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2006年02月27日

藤田嗣治芸術試論 ― 藤田嗣治直話

夏堀全弘/2004年/三好企画/書籍/A5

藤田嗣治芸術試論気合入りまくりの芸術論。

1929年生まれの著者が20代の頃に書いた「藤田嗣治芸術論」を、フランスへ移住した藤田嗣治さんのもとへ送り、多数の書き込みを貰った後で返送されてきた代物。おそらくこの本は、そこからさらに夏堀さんによって手を加えられたものなんだと思う。芸術論なんてほとんど読んだことがないので読むのにかなり苦労したが、著者の藤田嗣治さんへの愛がガンガン押し寄せてきて、心の奥底にズシンと残った。

著者が藤田嗣治さんへ向ける愛情は、僕の中にもある。それは例えば、藤田さんは自分自身を「職人」と言っているところだったりする。宮崎駿さんもフランスで行なわれた「宮崎駿―メビウス」展の対談で自分のことを「職人の親分」と言っていて、そういう気質のある人が好きなんだろうな(たぶん)。

藤田さんはこの点について『美術時代』(1937年)の中で

具象を表現する造形技術の不足が、精神力によつて補はれるとは信じられない。(中略)メチエ(技巧)の不足を色彩や歪曲で誤魔化したと見得る絵が相当に多いことは反駁の余地がないであらう。

と語っており、夏堀さんもそこから

「腕一本」ろくに描けぬものに一体絵が描けるものか、というレアリストとしての藤田の気概が充分にうかがえる。

と読み取っている。この本の中に流れている芸術論は江戸の浮世絵の神がかり的な職人技の中に芸術性を見つけることであり、その正統な系譜の中に藤田嗣治さんを見出しているところなんだろう。ただ、「職人(アルチザン)」というのは、美術家の中では侮蔑的な意味でもあるらしい。戦争画とも絡めて、戦後、そっちの嫌味が藤田さんに多く投げつけられたことは、結果的に日本の美術界にとってはマイナスにしかならなかったようにも思える。

戦争記録画はパリ帰りの洋画家たちを巻き込み、多くの画家たちによって描かれた。当時の日本の画壇は悪く言えば西洋の猿真似の域を出ることができず脆弱だった。そこへ藤田嗣治が止めを刺した。軍部の圧力ももちろん忘れてはいけないが、夏堀さんの

西欧的な様式の翻訳趣味に多く依存していた日本洋画壇の根底の浅さが原因だったのではあるまいかとも思われるが、この日本洋画壇における根底の浅さが、藤田などの戦争記録画に容易に主導権を取られた一つの原因となってしまった。

という指摘は、戦後美術の悲しみを見ているとなかなか的を射ているようにも思える。なぜなら戦争画の問題は何度も何度も繰り返し論じられているからだ。夏堀さんは言う。

すぐれた戦争画は、軍の戦争完遂の目的のためという戦争画の倫理的な枠を、その自己の芸術性の自律性によって打ちこわしてゆくという、皮肉にも軍部の戦争完遂の意向とは正に正反対の路線をとるに至った。

戦争画の戦争責任論は論外としても「アルチザン」批判は結果として日本の美術を大きく傷つけたように思う。なぜなら漫画・アニメはアルチザン以外の何ものでもないからだ。藤田はアルチザンを肯定し、なおかつ世界を席巻する芸術作品を数多く残した。そしてその思想がそのまま漫画やアニメに受け継がれた。素人なのでそのあたりを上手に言えないけど、たぶんそう見るべきだと思う。そう考えると、漫画やアニメの文化を現代美術に取り込んでいる村上隆さんや美術評論家の椹木野衣などの活動は日本の美術界にとって二重の悲しみを生む可能性も秘めてそうな気が…。

それはさておき、この本には何度も何度も似たような話が繰り返される。それは藤田さん自身書き込みの中で繰り返しが多いことを指摘している。そのため僕には本全体の趣旨を見通すことが難しかったんだけど、最終的に僕が作者から得た思いというのは以下の言葉にある。

私は藤田の絵から、絵を描くということは、深く愛することと同意義なることを学ぶであろう。何を描くかという以前に、何を最も愛するかが問題なのだ。そして、その愛を無限に深めてゆくことなのだ。タゴールの言うごとく、「吾々は愛の中に全世界を実感しなければならぬのだ。なぜなら、愛が全世界を生み、それを育て、それを自分の懐へと帰すのだからだ。」

相変わらずの浪花節でw

PS.

本書のあとがきに以下の言葉を見つけた。

本書の出版の前に知らないうちに一部が公表されたことは、夏堀もきっと悲しかったと思います。

これは何だろうか? もちろん法律違反を犯しているとか、作品の優劣だとか、そういう意味ではない。そうではなくて、こうした行為は藤田嗣治さんが最も嫌う行為なのではないだろうか?

