気づけばよかった。つくってる人もギャグとして読めと裏メッセージを発しているはずだから。

宣伝誌『ちくま』(筑摩書房)に伊藤剛さんが「ゆるキャラから限界キャラへ」というコラムを書いていた。さすがはこの分野の先端を行っているだけあって面白い。彼が指摘した限界キャラの限界とは「キャラ」と「シンボルマーク」の間ということを示しているのだろうか。だとするとプリンスがやったことは相当にメタだったのだなぁと今更ながら思う。

宣伝誌『熱風』(ジブリ)は落語特集。なんと山下達郎さんが寄稿しているではないか! これは貴重ですぞ。宣伝誌『UP』(東京大学出版会)は東大教員によるブックガイドが掲載されている。無料誌ばっかりでもこれくらい楽しめてしまうんだから貧乏人にはありがたい世の中になったと思います。

あとは英語か…。

英語の勉強をどこから始めようかと考えていて、とりあえずリア・ディゾンのブログ から始めてみようと思う。口語体の翻訳って悪くないし。

(手に入れた本など)
シーズ『HTML & CSS』(MdN)
FORM::PROCESS『Flash Creative Workshop』(ソフトバンク)
田中一生『バルカンの心』(彩流社)

筑摩書房の奇跡の復活

POSシステムでがっちり管理。売れるものを売っていく。当たり前の話ですが、プライドとかあっていろいろ大変なのではと思ってしまう。売らんかな商売しかしないのに、さもそのようには企画・編集していないかのごとく振舞いながら仕事しないといけないレベルのブランドだから。もはやWinnyのまとめサイトが文藝新書から出るくらいだから、何でもありなんでしょうけど。

コミックス・ウェーブが分社化するらしい

分社化というよりは売ったのかな。ところで竹内宏彰さんはどうなるのだろう…。

ネット右翼はどういったタイプの宗教なのだろう?

ナショナリズム=宗教というのは納得。で、ネット右翼はどのような教義に感じている人たちなのだろうか? 嫌韓、嫌中、反共、反創価学会というだけでは宗教とまでは呼べないと思うし…。

いや…まぁ、めっちゃ楽しみですが…

前に日本アニメーション協会で似たような企画(15秒だったかな?)がありましたが、1分ということはそれなりに金もかかっているのでしょう。個人的には3分しばりでやってほしかったところですが…。

ヤベェ…泣きそう

小心者の杖日記 で知る。こういうのを見ると懐かしさにやられてしまうのでよくない。この前、テレビでミスチルが「Tomorrow Never Knows」を歌ってたときもヤバかった。

Posted by Syun Osawa at 23:38

2007年04月10日

幕末機関説いろはにほへと(全26話)

監督:高橋良輔/2006−2007年/日本/アニメ

いろはにほへと数年前には考えもしなかったネットでのアニメ視聴が、今では当たり前のものになっている。

テレビシリーズだったりOVAの再放送をネットで見ることができるのは大変便利だ。そしてついに、ネット発のオリジナルアニメまで登場するようになった。完全なオリジナル作品をシリーズを通して見るという意味で、『いろはにほへと』は僕にとって初めての体験となった。

ただし、回が進むにつれてなぜか僕のテンションは下がっていった。きっと剣客商売的なエンターテイメントを期待していたからだろう。それは僕の勝手な思い込みであり、つくったほうには何の責任もない。ただ、第一話がそのような思わせぶりなつくりだったし、期待感をあおっていただけに、冗長なその後の展開には「おいおい」という気がしないでもない。

以下、各話の感想メモ。

第01話 凶星奔る

キャラクターも好きだし、時代背景も好き。山岡鉄斎がぞんざいな扱われ方をしていたところを除けば期待感は膨らむ一方。これは見るしかないな。

第02話 地割剣嗤う

幕末の混沌とした雰囲気が出てよい。殺陣のシーンでもそこそこ緊迫感ある。地割剣の使い手をよってたかって殺しにかかる感じが非情な感じとかも含めて。仇討ちアニメとして正しいかどうかはわからんが…。主人公の秋月耀次郎と赫之丈一座の面々のキャラが固まりつつある。秋月は坂本龍馬の用心棒を務めながら、坂本を死なせてしまった男らしい。

