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2004年12月30日

コミックマーケット 67

コミックマーケット 67二日目の30日に参加。29日が雪だったせいか、久々に「人の多いコミケ」って感じがした。とはいえ僕がコミケで買うものは自主製作アニメ、批評系同人誌、オリジナル創作物(ノベルゲーム含む)と地味なものばかりなので、並ばずともスイスイ買えてしまう。

今回は創作系を全パスしたのでサクッと買い物は終了(毎度のことだが買い物している時間より、入場待ち時間の方が長いって…;)。企業ブースで森野あるじ氏の漫画が掲載されている毎日新聞の号外を貰ってそそくさと退散した。以下戦利品。

【自主製作アニメ関連】
 RonzTBさん参加の『Fullmetal XX』
 杉田和宣『ヴァルドーラ(前編)』
 作者不明『飛行機少女』

【批評関連】
 東京大学漫画調査班『マン・キホーテ』
 MP『真下耕一に関する適当な研究』
 東浩紀『美少女ゲームの臨界点+1』
 革萌同『革萌同通信』
 氷川竜介『2004-2005アニメの決算と展望』
 岡田斗司夫『BSアニメ夜話 裏』
 唐沢なとき『パチモン大王 vol.2』

といったところでしょーか。正直、岡田斗司夫の新刊はいらんかった(勢いです)。あと革萌同があってちょっとビックリ。エロゲー警備旅団が閉鎖したんで、このあたりはみんな消滅したと思ってました。感想文は来年以降にツラツラとやります。

それではみなさま、よいお年を。

Posted by Syun Osawa at 16:58

2004年12月21日

winpack.exeとは何ぞや?

コンピューターの挙動が不振だなぁと思ってタスクマネージャーを立ち上げると「winpack.exe」なるものが動いていた。googleにかけても日本語サイトでは何も引っかからない。しかし、海外のサイトでは「winpack.exeって何?」という議論が掲示板などでなされていた。

僕のPCは8月にも「KeyHook.exe」なるスパイウェアがSpybotとAdwareをすり抜けて動いていた経緯があるので、恐らく海外のサイトで埋め込まれた模様。海外の怪しいサイト巡りばかりしているわけではないのだけれど、うーん。とりあえず迷うことなく削除。何とか動いている。うーん。ヤな感じ。

Posted by Syun Osawa at 00:51

2004年12月20日

江戸漫画本の世界

湯本豪一/日外アソシエーツ

江戸漫画本の世界自分で漫画を描いていても、漫画について知らないことは多い。漫画の起源が鳥羽僧正の「鳥獣戯画」らしいという事とか、江戸時代に印刷技術の発達によって庶民の間で「漫画的な本」が流行ったらしい事くらいは以前から知っていた。でも僕は、どこかで戦後の漫画史はそうした江戸漫画的影響よりも、アメリカから手塚治虫へと繋がる線上にあるという先輩達の言葉を鵜呑みにしてる部分があった。いわゆる手塚治虫の『新宝島』オープニングシーン。車が画面の奥から近づいてくるコマ割りがアメリカ映画を連想させるというアレだ。

でもこの本を眺めると、やはりそれだけで語りつくせないという事がわかる。線画で人物や風景を動的に表すという技法の追求は、江戸時代に積極的に行なわれていたようだ。特にキャラクターの造形は、僕が思っていた以上にバラエティに富んでおり、自由な表現で各々が創作に取り組んでいる。今は漫画という言葉に集約されているけれども、江戸時代には鳥羽絵、妖怪絵、略画、疎画、狂画、漫画、文字絵、遊び絵、戯画、画譜、草画など実にたくさんの種類の漫画的な種類が存在した。水木しげるや京極夏彦の世界というのはその中の妖怪絵の系譜に位置するのだろう。

そんな線画技法の中で僕が一番気に入ったのは鳥羽絵。

鳥羽絵

可愛く大きな顔に細長い手と足がついている。これが鳥羽絵の特徴。作家性というよりはご当地性というべきか(ラーメンみたい)。躍動感がありつつも、筆の流れに任せた躍動感だけではなく、服の模様などディティールの部分を細部に描き込んである。凄いぞ江戸漫画! この本を読んで、少なくとも黒鉄ヒロシのやる気のない絵が、こういった系譜のトップランナーではないことだけはわかった。もう少し勉強してみたい。とりあえずは『ジャパン・ポンチ』を探しにいくことにしよう。