講談社ノンフィクション賞を受賞した『 藤田嗣治 ―「異邦人」の生涯 』(近藤史人/講談社)では夏堀さんの未発表原稿を引用している。僕は この本の感想 にちょっとだけ嫌味を書いたけど…まぁ、あまり深くは追求しません。

なぜ藤田さんは無名の夏堀さんの原稿に書き込みをしたのか? 優れた評論だったからだろうか? 僕は夏堀さんの「藤田論」に取り組む真摯な態度に心打たれたからだと思っている。やっぱ浪花節ですよ(2回目)。

(追記)2006年04月02日
『パリの異邦人〜画家・藤田嗣治の二十世紀』(NHK/16:45-18:00)という番組で、エンドロールに夏堀邦子さんの名前を見つけた。ディレクターは近藤史人さん。杞憂だったようだ。失礼しました。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 01:30

2006年02月25日

拾荒先生にガチでサイン貰う

うかつにも捨荒と拾荒を間違え続けてました(意味が全然違う)。

「Pobaby」の「Po」の発音は、「プー」ではなく「ポ」だそうです。ほかにもfpsの数値や画面サイズ、書き出しのファイル形式など、マニアックなことを聞きまくり。嬉しい。

全ての人に感謝。

Posted by Syun Osawa at 00:22

2006年02月23日

ちょっと凄い話

週末に三鷹で開催される インディーズアニメフェスタ に『 Pobaby 』の拾荒先生がやって来る。噂によると小小も来る可能性があったとか。

アジアのインディーズアニメという枠組みは定義もあいまいで、僕には話が大き過ぎて難しかったりもしますが、FLASHアニメに関しては間違いなく海外の一線級のFLASH作家がやって来るわけで、楽しみです。

Posted by Syun Osawa at 01:02

2006年02月20日

NAGASAKI 1945 ― アンゼラスの鐘

監督・脚本:有原誠治/2005年/日本/アニメ

NAGASAKI 1945『火垂るの墓』と『はだしのゲン』はやっぱし凄い作品だったんだなぁ。

虫プロの制作なんでちょっと期待してたのに。まぁ…痛い痛い痛い、辛い辛い辛い、悲しい悲しい悲しい、可哀想可哀想可哀想可哀想。戦争って怖い。原爆って怖い。だから戦争反対。まぁ…そうなんでしょうけどね。

戦争を知らない子どもの子どもとしては、これを見て「平和って大事なんだなぁ」とはならんのだなぁ。特にアニメでは。これを伝えたければ実写映像で死後硬直した人間がブルドーザーで生ゴミみたいに穴に落とされるシーンを見せた方がいいと思う。

『はだしのゲン』にしても『火垂るの墓』にしても、僕なんかが感情移入するのは兄弟の部分であって、そこに感情移入してるからこそ彼らに降りかかる苦難が悲しいわけで。しかも僕の場合は、戦争がどうのこうのというよりは悲劇として受け止めてしまうし、そういう物語の中に兄弟や人間の愛を見つける方に目が行く。

この映画の場合は、過去の戦争を古典的な形で反戦の道具に使っているという印象を受けた。イラクやアフガニスタン、ユーゴスラビアなどの今の戦争ではなく、60年も前の戦争で子どもにリアリティを感じさせるのは難しいと思うがどうなんだろう…。ちなみに僕は、核兵器には絶対反対派。それは小学生のときに見た「原爆展」がトラウマになってるから。チマチマ撃ち合う戦争は人間である以上、その可能性自体は否定しないが、核兵器は酷すぎる。そういう意味では世界中の子どもに「原爆展」を見せてがっつり去勢するのが一番いい方策かも。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 00:53

2006年02月18日

ディズニー・ドリームの発想(上・下巻)

マイケル・アイズナー/2000年/徳間書店

ディズニー・ドリームの発想鈴木敏夫さんの目指す先か?

ディズニー社CEO兼会長が自らディズニー型のコンテンツ・ビジネスの裏舞台を語った半自伝本。上下巻のぶ厚い本にもかかわらず、あまりの面白さに一気に読んでしまった。こういうのを読んでしまうとどうしてもジブリと重ねてしまうわけだ。超雑にその横顔を追うと…。

ディズニーの会長だからエリート教育を受けて順風満帆に下から上がってきた人かと思えばそうじゃない。大学を出たが職にありつけず、パリで脚本家を目指すも挫折して、アメリカに戻る。そして業界関係者に手紙を送りまくって(この数が半端じゃない)テレビ局の下っ端のアルバイトとして業界に入る。テレビ局でキャリアを積み、パラマウント・ピクチャーズへ。そこで『フラッシュダンス』『インディージョーンズ』などを数々のヒット作を作る。その後、ディズニーにヘッドハンティングされた。つまりディズニーとは縁もゆかりもない。知る人ぞ知るジャクソン5のアニメを作ったのもABC時代の彼だし、『ビバリー・ヒルズコップ』の原案を作ったのも彼だったらしい。