第03話 石鶴桜都々逸

勝海舟が理由ありな感じで登場。当たり前か。殺陣シーンのアクションはよかったが、若干停滞気味な回だった。

第04話 裏疑獄異聞

演劇中に暗殺者が座長の命を狙う。昔、何かの映画で見た気が…w 暗殺者が凄腕のはずなのに、やたらドン臭かったなぁ。1、2話で期待が膨らみすぎたためか、3、4話は少しだけトーンダウン。普通に「必殺仕事人」をやればいいんではとか、いい加減なことを思ったり思わなかったり。

第05話 守護鬼放たる

遊郭での戦いは圧巻。魔法陣や信長が出てきたりでトンデモな展開に期待感あり。少しついていけなくなってきたが。あと尊皇攘夷的なエピソードが少なく、幕末の印象が薄いのが気がかり。

第06話 楽日燃ゆ

複数の場所でドラマが同時進行する。だんだん幕末めいてきた。天狗党(山岡に続いて扱いが低いw)の残党なども出てきて、何かが動こうとしているという時代の雰囲気はある。秋月の印象はまだ薄い。そして覇者の首の印象も同時に薄い。やっぱり普通に必殺仕事人で…。

第07話 蒼鉄動く

勝と西郷の会談の席に中居屋が登場。なかなか面白くなってきた。登場人物が多かったので、これまで相関関係が上手くつかめなかったが、だいたいわかってきた。剣客や用心棒の戦いに関しては、2話のときに針尾を全員でよってたかって殺したシビアな感じとかがあまり出ていない。

第08話 仇討本懐なる

中居屋死す。覇者の首が活躍。一座の脚本家・蒼鉄が覇者の首を奪う。キャラクターの関係はある程度明確になり、物語の動きも良くなった感じ。この回で勝と西郷が一気に陳腐な存在になってしまった。秋月と神無左の対決が気合入っていてよかったのだが、二挺拳銃の使い手である神無左が至近距離から弾を外しまくるというのが気になった。

第09話 黒猫哭く

沖田総司登場。鳥羽伏見の戦い以降の幕府軍敗戦の時代。新政府軍が政府軍に置き換わっていく時代を描いている。そういう作品をあまり見たことがないので、かなり楽しい。今回は赫之丈一座は活躍なし。秋月のキャラはいまだ弱い。

第10話 上野陥つ

上野戦争が出てきた。このあたりの時代考証とかが好きなので、そっちに興味が行ってしまう。中居屋が生きていたので、赫之丈一座がもう一芝居(仇討ち)することになった。秋月は相変わらずキャラが弱い。官軍とか幕府軍とかの関係性を知らない人が見ると、判然としないのではないかと思うけど余計なお世話か。

第11話 一座ふたたび仮櫓

うーん。歳なのか。幕末の大きな物語に翻弄される人々のドラマを軸にしつつ、その大きな物語にファンタジーの要素を加えて補強する。よくあるパターンのアニメであり、『 妖刀伝 』しかり、僕が好きなジャンルでもある。うーん、歳なのかこの作品はそのあたりの絡め方がちょっと難しいなぁ。回が進むごとに赫之丈一座の小さな物語になっている気がする。

第12話 竜馬之言伝

うーん、うーん。ちょっと中だるみしてきた。戊辰戦争の幕府軍の悲哀と赫之丈一座の中で起こっている覇者の首を巡る対立がなかなかつながらん。芝居と物語のクロスオーバーもあまりしっくりこない。この調子だと恋話もなさそうだな。

