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2005年10月31日

第46回 神田古本まつり

神田ブックフェスティバル昨年の古本まつり に続いての参戦。狙いは最終日の叩き売りだという事を学び、今回は夕方遅くに参加。ところが今度は欲しい本がない(あら〜)。

ちなみにこのイベント、同時開催の神田ブックフェスティバルと被っていて微妙にややこしい。ザックリ分けるのなら前者が古本屋の古本市、後者が出版社のバーゲンブックセールって感じでしょうかね(場所の違いだけ?)。

今回頑張ったのは、戦争画関連で買った中国の美術雑誌。7月に北京で抗日戦争勝利60周年美術作品展というのが開催されていたので、中国の美術雑誌がその特集をやるだろうと思ったら的中でした。それにしても高い。輸入雑誌が高いことは十分承知してるつもりだったけど、中国の本がなぜにこんなに高いのだろう。そういう経緯もあり、一番狙っていた本は購入できず(本1冊に9800円は出せん…)。

以下戦利品。アメコミと中国美術雑誌以外は50円と100円で購入。うーん。不思議ですね資本主義って…。

『伝説と奇談 東京編』(山田書院)
週刊朝日百科『日本の歴史 漱石・鴎外・荷風』(朝日新聞社)
週刊朝日百科『日本の歴史 1800年の世界』(朝日新聞社)
週刊朝日百科『日本の歴史 1850年の世界』(朝日新聞社)
岡田英男『世界の拷問・処刑史』(にちぶん文庫)
岡田英男『残酷すぎる世界の拷問・処刑史』(にちぶん文庫)
David Brin&Scott Hampton『The Life Eaters』(DC/Wildstorm)
中国の美術雑誌『美術 2005年9月号』
アニメ映画『アイアンジャイアント』
アニメ映画『COSMO POLICE ジャスティ』
アニメ映画『メガゾーン23 part.3』

80年代アニメの収集はライフワークかも(安いしw)。

Posted by Syun Osawa at 23:32

2005年10月30日

世紀末美術の楽しみ方

川村錠一郎/新潮社

世紀末美術の楽しみ方そもそも世紀末美術って何よ?

googleで調べると、1800年代後半の象徴派(印象派と双璧をなす)やラファエル前派(幻想絵画)あたりの芸術志向を指すらしい。キリスト絵画に見られた西洋の写実的な絵画の物語性が破壊され、思想がよりカルトな方向へ向った終末思想バリバリの芸術? みたいなことはパッと思い浮かぶんですけど、どうでしょうかね。代表的なところでは ジョン・エヴァレット・ミレー の《オフィーリア》とか。

本書の中では端的にこう書いてあります。

世紀末芸術は昼ではなく夕闇、そして夜、うつつではなく夢、陽気ではなく憂鬱、覚醒ではなく眠り、生ではなく死を想う世界である。

なるほど…。「世紀末」って言葉から連想されるイメージなわけですね(そのままやがな)。しかしまぁ、世紀末と言いながらも1900年以降の作品も数多くあるのでそのあたりはあいまい。そんなパキッと区分けできるはずもないですしね。ただし1910年前後のパリはとても世紀末というイメージはないので、1900年から1910年の間にいろいろあったことは間違いなさそう。2000年以降の今なんてまさにそんな時期なのかもしれません。

難しいことはよくわかりませんが、この本の中で紹介されていた絵はかなり好きです。中でもバーン・ジョーンズやウォーターハウスが好き。

ウォーターハウス
《非常の女》(c)ウォーターハウス/1893年

この人の作品は ここ でいくつか見れます。何が素晴らしいって、女性が素敵だし、ファンタジー系列だし、しかもマイナー調だし。そして基本的に絵が上手い。ちなみにこの絵は女性が髪の毛で騎士を絞め殺そうとしてます。(追記)死の世界へ連れ去るために女が誘惑しているというのが本筋らしいです。

世紀末美術にはもう一つ特徴があって、神秘主義とかカルトを巻き込んだ超越性。まさに象徴主義。こちらはフレデリックの作品が凄いです。

レオン・フレデリック
《流れ―氷河、奔流》(c)レオン・フレデリック

Posted by Syun Osawa at 00:25

2005年10月28日

レオナルド・ダ・ヴィンチ展

2005年9月15日−11月13日/森アーツセンターギャラリー

レオナルド・ダ・ヴィンチ展「天才」の代名詞が最も似合う人。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「ダ・ヴィンチ」の部分が生まれた土地の名前ということすら知らなかった僕にとって、男色行為(サルタレッリ事件)だったり、一生独身だったり、様々な物事に関する考察であったり、いろんな意味で彼はスーパースター。深いです。