Posted by Syun Osawa at 01:30

2004年12月19日

物語消費論 −「ビックリマン」の神話学

大塚英志/新曜社

物語消費論本を読み終えて、ネットで表紙の画像を拾おうとしたら何故か西島大介の絵のヤツしか出てこない。よく見たら版元も角川になっとる。単純に絶版、他社から再販ってだけの話なんだけど、なんかこう嫌な匂いを感じ取ってしまうんだな。少なくとも僕はこの新曜社のダサい装丁の方が、よっぽどこの本の中身をあらわしていると思うぞ。可愛く作り変えられた偽史的なさ、虚構みたいなのはもうね…。

大塚英志はこの本を一番最初に読むべきだった。インパクトがあり、わかりやすく、そして何より彼自身が「あがって」いない現役である。現役であるからこその嫌な感じとか、突っ張った表現とかがちゃんと出ていて僕なんかは人間として共感できる部分も多かった。「困ったちゃん」の多用とか、「言う」を「ゆー」と書くあたりにちゃんと時流に乗っている大塚英志を感じられるし。彼が主張する「物語消費」とか「虚構」といった大枠は、この本から現在まで一貫している(逆を言うと今も昔もそれほど変わっていない)。

で。僕の結論。「それを言ったらなんでも虚構です。」

以前、石野卓球が雑誌のインタビューで「この曲はクラフトワークっぽいですよね?」というアホな質問に対し、
「それを言ったらなんでもクラフトワークです。」
という明快な答えをしていたことを思い出す。そんな事はもうみんな知っている。知っている上で、宮崎駿が『 風の帰る場所 』で述べた言葉が重要になってくるのだ僕は信じている。虚構がどうとかさ、NHKスペシャルのイラク特集見たらそんなもんはどーでも良くなった。もうしばらくこのネタいいや。少なくとも偽りの歴史に戯れるだけの人間にだけはなりたくないと思う。

Posted by Syun Osawa at 00:17

2004年12月16日

ドラゴンズ・ウィル

ドラゴンズ・ウィル最近「世界は虚構だ」とかそんなんばっか読んでる気がして、うんざりだから竜と魔法の本でも読んだれと思ったら、これまた虚構だった。身も蓋もない突っ込みは次に控えている『物語消費論』でするとして、愛少女ポリアンナ的ヨカッタ探しをツラツラと。

科学技術が魔竜と勇者という民話的世界を駆逐していく端境期が物語の舞台。この設定にまず引かれた。しかも、物語の中の住人が竜と勇者という関係が舞台装置に過ぎないことを認め、消費している。かなり冷めた視点から書かれた物語である。でもそこは富士見ファンタジア文庫。そんな刹那的な要素だけで物語が構築されるはずがなく、竜。勇者。美少女。スケベ男。妹とお兄ちゃん。至れり尽くせりなキーワードが並んでいた。

僕はこういう小説をどういう風に読んでいいのか、実をいうとよくわからない。エチカという元気いっぱいの少女に萌え属性を見つけることも、菜食主義者の竜に感情移入することもできずにいた。だけど全体的には悪くなかったという印象だけが残っている。それは物語の後半に泣かせる山場があるからか、それとも初期設定が自分のツボに入ったからか。うーん。よくわからない。

Posted by Syun Osawa at 23:02

2004年12月15日

move on web.

1月13日、心斎橋アップルストアにてmove on web.開催!

ルンパロさん、青池さん、のすふぇらとぅさん、ポエヤマさん、丸山さんらの新作アニメが一挙公開されます。ネット上でブイブイ言わせてる自主アニメ作家さん達が起こす新しいムーブメントに期待が膨らみます。1月13日、会場は 心斎橋アップルストア です。しかも無料! 行きたい…。

move on web.