第13話 覇者の首入魂

中盤のクライマックス? 恵比須が死亡。中居屋も二度目の死亡。そこに至る展開が大胆すぎて笑った。戊辰戦争とかどうでもよくなるくらいにわやくちゃ展開。こういうの嫌いじゃない。しかも覇者の首をかぶったのは、榎本武楊だった。なるほど戊辰戦争をそういう位置づけにするのか。覇者の首をかかぶる人間は非業の死を遂げると勝手にイメージしていたのでちょっと意外ではあるが。

第14話 北へ

榎本の言葉が何だか恣意的。神無左と遊山赫之丈が兄弟っぽいイメージシーンが入る。とか思ってたら、場違いな5人が登場。一気にストーリーが実際の歴史を逸れ、エンターテイメントの盛り上がりに進みだした感じ。英仏の覇権争いも始まる。モテモテの秋月の恋愛エピソードも始まる?

第15話 秘刀共鳴す

前半は中だるみしつつ、二人の恋愛エピソードが進む。後半は覇者の首を巡るオカルトな展開。戊辰戦争そっちのけではあるが。深くは突っ込まないが、原画が一番タイトな時期なのだろうか?

第16話 同行四人

そのままのタイトル。白虎隊の一人が姉の住む米沢へ向かう途中、土方歳三、秋月&赫之丈と出会う。米沢はすでに新政府軍の占領下にあるため、土方と秋月が三文芝居をうつ。坂本竜馬の用心棒が沖田、土方、白虎隊と会うのか。凄い展開やね。覇者の首は出てこず。

第17話 議無用なり

土方歳三と茨木蒼鉄が出会う。榎本と茨木は徳川が滅びた後の世界を見据えていることが明らかになった。茨木は土方に共闘を呼びかける。同じ場所にいる秋月&赫之丈は相変わらずピンチも薄く、キャラが薄い。このところの話数はストーリーの繋ぎにあてられているためか、中だるみ気味。

第18話 宿命哀れなり

ここ数話の中では最も大きく展開した回だった。前半の秋月と赫之丈が剣を合わせた瞬間の間って凄く重要なんだろうけど、そこを台詞なしで表現するのはやはりアニメでは難しいのだろうか。後半は全員集合のアクション。秋月が斬られて海に落ちるなどの危機的展開もよかった。赫之丈はそのまま船に残るつもりだろうか…立ち位置が相変わらず判然としない。

第19話 赫逆の五芒星

土方らが五稜郭へ到着。赫之丈一座も再集結して、クライマックスへ向けての準備が整いつつある。今回はじめて劇中歌が流れた。秋月は刀を持ったまま浜に打ち上げられていたが、ああいう状態で打ち上げられて死なないのはテレビアニメの世界だけだよなぁ。しかもうつ伏せだし息はどうやってしてたのかと。ともかく、クライマックスへ向けて三文芝居がまた上演されることになった模様。

第20話 波浪ありて

松前藩に一撃を食らわし、蝦夷共和国が樹立した。覇者の首をかぶった榎本と土方の運命やいかに? という大きな物語と秋月の小さな物語。秋月のほうは、坂本竜馬とのエピソードを繰り返し使っているところを見ると、ようするに「己の宿命の真なるを知るための旅」=「自分探し」という演出なのか。アニメ作品としての興味はかなり失いつつあるが、蝦夷共和国に対しては俄然興味がわいてきた今日この頃。ただ本はあまり出てないみたい。

第21話 海峡渡る

黒田了介が登場。展開が完全に「新説・戊辰戦争」という感じになってきた。戊辰戦争のアニメ化ということ事態は歓迎である。ただし、僕がこのアニメを見始めた最初のきっかけである仇討ち芝居や秋月の剣豪列伝みたいなものは完全に傍流になってしまっている。小さな物語が大きな物語に飲み込まれていくということなのかもしれないが、全体として印象薄の感は否めない。