特に感銘を受けるのは彼の「観察」に対する姿勢。今回展示された「レスター手稿」は天文と地学(水の働き)を扱った直筆のメモで、月の満ち欠けや川の中にある障害物の形が水の働きにどう影響を与えるかなど、様々な事柄を観察&スケッチし考察している。詳しいことはわからないが、そこに書かれた天文に関する考察などがことごとく当たっているというのだから驚きです。

例えば、遠くのものが青白くぼやけて見えるのは、水蒸気のせいだと考察しており、実際に当たってる。また『モナリザ』の左上を流れる川は、地下水が温められ、地上の川に流れ出てやがて海に至る様子が描かれて、その考察も鋭い(ちなみにレスター手稿にある水の働きがこのあたりに反映されているのではないかと言われているらしい)。

絵を描くために対象を徹底的に観察する。そこで疑問を湧きあがらせ、その先を追求をする。すごく基本的なことだけどなかなかできない。肉体一つまともに描けない僕にとっては、性根の部分からビシッといかれた気分です。橋を描くときに、橋の構造から理解しようなんて普通思わないもんね。いやはや。一に観察、二に観察、三四も観察、五も観察。観察がすべてだということを改めて思い知らされた。

ちなみにこのレスター手稿は、彼が残した膨大な数の手稿の中で唯一の個人蔵だそうな。その唯一の個人がビル・ゲイツって、何か妙な気分。

Posted by Syun Osawa at 23:06

2005年10月26日

第10回 アジア漫画展

2005年10月22日−11月11日/国際交流基金フォーラム

第10回 アジア漫画展無料のシンポジウムが面白かったことってそんなになくて、まぁ…今回も順当に(以下略)。

今回は「アジアの環境問題」がテーマで、展示されていた諷刺漫画も環境破壊の現状に警鐘を鳴らすような作品が多かった。気になったのは日本代表として参加されていた横田吉昭さんのシンポジウムでの語れなさ。無口という意味ではなく、自分の目の前の問題に真摯に立ち向かえてない様子。

展示作品は漫画と言っても基本的には一枚絵(イラスト)で、作品性を押し出したものもあれば、現状をそのまま伝えているものもあった。中でも、タイのティワワット・パッタラクンワニット(Thi-wa-wat Pattaragulwanit)さんの象が森林伐採で森に住めず都会のホームレスになる作品や、ベトナムのニョップ(Nhop)さんの魚の食物連鎖の最後の消費者であるサメがゴミの魚に食われようとしている作品などは、ユーモアもあってフックにかかった。あと中国の黎青(Li Qing)作品はイラストの感性がかなりポップで、無料配布していたブックレットの作品はどれも僕好みだった。

ただ残念なことに、そこから派生する問題の究明や政府に対する批判といった攻撃的な作品はほとんどなかったように思う。森林伐採も大気汚染もゴミ問題も水不足も、多くの人は漫画で提示されるまでもなく知ってるしさ…。その報告会というのでは(以下略)。

にも関わらず、マスコミ関係者と思しき人達から「こういう作品を描いて政府の圧力などはありませんでしたか?」などというトンチキな質問が飛ぶんだな、これが。彼女達はちゃんと作品を見たのだろうか? どこにそんな刺激的な作品があっただろうか? シンポジウムの司会をされていた清水勲さんが「 日仏絵はがきの語る100年前 」の講演で紹介されていたアーサー・シイクほどの生々しさがあったとは、僕には思えない。

黎青(Li Qing)
《Blooming All Over The Year》 (c) 黎青/Li Qing

Posted by Syun Osawa at 23:52

2005年10月24日

日仏絵はがきの語る100年前

秘蔵・青梅きもの博物館 梨本宮妃殿下コレクション

2005年10月1日−30日/逓信総合博物館

日仏絵はがきの語る100年前梨本宮(なしもとのみや)が生前にコレクションしていたという膨大な絵葉書の中から日露戦争を中心に一部が公開されました。絵葉書の世界ってあまり知りませんが、諷刺画とかカリカチュアの部類でかなり深い世界があるみたい。

展示されていた絵葉書の多くはフランス産。第一印象は漫画。いわゆる漫画っぽいキャラクターが線画で描かれ、動きがあって、ちょっとしたエピソードまである。例えば、大きな帽子の流行を茶化したイラスト(左上の画像もそう)なんかもそう。フランスの漫画文化の根っこはこういうところにあるんだなぁ。そりゃエンキ・ビラル『 モンスターの眠り 』に頭を悩ますわけだわ。深いっス。