Posted by Syun Osawa at 23:20

2004年12月14日

PSP欲しい欲しい

PSPが欲しくてしょうがない。何でもPSPは動画再生端末としても使えるらしい。フリーで使える動画変換ツール もあるので、自作の動画をPSPで再生させることも可能なわけだ。プレゼンなんかで、さっとPSPを取り出して動画再生…欲しい欲しい。

Posted by Syun Osawa at 01:18

2004年12月13日

公安警察の手口

鈴木邦雄/筑摩書房

公安警察の手口これ読んだら荒岱介の『大逆のゲリラ』とかいろいろ読みたくなってきた。僕には屈折した青春群像にしか読めないが、鈴木氏の人当たりのいい素直な書き口がなんともいい。「ころび公妨」なんかもうギャグの世界。でもこれを本気でやられてる人は笑えんやろうなぁ。

本書には公安警察と右翼のベタベタした付き合いが克明に書かれている。しかも公安が右翼にニュース性のある事件を起こすように促すという記述まである。逆に左翼の方はより過激になるようになるように、公安自らが嫌がらせをして追い込むのだという。活かさぬように殺さぬように。

公安警察の手口とは「公安」という時代に取り残された組織を存在させることが前提とはいえ、右翼・左翼の両陣営の対立を明確にし、過激にし、出てきた杭だけをコンコンと打ってやるという、ある意味で戦後の虚構を演出した環境に優しい手口だったのかもしれない。なぜなら鈴木氏が言及しているように、最近では一般人(2ちゃん含む)のほうがよっぽど過激なことを言っているし、すぐにでも暴発しそうな(もしくは動員されそうな)危うさを持っているからだ(潜在右翼というらしい)。そんなふうに思うのは、僕の今の生活が「平和」の中にあるという実感があるからであり、そうした公安の手口を傍観者の立場から遠巻きに許しているからなんだけど。でもそんな虚構は僕には必要ない。

Posted by Syun Osawa at 22:31

2004年12月11日

Fake McCoy

(1:28s/it/1.33mb) download
by Arikama

テレビ番組のオープニングのジングルに使われていても遜色のないほどインパクトがあります。そして何よりメロディが美しいです。

美しいのはメロディだけではありません。ModPlug Tracker で打ち込まれたPatternの流れも美しいです。本当に音が1つ1つキッチリと鳴り分けられており,それぞれがちゃんとその役割を果たしています。たった1分28秒という短い時間の中に、よくもまぁこれだけの物語を詰め込んだものですね。濃密です。

この曲は,作品内の「コメント」にも書かれている通りVocalサンプル(おそらくサンプリングCD)ありきで作られています。でも不思議なことにそんな印象を受けないんですね。Vocalがいい具合に取り込まれていて、楽曲としての完成度はかなり高いと思います。音のバランスが聴くプレイヤーによって違うので、そのあたりは聴く側の環境によって異なるかもしれませんが。

そして最も大きな視点として、この曲は「トランス作ってみました。」とか「今回はハウス。」とかではなく,「ありかま氏の作った曲」なんです。完全なオリジナル(が表出したモノ)。ベタッとまとわりつくシンセの音層とその色気にありかま節を感じてしまったんだから仕方ありません。もう少し長かったらもっと良かったのにとも思うのですが、このテンションの高さはこれくらいの長さの方が飛ぶ鳥あとを濁してちょうどいい具合なのかも。

ちなみにMP3にしてもこの曲は1.3MBです。このあたりがMODで公開するか、MP3に固めて公開するかの臨界点かもしれません。

Posted by Syun Osawa at 22:34

2004年12月09日

『流布』がブロ番ガイドに!

ブロ番ガイドにて『流布』が紹介されました!

巌流島 』に続いての紹介になります。実を申しますと、どの雑誌に掲載されるよりも僕はブロ番ガイドに紹介されるのが好きなんです。なぜならちゃんと見て、書いてるからなんですね。だから嬉しいんです。

ウラBUBUKA 11月号 でも自主製作アニメについての特集がありましたが、森野さんとか有名な作品を列挙しているだけ。『ほしのこえ』にしても現象を語るだけで内容に踏み込んだものはほとんど見られません。そういう状況にあってはブロ番ガイドはけっこう貴重です。今後は海外作品なんかも取り上げていかれたら、かなり厚みの増したコンテンツになるのではと期待しています。

Posted by Syun Osawa at 23:29

飛鳥動画はNinjai Gangを超えたか?