パラマウントからディズニーに移る際、部下のジェフリー・カッツェンバーグも一緒にディズニーに移る。二人はディズニーで実写映画に力を入れる。ここで作られたのが『いまを生きる』。凄いねー。彼らがディズニーに来たことで、トム・ハンクスやロビン・ウィリアムズがディズニーアニメの声優をやるんですな。

その後、権力争いの果てにジェフリーとは袂を分かつことになる。ディズニーを去ったジェフリーが作った会社が「ドリームワークス」。後に、『シュレック』や『アイスエイジ』を作る。みんな凄すぎ。

日本ではアニメの学校を国が支援してうんぬんかんぬんというのが花盛りのようだが、少なくともアメリカでは業界の中で、躊躇のない人事(30歳そこそこでCEOとか)などによって揉まれていく仕組みがあるのであって、改革が迫られているのはむしろそこなんではないかと思ったりもする。つまり放送局と大手広告代理店のシェア独占と、買収も政権交代も起こらない動脈硬化状態が最大のガンなんではと思う。

こういう凄い半生を見た上で、日本のディズニーことジブリを眺めてみると見えてくるものがあるんじゃなかろうか。世間では宮崎駿さんの息子が監督をすることで世襲、世襲と騒いでいるようだが、実はそんな事は関係ない。宮崎駿さんが生きているうちはどこまでも宮崎駿さんが中心に回っていくのだ。そしてディズニーがウォルト・ディズニーのブランドであるように、ジブリは宮崎駿さんと高畑勲さんのブランドで運営されていき、それにプラスアルファを加えるのは外部のやり手ということになるんだろう。つまり、世襲も糞もないのだ。そこは市場が判断を下すのであって、たとえ息子が後を継いだとしても経営状態が芳しくなければ放り出されるような健全な組織を組み上げることが重要なのである。作るべきはジブリブランドの価値をいかに高めるかにしかないのだ。と、書いておきつつも、僕自身はこういう話は全然好きじゃないし、デジタルコンテンツの未来語りに援用されることも好きじゃないのだが。

著者のマイケル・アイズナーさんの凄いところは、ディズニー・ブランドのシナジー効果を利用した世界戦略を屈託なくやっていることだ。どこまでもチャレンジングに、ABCを買収し、ホッケーチームや野球チームを買収し、世界中にディズニーランドを作り続ける(マクドナルドやコカコーラのように)。毎朝ディズニーのラジオを聴きながら出社する彼のディズニーへの愛に、ちょっとだけ恐ろしさも感じる(さらにジブリの「鈴木チーム」にも一発変換できてしまうことも…)。

ちなみに彼は今もディズニーの会長である。そして、ディズニーの存在のありかであった手描きのアニメーション部門を切り捨て、CGアニメに注力する決断もした。もちろんビジネスのための決断だ。そしてファンの僕にとっては悲しい決断でもあった。

現在のディズニーアニメの主軸になっている3Dアニメはディズニーの新しい礎を築けるだろうか? ピクサーの買収はディズニーブランドを食い尽くしたディズニーの「終わりの始まり」としての役割を担っている。

最後に、マイケル・アイズナーさんの言葉で、今のアニメ業界に跋扈する学者や役人にも繋がる文章があったのでちょっとだけ引用。

ディズニー社のような会社の創設者は、大半が独創力のある企業家です。しかし、やがて創設者が亡くなったり放り出されたり、あるいは、ほかの道に進んでいったりする。すると当然、あとは事業の―つまり経営の―専門家が引き受けることになります。独創的なアイディアは持っていませんから、自分の周囲に分析能力のある者や経理の専門家を集めておいて、独創力のある人々を支配し、コストを切り詰めようとします。そうして、変革を目指す動きや新しい独創的なアイディア、再発見をことごとくつぶしていくのです。

いろいろ思い浮かぶ人がいる…以下略。

Posted by Syun Osawa at 00:05

2006年02月16日

あみすけデビュー☆

仕事の帰りに小清水亜美さんのCDデビューイベントへ

『エウレカセブン』が僕に教えてくれたのは物語の世界ではなく、声優の世界だったという、すごく現実的でかつ非現実なオチ。イベントの司会に三瓶由布子(レントン役)さんも来ており、それなんてまんまレントンで感激。あみすけは『 乙女ちっく TV 』で見たまんまの天然キャラだった(2割増)。完ギャル。超足長い。