第22話 北の邂逅

物語の大枠に実在の歴史を用いているわけであるから、作品の作り方が帰納法的であるのは仕方ない。そこにキャラクターを登場させ、演繹的な物語を演出する。僕が感じる違和感は、結局のところ演繹的なところが足りないからなのだと思う。宮崎駿さんの作品に感動するのは、その演繹的な演出が冴えわたっているからなんだろうとこの作品を見てつくづく思う。芝居と時代のうねりを同時並行的にすすめていくロマン主義的な展開が嫌いじゃないだけに、もう少しミクロな話を大事にしてほしい。

第23話 箱館はあかく

英国軍特殊部隊が榎本と直接対決。ここでようやく榎本のアクションシーンが拝めた。めっちゃ強い。物語の方向性は相変わらずよくわからん。

第24話 色は匂へど

土方死す。秋月と神無左の対決。五稜郭がとんでもないことになっているが、僕の気持ちはすっかり焦燥気味。物語の展開だと榎本は死ぬような雰囲気だが、実際には新政府の仲間入りするんだよなぁ。蝦夷共和国そのものには俄然興味がわいている。

第25話 五稜郭浮上す

一気にSFになった。今まで引っ張った時代考証は何だったんだというくらいの展開。盛り上がるはずが、僕自身は盛り下がっているから不思議。秋月と赫之丈が宿命のライバルだったことが判明。

第26話 海の向こうへ

ラピュタか! 茨木蒼鉄が覇者の首をかぶり、そのあとすぐに秋月との対決で死ぬ。覇者の首も封印されてサクッと終了。長い間、覇者の首をかぶっていた榎本のその後に触れてよ。あれだと死んだように思うじゃん。

あと最後に「(覇者の)首を使ってつくられる国家など…」という台詞があるが、国家とは暴力そのものであることを考えれば、覇者の首を使ってつくられる国家も明治政府も大きな違いはない、という結論にしてほしかったところ。

Posted by Syun Osawa at 23:47

2007年04月08日

イライラ=復帰=人工衛星=業界紙

自然音だけのネットラジオを探している。

意外に見つからない。需要は確実にあるはずなのに…。

今週はいろんな件でイライラがつのった。そういう感情は波及するもので、愛用しているHatenaのRSSがすごく横着に感じる。登録サイト順にまとめて表示するばっかりで、ちゃんと更新日ごとに表示してくれない。

新宿の紀伊國屋本店で『RikaTan』を発見。

買うつもりだったんだけど…手が出なかった。

仕事でWeb関連のこともやるようになってしまったため、数ヶ月ぶりにFLASHを触った。新たに教本も買ったし、また真剣に取り組んでみようと思う。『無人間』も『二代目』も実はあきらめてはいない。

人口衛星が落ちてきたアニメ

すげぇ迫力ある! 3Dアニメいいなぁ。人工衛星だったら、どうやって大気圏を抜けたんだとか、最後のミサイルで完全に空中で粉砕するのは無理だろとかいろいろ思いはしますが、いい感じの作品。

オリコンは業界紙

その視点をすっかり忘れていた。業界紙ならジャニーズの件も仕方ない。

コナンで国策

産経によると、冊子は16ページで5000部作製され、費用は約500万円らしい。相場を知っていると、小学館と青山さんに払われた金額を推測することができる。青山さんにしてははした金だろう。なぜ受けたんだろう? 大塚英志さんの喜びそうなネタではある。

Posted by Syun Osawa at 22:54

2007年04月04日

イタリア・マフィア

シルヴィオ・ピエルサンティ/訳:朝田今日子/2007年/筑摩書房/新書

イタリア・マフィア本屋で見かけて即買い。

マフィアの大物だったブシェッタが改心したことで始まったマフィアの大粛清。この事件が起きたのは90年代の前半で、そこから連鎖的に多くのマフィアが逮捕された。また、その頃よりイタリア系以外のマフィアが国際的に台頭してきたため、僕の関心もイタリア・マフィアからロシア・マフィアなどに流れていた。