最近怠っていたWebのアニメ探訪。ちょこちょこっと巡ってみると、製作中だったいろいろな作品がいろいろな形で動いていました。まずは一つ目。

分水嶺/第一集 選択 』 by 飛鳥動画

分水嶺/第二集 殺戮 』 by 飛鳥動画

分水嶺久々に背中に電気が走りました。もうピキーッて感じです。紙芝居で逃げるFLASHアニメには飽き飽きしていたので、『The Little Ninjai』以来の本格モノとして登場した飛鳥動画の『分水嶺』には、感動を通り越してちょっとビビってしまいました。とにかく丁寧、目指している場所が高いです。そこへいくんだという製作者達の強い思いが画面から伝わってきます。アメリカと中国でこうしたものが作られているのに、日本ではいまだにこういう方向で可能性が見えないのは少しさみしい気もしますけれど、キャラクターデザインが中沢啓治なんで許します。ウソですけど。

注目してほしいのは、作品が進むにつれてアニメーションの技術が格段に上達しているところです。Ninjai Gangの作品も初期の頃は酷いものでしたが、物語が進むにつれてTVアニメにも迫ろうかという勢いで作品のクオリティが上がっていきました。この進化の遂げ方は見ている方が一緒に成長していくような気持ちになり、どんどん目が離せなくなっていくわけです。商業漫画の世界では、こういう現象をたくみに利用(新人デビューという形で)するのですけれど、アニメの方ではそういうことはほとんどありませんね。

で、タイトルの飛鳥動画はNinjai Gangを超えたかについて。まだはっきりと超えたとはいい切れない部分もありますが、このまま進化を遂げていくと間違いなく超えると思います。2005年は再びFLASHアニメが飛躍する年になるかもしれません。

Posted by Syun Osawa at 16:31

大尉の娘

プーシキン/新潮社

大尉の娘これ読んだのいつ以来だろう。学生のときだったことは間違いないんだけど、ほとんど記憶がない。そしてこういう本を読み返すときは、きまって100円以下の値段で手に入れたときというのも何とも悲しい。本書はプガチョフの反乱をベースにした大河ロマンで、一応プーシキンの代表作の一つとされている。

そもそもプガチョフの反乱って何や? っていうんで、春のブックフェアにて200円で購入した山川出版社の社会資料集を開くと、プガチョフが出てきた。本書に登場するプガチョフは野蛮で『ノートルダムの鐘』の主人公あたりを連想させるが、意外にしゃんとしてる。1773年にエカテリーナ2世の時代に農奴解放を求めてコサックが反乱を起こしたと書いてある。資料集的には同じコサックの首領が起こしたステンカ・ラージンの反乱の方が、素晴らしい絵画が残っているためインパクトは強い。時代的にはアメリカ独立宣言の3年前というのが一番捉えやすいかも。プーシキンがこの本を上梓したのは1836年9月19日だから、プガチョフの反乱の63年後にこの本が出たとことになる。日本はもちろん江戸時代。

内容的には非常に辛気臭い。要領の悪い男がもうなんか誠実にどーのこーのとかやってるわけですな。時代が違うといってしまえばそれまでだけど、敵との距離感がこの感覚でまかりとおっているのはもはや歴史小説でなければありえない。遠山の金さん的なキャラクターの登場のさせ方をプガチョフとエカテリーナ2世にそれぞれ使っていたり、同じ場所を行ったりきたりして結構マンネリ。

でもって、主人公が大尉の娘を本当に愛しているのか愛していないのかがイマイチわからないまま、ダラダラと時代の波とともに物語が進む。最終的にはどうやら愛していたんだねってことはわかるんだけど、いやいやいや。淡白というか、何というか。一番いい味を出していたのはサヴェーリイチ。こーいう人いる。

Posted by Syun Osawa at 01:34

2004年12月08日

赤目

白土三平/小学館文庫

赤目パンチ効きまくりの劇画時代劇。横暴な領主に妻を殺された農民が復讐するというシンプルな物語。骨格はシンプルなんだけど、その肉付きがもの凄い。妻を殺された松造が忍者部落に迷い込み、そこで修行を始めるっていう展開だったら、普通そこで一人前の忍者になって領主を倒すって話でしょ。そうじゃないんだな。なんと赤目教なるウサギを信仰する新興宗教を布教させて、ウサギの数を増やし、食物連鎖を利用して復讐するというというトンデモな展開。しかも壮絶なラスト。