個人的には 小清水亜美(アネモネ役)さんと、ブログの素敵さが木村カエラさんを超えていると思う 水沢史絵(ギジェット役)さんのコンボが最強で、これに名塚佳織(エウレカ役)さんなんかも加わるんだから大変。この4人、アイドルオタクの心を打つ素敵なビジュアルもさることながら、みんな演技が素晴らしいというのも重要ポイント。

イベントの中では三瓶さんや門脇舞さんを加えた「20歳ユニット」について言及していて、「ラムズの…」ってあたりでクローバーの話でもするんかと思ったら、酒井香奈子さんも加えてユニット組もうよ。みたいな話をしてた(薄い記憶)。

Posted by Syun Osawa at 00:25

2006年02月14日

美術手帖 1977年9月号

美術出版社/雑誌/A5
特集:戦争と美術―戦争画の史的土壌

美術手帖 1997年9月号古本屋を巡ると、戦争画関連の話題が盛り上がったのは1970年代と1990年代らしいことがわかってくる。1970年代に盛り上がったのは大きく分けて2回。

アメリカに接収された戦争画が「永久貸与」という形で返還された1970年と、それらの戦争画のうち50点あまりを東京国立近代美術館で一般公開しようとしたものの、曖昧な理由で公開中止になってしまった1977年3月。1990年代の方は湾岸戦争とPKO法案のあたりらしい。

この雑誌での特集は、2度目の盛り上がり時期に組まれた特集のようだ。一番最初に掲載されている針生一郎「われらの内なる戦争画」で提起されている問題は、今も変わらず残っている。それは戦争画は克服されたか? という問題。

わたしの持論によれば、戦争中の「滅私奉公」の裏返しで、戦後の日本人は私的欲望の充足を「自由」と考え、依然として私的欲望をこえた共通の課題としての、おかみとは区別される人民の「公」をみいだすにいたらなかった。ところが、戦前を上まわる復興をとげた独占資本主義は、まさに消費者の私的欲望の充足に焦点をあわせて、商品を生産し、欲望を操作・造出し、市場を形づくるから、私的欲望の充足を自由と考える日本人は、必然的に巨大な管理社会の部品に組み込まれてしまった、というのが戦後三十二年の大まかな総括である。
(中略)
私的欲望の充足に終始して、人民の「公」をみいだしえず、自己と個性の表出に終始して、みずから民衆にむかって伝達、流通の回路を切り開く展望をもたないかぎり、わたしたちにとって依然として上からの公共性としての戦争画の問題は消え去っていない、といいたいまでである。

この文章の中では万博への国民の動員のされ方についても言及している。万博を戦争画と絡めてというのは、近年では美術評論家の椹木野衣さんが何か書いていたように記憶しているが、どうだったかな?

ほかにも、戦前の美術雑誌『美術』から、藤田嗣治「戦争画制作の要点」と座談会「国防国家と美術―画家は何をなすべきか」が再録されている。座談会の方は、『 戦争と美術 』など戦争画関連の書籍でよく登場する有名な座談会で、今なら絶対に成立し得ないような会話が登場して面白い。中でも鈴木庫三少佐は冒頭から飛ばし気味。

僕は絵画、彫刻をやる人でも、あるいは音楽をやる人でも、演劇をやる人でも、やはり国防国家建設の一部面を担当しなければいかぬと思ふ。先づ担当するのが国民の義務だと思ふ。それを担当出来ないやうな人は要らないから外国へ行つて貰いたいと思ふ。そこでどういう風に担当するかといふことが問題である。

ここから始まってるわけですから。この時点でかなり凄い展開。要旨としては、自然主義や個人主義がもてはやされている昨今、画家達は金儲けの絵や抽象画ばかりを描いている。そうではなくて、もっと民衆のため、国家のための絵を描け。そのためには国家として強制力を発動すべし。実にわかりやすい。

こうまとめると、ムチャクチャな内容なんだけど、僕が最初に考えていた以上に肝要だなと思う部分もいくつかあった。一つはヌードについて。先ほどの鈴木庫三少佐も

裸体なら裸体を通じて今日の国防国家的な思想感情を生かせばよい。

と言っている(よくわからんけどw)。ほかにも、亡国思想的な感情を起こす歌謡曲「支那の夜」(作詞:西条八十)が儲かったことに苦言を呈しており、黒田千吉中尉などは

国防色にせよといふことになると芸術味も何もない着物になつてしまふのですが、決して陸軍はそんな、裸体画を描いてはいかぬとか着物の色を一色の渋い、子供が祖母の着物を着て出た様な風俗を展出せよとか馬鹿なことは言はふ。