だが、イタリア・マフィアはまだまだ熱かった。

この本では戦後から現在に至るマフィアの動きをサクッと眺めることができる。とくに大粛清以降、ベルルスコーニ落選後のプロヴェンツァーノ逮捕までの話が書かれているのがいい。プロヴェンツァーノはトト・リーナ後にシチリアを牛耳った男。逃亡生活43年という肩書きでありながら、逮捕されたとき、彼は普通にシチリアで生活していた。警察がもちろんそれを知らないはずはない。マフィアが後押ししたベルルスコーニが落選した直後に彼が逮捕されたところを考えても、この二つの事柄がまったく無関係でないことが伺える。

マフィアは簡単に人を殺す。そして、自分自身も簡単に死んでしまう。はっきり言って無茶苦茶だ。それにも関わらず、どうしようもなく惹かれてしまう自分がいる。もちろんマフィアだけではない。そんな恐ろしいマフィアが牛耳るシチリアで、殺されるとわかっていても勇敢に立ち向かうファルコーネのような検察官がいることにも感銘を受けるのだ。彼らの死を恐れない態度。どうしてそんな態度をとることができるのか。家族を守るための態度なら僕にも理解できる。だがそうではないのだ。僕がマフィア関連の本を好んで読むのは、この部分に生きるヒントを見つけようとしているからなのかもしれない。

Posted by Syun Osawa at 23:22

2007年04月01日

中国マンガ=3Dアニメ=押すな=困った遥

『論座 2007年5月号』に篠山紀信さんと綿矢りささんの対談が載っていた。激写とあったので、紀信ならエロいのをやってくれるに違いないと興奮してたのに大したことはなかった。

宣伝誌『本』(講談社)には東浩紀さんが『ゲーム的リアリズムの誕生』に関するコラムを書いていた。『ゲーム的』はまだ読んでないけど、目次を見るかぎりは言及している作品の多くがエロゲーム。エロゲームは何するものかって言ったら、オナニーするためのゲームなわけで、もちろんそこに何やらを見つけるのはいいのだけど、その本筋を狂牛病で牛の背骨を抜くみたいにズコッと引っこ抜いていいのかなぁと思ったりもする。まぁ…読んでないから何ともアレだけど。

(手に入れた本など)
『まんがひみつ科学マガジン』(学習研究社)
『NATIONAL GEOGRAPHIC 2007年4月号』(日経NG社)
司馬遼太郎『殉死』(文藝春秋)
手塚治虫『ロストワールド』(角川書店)

『まんがひみつ科学マガジン』(学習研究社)はあさりよしとおさんの「まんがサイエンス」だったり柳田理科雄さんだったりと、お馴染みのところが上手くチョイスされている。ただ、ここから先に一歩踏み出す企画物がないんだよな。このムックだってナンクロの増刊号として出されているし、学研のこのあたりの動きって何か不思議。楽しみにしていた『RikaTan 創刊号』は新宿のどの大型書店にも置いてなかった。

すげーいい感じになってる!

『robot』なんかに掲載されていても少しも不思議ではない。彼女のような海外のBD作家を積極的に召集してくれたら『robot』も買うんだけど。

Astronauts

Matthew Walkerさんによる3Dアニメ。「esDo Not Prs」とはそういう意味だったのか!

デジハリとは方向性が違うのか…

森田宏幸さんが講師をされるのなら、何をおいてでも受講したいと思うのが普通だと思ってました。

共産主義が見た夢

コメント欄が素人に大変わかりやすい感じに展開している。

本当は結婚したいんでしょ?

人の勘所って様々ですなぁ。遥さんも若干、セカイ系入ってて、いずれは田島陽子さんのようになるのだろう。いずれにせよ彼女たちはアッパー系である。

面倒くさいトークショー

実はこのイベントに参加していた。

Posted by Syun Osawa at 22:41