最初の領主の圧政のシーンはかなり執拗に描いている。しかもそこにナチスや関東軍が実際にやったとされる野蛮な行為をトレースして、そこに一文を添えている。また、忍者部落に迷い込んだ松造は漫画のような展開で一人前の忍者になることは許されず、農民はしょせん農民であるという現実をつきつけられる。これぞリアリズム! そうした現実を克明に描きだしながらも、ストーリーはとんでもない方向へ走っていく。

クライマックスの展開はトンデモの世界だけど、実話をもとにしていることがこれまた凄い。丁寧に実話を重ね合わせながら、それらの上を行くトンデモなエンターテイメント作品を作り上げる白土三平の力を改めて見せ付けられた気がした。

Posted by Syun Osawa at 01:04

2004年12月06日

風の帰る場所

宮崎駿/聞き手:渋谷陽一/ロッキング・オン

風の帰る場所文句なしに素敵な本。いい加減で、誠実で。二人とも背負ってるものが大きいんだな。みんなを食わしてるという経営者的な立場を踏まえた二人の会話は、ただ哲学を述べるだけの評論家とは違う骨太さがある。音楽評論家としての渋谷陽一は好きでも嫌いでもないけれど、赤い壁をバックに撮られた宮崎駿の写真(本書の扉に掲載)が渋谷の手によるものだと知りちょっと見方が変わった。おそらくあの写真は、後に宮崎駿を語る重要な写真になっていくと思う。

宮崎駿の作品の中で、僕が好きな作品は『ラピュタ』『魔女の宅急便』『カリオストロの城』。実は商業監督と割り切って作った作品の方が、彼のイデオロギーが表出している作品より好きだったりする。なぜなら、彼の思想的な部分は『もののけ姫』を見るよりも、宮崎駿の話を聞くほうが僕にとってはより胸に染み入るからだ。(そんなもんで宮崎駿がぶつぶつ言いながら原画チェックやってるメイキング映像が一番好きだったりするわけですが…)

中森明夫は彼の作品を「盆暮れの恒例行事」と言うけれど、僕はそんな恒例行事化した『千と千尋の神隠し』で初めて泣いた。作品に感動したわけじゃなく、エンドロールをぼんやりと眺めているうちに涙が溢れてきたのだ。その理由は、宮崎駿の以下の言葉に尽くされている。

〈「例の同時多発テロのことを友人と話していて、『いやあ、これはエライことになりましたな』『こんな大量消費のバカなことをやってて文明はめちゃめちゃになります』って話してたんですけど、その会話の席にね、もっと駄目になるとわかっている日本で生きていかなきゃいけないその友人の娘がちょこちょこっと歩いてきたらね、この子が生まれてきたことを肯定せざるを得ないよねって、とにかくそれだけは否定できないというところに落ち着いたんですよ。
(中略)
この子が生まれてきたことに対して、『あんたはエライときに生まれてきたねえ』ってその子に真顔で言ってしまう自分なのか、それともやっぱり『生まれてきてくれてよかったんだ』っていうふうにいえるのかって言う、そこが唯一(笑)、作品を作るか作らないかの分かれ道であって、それも自信がないんだったら僕はもう黙ったほうがいいなっていうね。だから、どんな状態になっても世界を肯定したいっていう気持ちが自分の中にあるから、映画を作ろうっていうふうになるんじゃないかと思うんです。」〉

宮崎駿が手塚治虫を否定しながら現在の場所まで辿りついたように、宮崎駿を否定することでまた新しい場所が開けてくるのだということだけはわかる。わかるんだけど、ではそれをガチンコでやれる人がいるのかって言えば…それはまた難しい問題に直面する。とにかく飼い犬は主人を噛めないって事だけは確からしい。じゃあどうするか? うーん。

Posted by Syun Osawa at 00:19

2004年12月04日

パブリック・ドメインは存在するか?