と言っている。ようするに、戦意を高め、国民の国防意識を一つにするような絵を描くことが最大の目的と考えているわけ。でも、昭和19年5月(1944年)の頃には、新聞報道などを受け悲惨な虐殺画なども描かれているし、敗戦の色が出て来ている時期でもある。にも関わらず、劣勢の日本を打破するための芸術の役割みたいなことを論じているわけではない。銀座で若い男がチャラチャラしてるとか、そういう類の話をしてたりする。時期的に考えて、そういう意味ではちょっと能天気な座談会のような気もしないではない。

と、思ったら前に古本屋で買った『みづゑ』(1941年1月号/美術出版社)に同じ内容の文章が載っていた。つまり複数の雑誌に掲載されたというわけですな。そーいや、このあと松本俊介さんが「生きている画家」(同誌4月号)という反論文を書くんだった。納得。

ちなみに、ヨシダ・ヨシエ「天皇・権力・戦争画」という中で、ヨシダさんが上記の座談会にも登場した黒田千吉さんにインタビューをしている。何気にこの雑誌の中で、この部分が一番重要なポイントかも。この中で黒田さんは戦争画の一番の目的について「陸軍省としては、宮内の御府へ記録画を献納しようとしたのだ」と語っている。これはつまり、今なら 聖徳記念絵画館 に入るということか。藤田嗣治さんの《ノモンハン戦闘図》などは当時、遊就館 へ献納されたらしい。また、陸軍省がこの時期に依頼した戦争画はサイズは二百号に決め、二千円を支払ったそうだ。

二千円とは今ではいくらだろうか? 企業物価指数で1941年と2005年を比べて計算してみると、約227万円くらいだった。二百号の絵一枚につき200万円超というのは高いような気がするが、制作期間とネームバリューで言うと妥当なのかな?

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 00:52

2006年02月12日

MUNTO 時の壁をこえて

監督:木上益治/2005年/日本/アニメ

MUNTO 時の壁をこえて京都アニメーションが作ったOVAだそうな。1話完結だと思ったら、後編だった。大手レンタル屋いくつか見たけど、どこも前編を入荷していなかったし、このタイトルはちょっとまぎらわしい。前作はダイジェストとして収録されてたからいいけど、知らずに見たら突然アゲアゲな世界観だったからビビった。師団クラスの軍勢が前フリなく戦争してるし。

この作品で描かれているような空中戦について、いつも不思議に思うことだけど、空母並みにデカいものを空中に浮かべるだけの技術があるのに、なぜミサイルの爆破力だけは進化しないんだろうか? 画面いっぱい広がる程度の心地よい爆破の威力は30年くらい変わってない気もする。にも関わらず、爆破エフェクトの方は間違いなく進化してるんだな。光が走り方とかボカーンと煙が上がるだけじゃない。PCとの合わせ技でないと成立しないような感じ。背景も綺麗。髪の動きも滑らか。京アニは髪の毛の動きをパターン化してるのかな。

話の方はイマイチ飲み込めず。ヒロインの女の子が世界の未来を支配している。僕はこの設定の作品にどうも感情移入できない。しかも今回の作品では、僕たちの住む世界ではなく、ムントたちが住んでいる別の世界の運命を彼女が握っていて、その影響が僕たちの世界にも少なからず影を落としているんだそうな。で、ヒロインは自分住んでいる世界(よーするに地球)以外の世界に住むムントの事で頭がいっぱいになる。自衛隊がイラクに派遣されていても、無関心な生活をしている僕には、本当に彼女のように思えるのかどうかも謎のまま。そのあたりからずっとダメ。どうも入ってけない(僕の問題)。でもこの手のオリジナル作品はこの後もずっとリリースし続けて欲しいもんです。

京都で作られた作品らしく「近くに行けば見えるかも」の「近く」のイントネーションが京都弁だったのが嬉しかった。背景も京都のどこかかもお思って探したけど、イマイチわからず(もしかして宇治方面?)。あと、スズメという女の子が語尾に「にゃー」とつけて、それに対して友だちが「にゃーって言うな」と突っ込みを入れているところは、突っ込みのほうでみんな萌えてるんだろうか…。

Posted by Syun Osawa at 00:35

2006年02月11日

MovableTypeと移転と労力

under.under.jp から bemod.net へすべてのアーカイブを移転させようと考え、一番面倒臭いであろうブログ部分の移転をいろいろなサイトを見ながら実験。

結果

今まではMovableTypeのv2.66を使っていたので、bemod.netではv3.2を埋め込んで「書き出し」と「読み込み」を実施。あっさりと終了。その前に、htmlのファイル名を連番形式から日時形式に書き換えたのだが、こちらはあまり意味はなかった。mt.htmlを読み込む前に文字のエンコードを変換できればそれほど大きな問題でもないらしい。

と、ここまでやったけどとりあえず保留。両方激安サーバーだし、移転させる理由もないし(ならすんな)。

Posted by Syun Osawa at 00:25

2006年02月09日

海がきこえる

監督: 望月智充/1993年/日本/アニメ

海がきこえるジブリが外注の監督で作った記念すべき脱宮崎駿・高畑勲アニメ第一作…のはずが、ジブリ作品の中で最も資金回収に時間がかかってしまっために2作目へと繋げられなかったのだとか。

この作品は夕方に地上波で放送されたテレビ用アニメで、僕も小学生のときにリアルタイムで見た記憶がある。当時はバブルだったこともあり、今見るとなかなか凄い時代感覚してる。田舎の高校生が普通に修学旅行でハワイ行ってるし(しかも小遣い10万円)、裕福で満たされた感じが画面を包んでいる。物語の軸になる悩み(マイナス要素)も親が離婚して、高知へ引っ越してきたというだけ。今ではどこにでもある日常だよなぁ。

勝気な性格の武藤というヒロインは髪型が思いっきり森高千里で、「叱られるのは嫌なのよ」と言ってみたり、主人公の杜崎なんて髪型がツーブロックで、スリムのGパンを履いている。この時代感覚…何でも当時は「平熱感覚」と言ったらしい(記憶なし)。

監督は『 気まぐれオレンジロード あの日にかえりたい 』や『めぞん一刻 完結篇』の望月智光さん。この人の描く日常のちょっとしたストーリーって、エアポケットのような感じで今なかなかお目にかかれない不思議な場所を見せてくれる。「平熱感覚」を後世に伝える稀有な監督なのかも。さらに描かれているキャラクターの等身、顔、背景に関しては僕的には最も好きな部類に入る。特に背景に関しては、作画監督の近藤さんいわく「ジブリの中で最もハイコントラストな背景」なのだそうだ。丁寧に見るとわかるが、背景は凄くいいです。キャラクターにしたって、等身が高いわりにIG系のハードなリアリティとも違う妙な柔らかさを持ってる。

本作のような普通の日常を描いた作品は、「実写でやればいいんでは?」と言われることがあって、高畑勲さんの『おもいでぽろぽろ』なんかでもその手の話が広がっていた。でも、10年以上を経過して見返してみると、やっぱりアニメと実写は明確に違う。アニメの最大の魅力は、キャラクターが歳をとらない(当たり前)。

背景は実際にある光栄の街並みをトレースする形で描かれているが、写真の役割を背景が担っているわけではない。必要なものは残し、無駄なものは省き、構図によってウソを加えている。キャラクターの方もリアルな等身だからといって、本物とは違う。キャラクターには必要以上の情報がないために、物語の中の感情だけが残っている。だから現実に近い世界観にもかかわらず『海がきこえる』は少しも色あせてない。ラストの背景回しは手描きの生々しさが出ていて、テンション上がったし。

この作品のオススメは、DVDの中に入っている制作者の座談会。ジブリの10年も振り返っていて、なかなか面白かった。ジブリの重鎮と若手の言い分に温度差がよく出てる。監督の望月智光さんが「ジブリの若手が育たないのはTVシリーズをやらないので、鍛えられない」と言うのに対して、プロデューサーの鈴木敏夫さんは「本当に才能がある奴は最初から輝いている」と返す。その輝いている人ってのが宮崎さんの息子であり、『ゲド戦記』だということですね。見るまでは何も言うまい。

Posted by Syun Osawa at 00:06

2006年02月07日

いろいろ良作だらけで…

ネットには素晴らしいものが転がりまくってますな。

Knobtweakers BEST of 2005

ネットレーベルからリリースされた作品のコンピレーション。250mbあります。世の中には自分の好みと一致する人っているもので、ここで選ばれている作品の趣味と僕の趣味がかなり近い。Hunzの「 Sarah's Song 」のような懐かしめのところまで入っていて全然2005年じゃないんですけど、わかりやすくて楽しいです。SarahってのはおそらくHunzがFiveMusicians時代にリリースしたMOD作品のInstrumentsノートによく埋め込んでいたガールフレンドの名前でしょう。たしかオーストラリア人です。

海防点景MARU PRODUCTION

絵の素晴らしさもさることながら、見所はエンディングのアニメーション。最近の本気っぷりが凄いことになってる。いつの間にか主線ガッチリ描いてるし、本気で動かしてるし。

『Ergo Proxy』のメインテーマにRadiohead

これは萎えるなぁ。佐藤大さん関連で『ビバップ』の選曲の遊びとかはそれなりに楽しんで見ていたけど、『エウレカ』の顛末を見て「この人って個々の音楽に対するリスペクトが全然ないのかも…」って思うに至る。僕のようなミーハー趣味的な愛情とも違うただの「カッコつけ」だから妙に腹が立つ。着せ替え人形みたい。