パブリック・ドメイン派の提訴、却下される

creative commons上記のニュースの内容は、よーするにアメリカの『1992年著作権更新法』、『ソニー・ボノ著作権期間延長法』、1976年の著作権法、『ベルヌ条約施行法』という4つの著作権法が憲法違反にあたるとして、archive.orgの設立者なんかが訴えていた裁判が棄却されたわけです。

この裁判とは直接関係ないのですが、個人でアニメーションを作っていると、それに付随する自分以外の著作権に神経を使います。そこで、こんな疑問がふと浮かびました。

ある音楽家がパブリック・ドメインを宣言し、それを知った映像作家が宣言された音楽を使用して作品を作ったとします。もし作品完成後、音楽家がパブリック・ドメインを取り下げた場合、どうなるのでしょう?

こんな疑問もあります。

「『有形の媒体に収められた』あらゆる作品が著作権で保護される」のがアメリカで言うところのお金に結びつく著作権。もちろんどんな作品にも著作権はあるのですが、フリーで公開されていたMOD作品なんかで、今はサイトを閉鎖された作家さんがいるとします。そして作者とも連絡がとれなくなっているような場合、その作品を使用することは可能なのかどうか? 僕は可能だと思っているのですが、もしそれを作者に知らせる手段を持たずに使用したとして、どんな問題が起きるのか?

早い話が、かつて活躍されていたMOD界で活躍されていたtaropeterという人の「tokyo rose」をはじめ至極のアンビエント作品なんかをどーにかアーカイブとして甦らせたいと思っているのです。ほとんどの人が知らないと思いますけど、かなり素晴らしい作品を作っておられました。ずいぶん昔に転載の承諾は得ているのですが、かなり時間が経ってしまったもので、それをしていいものかどうか…。(あと、作品に使いたいとの思いもあったり…)このあたりの事を考えると、archive.orgの主張も頷ける部分が多いのです。

Posted by Syun Osawa at 01:07

2004年12月02日

雲のむこう、約束の場所

監督:新海誠/声優:吉岡秀隆、萩原聖人ほか

雲のむこう、約束の場所新海誠氏の作品を初めて見たのは下北沢のトリウッドという小さな映画館だった。上映はロマノフ比嘉氏との対バン形式だったにも関わらず、新海氏の『ほしのこえ』だけがその後一人歩きする形になった。早いものであれから3年近い月日が流れている。彼の最新作『雲のむこう、約束の場所』は、『ほしのこえ』後に起こったインディーズアニメブームにどのような総括をしたのだろう?

…なんて大層な事は僕には語れないけど、『雲の向こう』は一つの分岐点になったと思う。どういう分岐点かというと、メジャー女優となったジュリエット・ルイスがインデペンデントとメジャーを行き来するあの感じ。サンダンス映画祭あたりの分基点。本作では前作と同様、一人語りを徹底しており、叙情詩的な新海節を色濃く残した形でインデペンデントな光を放っていた。エンドロールが予想以上に長かったことを語っても仕方がないので、物語を主軸に感想をちょっとだけ。ネタばれがあるので、観ていない人はここからは読まないで。

とにかく僕の予想はハズレた。ヒロインのサユリは日本からユニオン(北海道側)に拉致された女の子で、彼女の夢と彼女の幼馴染だった主人公のヒロキの夢がシンクロするのだろうと思ったからだ。あの塔は北朝鮮のプロパガンダ放送の模倣としての存在であり、一つの象徴であると。その塔のコントローラーとしてサユリが夢の中で平行宇宙を抱えている。もしそうであれば、分断されている敵側にも自分と同じ傷つきやすい生身の人間がいることが感じられるし、あの塔に行く目的もできる。でも実際はヒロキもタクヤもサユリも全員日本に住んでいるんだな。意図的なんだろうけれど、完全なまでに敵の存在を排除している。ここが僕にとっては分岐点だった。大塚英志流に言うと完全に虚構へ逃げ込んだ後って感じか。

それはサユリという女の子のキャラクター設定にも現れている。強さがない。ヒロキやタクヤにしてもそうだが、悲しすぎる。現代の若者の病理を浮き彫りにしているのかもしれないけれど、みんなで練炭自殺でもするんじゃないかとやるせない気持ちで一杯だった。僕にとって彼らの傷つきやすさは「ヘタレた弱さ」にしか見えない。甘えているようにしか見えない。あんなものは戦争じゃない。そんなことはイラク戦争の映像からでも十分に想像できる。僕たちの世界は「キミとボク」だけで構成されているわけじゃないんだ。なんて風に思う僕の方に問題(読み違いという意味も含めて)があるのかもしれないけれど。

背景については文句なく美しい。光の表現とグラデーションの使い方はPCがもたらした大きな効果といえるだろう。もちろんあのクオリティの背景を描く商業アニメのプロダクションは数多くあるが、あそこまで大胆に画面をレイアウトするという試みは、背景の作家性という視点を僕たちに教えてくれている。ヴェラシーラのデザインも素晴らしい。ヴェラシーラの飛行シーン(特にラスト)は光の映りこみを利用した素晴らしい表現になっている。あれはかなりビビッた。

最後に本当にくだらない突っ込みを入れて申し訳ないが、チラシなどでは著作者の表記が「Makoto Shinkai / CoMix Wave」となっているが、エンドロールの最後は「新海クリエイティブ / CoMix Wave」となっていた。「新海クリエイティブ」って何だろ? と思って、検索をしてみたら有限会社新海クリエイティブというのが出てくる。もちろん同一の会社かどうかは不明。前に僕は新海氏はもう少ししたらプロダクション化してうんぬんと書いた記憶があるが、ずいぶん昔からそうしていたんだろうか。だとしても別に驚きはしないけど(だって税金対策大変だろうし…)。

最新作を見終えたあとで次回作の話をするのもなんだけど、次はもうワンランク上の大作を目指すのか、それともTVアニメシリーズの雇われ監督でもやるのか。個人的には短編を繋ぎ合わせたオムニバス形式が彼の叙情詩的アニメ表現を最大に発揮するのではないかと思っている。インディーズアニメのトップランナーとして次回作にも期待したい。

(追記)2005.2.6
よーするにこれが「セカイ系」なんだという事がたしからしいので、追記してみたくなりました。他サイトのブログなんかを見ていて、この作品を高く評価している人は自分(内)と世界(外)の関係性を熱心に語っているようです。『エヴァ』のときもそうでしたが、妙な気分になります。

Posted by Syun Osawa at 00:54

2004年12月01日

世紀の大怪獣!! オカダ −岡田斗司夫のお蔵出し

岡田斗司夫/イースト・プレス

世紀の大怪獣! オカダこの本はかなり貴重な本。今回は図書館で借りたので機会があれば古本屋などで資料として買い直したいと思う。単純に大塚英志と比べるのはナンセンスかもしれないけど、アカデミックな評論のセンスは圧倒的に大塚。でも岡田斗司夫はホームランを打つんだな。ブンブン振り回してスカみたいな文章を書きまくるくせにたまにドでかいのを打つ。

例えばオタキングの章だったら、オウムのアニメ製作責任者へのインタビュー。FLASHでアニメを作っている人ならば胸が熱くなること請け合いだ。あんなに世間が嫌ってるオウム信者に対してうなずける部分がいっぱいあるだもの。素人が試行錯誤しながらアニメを作ってる。『ナウシカ』をコマ送りにして研究したりして、涙ぐましい努力がオウムの作ったアニメにも岡田の作ったアニメにもある。前半分はこのインタビュー以外に特筆するものはないけれど、とにかくこれはホームラン。

素晴らしいのはやっぱりゼネプロからガイナックスに至る経緯が描かれた後半の章だろう。このあたりの歴史は『のーてんき通信』にもかなり詳しく書かれているし、『おたくのビデオ』というアニメもある。凄いね。何の権威にもすがらないでのし上がるってのは本当にカッコいい。僕の好きな作品が後にも先にも『トップをねらえ』なわけで、その作品が見事なくらいのアニパロで、スタッフがかなり意識的にパロディに徹したことに感動すら覚える。

収録された当時のインタビューはいろいろ尾ひれがついているんだろうけど、このあたりの歴史を見ていると、なぜ大塚英志が「オタク」を「おたく」として語るのかがわかる気がする。SF大会やコミケ、ワンフェスといった、社会的な意味での地下活動、抵抗運動は本来「オタク」の中に内在しているからだ。評論家、作家としては大塚の方がアカデミックに語り得ても、岡田斗司夫はホームランを打った。ブンブン振り回して打った。でも狙って打ったんだな。『王立宇宙軍』のインタビューで語っていることって、めちゃめちゃ的を得ていて、今の時代に置き換えて読んでもかなりドキッとさせられる。

Posted by Syun Osawa at 01:29