などどーでもいいことを思いながら淡々と練習の日々。

トレース練習

女性の体が描けない。トレースの力を借りても質感が出ない。エロ漫画雑誌見てると肌のプニプニ感と服のシワと体のデフォルメ加減がとっても素晴らしく、どう頑張ってもその域に達せそうにない。ああ。

体のバランスを理解したうえで、より女性度を高めるためにデフォルメしないといけないんだろうなぁ。あと、ウソ影の置き方も微妙。影がないとデコボコ感がでないから、できるだけ影の湾曲で上手いこと質感を出すべきなんだろうなぁ。

Posted by Syun Osawa at 00:08

2006年02月05日

聖徳記念絵画館 その2

年中無休/明治神宮外苑

聖徳記念絵画館前回のつづき

西郷隆盛の扱われ方

日本の戦争画 ― その系譜と特質 』(ペリカン社)の中で、著者の田中日佐夫さんが西郷隆盛は軍人臭を消すために「犬を連れた着流し姿のおじさん」に仕立てられたという話を書かれていたが、結城素明《江戸開城談判》にはまさにそんな姿の西郷隆盛が登場する。相手は勝海舟。この絵を描いた結城素明の生没は1875-1957年。西南戦争で西郷隆盛が死んだ年が1877年だから、上で描いたような西郷像の影響を受けていると言えなくもない(いずれにせよ、リアルタイムに記録した記録画ではない)。

政府に逆らって反乱を起こした人の絵が、この絵画館の中に何枚も飾られているという時点で、彼の当時の立ち位置がうかがい知れる。本来なら政府運営に暗い影を落とすはずの西南戦争についても、近藤樵仙《西南役熊本篭城》という絵が堂々と飾られていた。しかもこの絵は西郷軍目線で描かれている。

もちろん、それらの絵画が描かれた最も大きな要因は、彼が明治維新を切り開いた立役者であるということに他ならない。小山栄達《習志野原演習行幸》では、金華山(馬)に乗る明治天皇の傍らに西郷隆盛が立っており、二人で筑波山を眺めている。1873年(明治6年)の大和田ヶ原での軍事演習の様子を描いたこの絵が、描かれた最後のツーショットになったのだろうか。

教科書の中の歴史画

小中学校の社会の教科書には聖徳記念絵画館の歴史画が数多く登場する。田中日佐夫さんは『 日本の戦争画 ― その系譜と特質 』(ペリカン社)の中で、歴史画はそのまま事実ではないのだから、安易な使用にはやや疑問があると釘を刺していた。だが現状はビジュアル的に栄えるという理由(…かどうかはわからんが…)で使用されているみたい。例えば、広島晃甫《各国公使召見》、山口蓬春《岩倉大使欧米派遣》、和田英作《憲法発布式》あたりは、当たり前のように掲載されている。

聖徳記念絵画館の中の戦争画

明治時代は大きな戦争を数多く経験したこともあって、戦争を描いた絵画、いわゆる「戦争画」も多く飾られている。鳥羽伏見の戦いを描いた松林桂月《伏見鳥羽戦》から始まり、西郷隆盛の西南戦争、日清戦争を経て日露戦争まで。金山平三《日清役平壌戦》、太田喜二郎《日清役黄海海戦》、鹿子木猛郎《満州軍総司令部の奉天入城》、中村不折《日露役日本海海戦》などが印象に残った。

中でも、太田喜二郎《日清役黄海海戦》は飛行機から見たような上から構図で描いている。飛行機のない時代にこの絵を描いたのだろうか。のちの十五年戦争時に描かれた航空写真をトレースしたような記録画の構図とかなり近い。詳細は不明だが、司馬遼太郎『坂の上の雲』(文藝春秋)にも登場する比叡、金剛、定遠、鎮遠などが絵解きの形で登場していて面白い。絵として一番好きなのは金山平三《日清役平壌戦》。この頃の絵は写真の代わりを担っていることもあり写実性が非常に高い。パノラマに描かれた日清戦争の絵も同様。

そういう意味では、十五年戦争時に描かれた戦争画は軍部から求められた写実性と、ロマン主義復興があったにも関わらず、日清戦争時ほどの職人的な写実性はないし、むしろ個々の画家の個性が絵に出ているように思える。当たり前といえば当たり前か。そうでなければ、『みづゑ 1941年1月号』に掲載された座談会「国防国家と美術」で軍人がわざわざ苦言を呈したりはしないわな。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 00:31

2006年02月03日

聖徳記念絵画館 その1

年中無休/明治神宮外苑

聖徳記念絵画館インパクトのある重々しい外観をしてるくせに、内側のほうは思ってた以上に狭かった。人もほとんどいない(受付のおっさんが一人だけ)からやたら静かで、足音がカツーン、カツーンと響く。

鳥が翼を広げたような贅沢な左右に長い建物はそのまま絵画の展示スペースに割り当てられており、右側に日本画(1852−1878年)、左側に西洋画(1879−1912年)が飾られていた。絵はガラス越しで、しかもかなり離れた位置から見ることになる。

この絵画館に飾られている絵は、いわゆる「歴史画」というヤツで、明治から大正にかけての天皇を中心とした行事の模様が絵画になって収まっている。戦争画関連でここを訪れた書籍を読むと「つまらない絵」と切り捨てられることが多いが、なかなかどおして面白いところがいっぱいだった。

徳川慶喜と明治天皇

まず最初に目につくのが、大政奉還から明治天皇の遷都に至るまでの一連の日本画。邨田丹陵《大政奉還》で徳川慶喜が大政奉還を受け入れる場所と、島田墨仙《王政復古》で明治天皇が座っている場所では、広さがぜんぜん違う。この時点での徳川家と天皇家の勢力図がちょっと見える。そりゃ江戸城に住もうって思うわな。

明治天皇の顔が描かれなかったのはなぜ?

明治天皇はこの絵画館に展示されている絵の主役なもんで、ほとんどの絵に登場する。ところが、初期のほうの絵では明治天皇の顔は常に何かに隠されている。メッシュ(正式名称わからん)の垂れ幕で顔が隠されていたり、後ろを向いているのはまだいいとして、中には無理やり顔を隠しているものもある。例えば前田青邨《大嘗祭》などは、鳥瞰図的に斜め上からを眺めた構図になっており、下のほうに見える廊下を明治天皇が歩いている。明治天皇の顔を隠すために悠紀殿の屋根を無理やり下に引っ張ってきてちょうど顔の部分を隠しているものだから、画面の8割近くが屋根になっている。見えそうで見えない。

明治天皇の顔を描くのは恐れ多いというような感覚があったのだろうか。この暗黙のルールが崩れているのが、町田曲江《御練兵》で金華山(馬)に乗る明治天皇の横顔が見える。1874年あたり。これ以降は、普通に明治天皇の顔は描かれるようになり、同時に絵の神秘性も失われていった。

つづく

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 00:37

2006年02月01日

カウボーイ・ビバップ(全26話)

監督:渡辺信一郎/1998年/日本/アニメ

カウボーイ・ビバップ(全26話)本当に久しぶりにアニメらしいアニメを見た感じ。セットされた4人プラス1匹の関係は社会的に見ると凄くドライな繋がりなのに、各々の内面はどこかでその繋がりを求めてるという。擬似家族モノは自分が子どもの頃に見ていたアニメそのものであり(言い過ぎ)、郷愁を感じまくった。

全24話の流れは至ってシンプル。まずスパイクとジェットがいて、そこに犬のアイン(第2話)、フェイ(第4話)、エド(第9話)が加わってパーティーが増えていくというもの。で、このパーティーが巨大な敵に向っているかというとそうじゃない。みんなそれぞれの問題やトラウマを抱えていて、向っている先も別方向。でも今の繋がりを受け入れている。寂しさの裏返し。ライトコメディって得てしてそんなもんかも知らんが、自分の中ではこの手のライトコメディ最強だわ。物語の終盤になってエドとアインが去り、スパイクが去っていくときに感じた悲しさは、80年代アニメの中に僕が見ていた「この物語が終わって欲しくない」というオタク的わがままのソレだもんね。

そういうおっさん視点もあって、全体を貫くエピソードとは関係のない第6〜8、11、14、17、20、22、23話あたりは、各話単体で楽しめて好きだったりする。中でもマッドピエロの出てくる第20話とか新興宗教の教祖になった少年を描いた第23話あたり。前者は戦闘シーンが半端なく凄く、後者はミニマルテイストな演出が冴えていたように思う。

今回あらためて全編を見通して思ったことは、自分の中で『エヴァ』以上に持ち上げていたこの作品も、各話の中で出てくる小ネタは意外と映画とかドラマの引用(つーか遊び?)によるところが大きかったのかもということ。アインが去っていくときに二人でガツガツ食うあたりとかも含めて。音楽に至ってはそれを売りにしてるし。

何のかんの言っても「殺し屋モノ」とか「賞金稼ぎモノ」のようなハードボイルド系の作品が好きなら好きってだけの話でしょう。萌えすぎず、感傷的過ぎず、ほどよく泣けて、ほどよく笑えて、ちょっと皮肉。Produciton I.Gなんかも、この手のライトコメディにもう一度立ち戻ってくれないもんかなぁ。

Posted by Syun Osawa at 01:46