あと、1900年前後に日本の画家がこぞってパリに行った理由が絵葉書からちょっとだけ見えてくる。何しろ華やか。モード全開。さらに、表現のおおらかさが戦争に対しても出ていてる。「人が死んでんねんでぇ!」という話のマジメさが欠けているといったら欠けてるが、十五年戦争期の日本と比べたら表現の自由は実現できてる。例えば、遠くで沈んでゆく船を双眼鏡で眺めている二人の男を描いた『大まかな現地報告』という作品には以下のような文章がついている。

英国人「沈んだのは明らかにロシア船だ」
中国人「なぜだい?」
英国人「私は英国新聞の特派員だぜ」

安物の アネクドート みたいな雰囲気は、妙にひかれます。

絵葉書は漫画といっても差支えが無いでしょう。例えば、日露戦争だったら、描かれている絵の背後には日露戦争という大きな物語がある。バルチック艦隊とかマカロフ中将とか東郷平八郎とかの名前が普通に出てきて、それらがキャラクター化され、消費されている。こういうのは、当然それらの名将とストーリーを知らないと楽しめないわけだから、当然それを知った上でみんな楽しんでいたんだろうね。また、日露戦争の絵葉書はパリで売られていたものが中心で、当時のフランスはロシア寄りだった。そういう流れもあり明治天皇を揶揄ったような作品も当然あるわけなんですが、それを梨本宮がリアルタイムでコレクションしているんですから、何とも不思議な感じですね。

同時開催されていた清水勲さんの講演で、西洋の反ナチス諷刺画家を何人か紹介されていた(アーサー・シイクとか)。「戦争画」の系譜で見ると、諷刺画はあまり重要視されてないようだが、大衆に届いていたという範囲でいうと見過ごせない。あと、明治の有名な諷刺画家ビゴーについて、彼が描いた諷刺画は17年間の日本滞在を終えた後、フランスで描かれていたことを知った。つまり、絵空事なんですね。日露戦争のことを描いた絵も、日清戦争時の記憶をもとに描かれているわけです。

そのほか、北沢楽天とか小林清親の作品などもたくさん展示されていた。プロ漫画家第一号と言われる北沢楽天は福沢諭吉に誘われて『時事新報』で絵画記者(そんな商売があるのか)になったこときっかけに漫画を描き始めたらしい。つーことは、職業漫画家を作ったのは遠因は福沢諭吉にあるということか。藤田嗣治が画家を目指したとき、フランスへ行く契機となったのは森鴎外の助言だったりもするので、このあたりの有名人の絡み方はドラマみたいで素敵です。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 22:35

2005年10月23日

フランス電子音楽祭“qwartz”に-N作品がノミネート

Qwartz 公式サイト

-N からノミネートされているのは以下の通りです。

個別トラック部門
sabado gris by Lod

ディスカバリー部門
Scatter Stars by Andrey Kiritchenko
Taskenti by Lod

コンピレーション部門
first by va

ダンスフロア部門
rhyfer by g_n44f


Lali Punaの作品と同列にノミネートされてるだけで感動ですね。だって 5月にライブ 行ったばかりだし。ちなみにほとんどが海外のエレクトロニカ系列のレーベルです。またスポンサーには、アニエスベー なんかも名を連ねてて、かなり素敵な電子音楽イベントみたい。

-N作品以外にも素敵な曲がたくさん公開されていますので、たくさんの方に楽しんでもらえると嬉しいです。投票方法は、右の上の箱にメールアドレスを入れ、下のボックスから作品を選んだ後に「Valid」を押す。すると、メールアドレスにメールが届き、そのメールの「click here」を押すと投票が完了するという仕組みです。

Posted by Syun Osawa at 00:35

2005年10月21日

イメージのなかの戦争 ― 日清・日露から冷戦まで

丹尾安典、河田明久/岩波書店

イメージのなかの戦争戦後生まれが書いた戦争画の本って事でかなり期待したんだけど…。

後発の後発てこともあって参考資料の数も引用の数も膨大。データ収集家としては凄いかもしらんが、何が言いたいのかよくわからん。著者プロフィールを見ると河田さんなどは戦争画関連の文章をたくさん書いてるみたい。うーむ。この人はどういう理由で「戦争画」をテーマにしてるんだろう? 安易に予想するに、語りやすいから(少なくとも哲学者とか社会学者的な側面からは)なんだろうけど、でも僕には絵の話をしてるとはちょっと思えなかったなぁ。

例えば藤田嗣治さんの『アッツ島玉砕』と『ソロモン海戦に於ける米兵の末路』という2つの作品について、「制作に要した日数はしめてたったの29日だった」とあえて書いているところで、絵を描く人ではないんだなという事がわかる。

本書の多くの文章は引用を繋ぎ合わせて組み立ててられているので、著者の意見をなかなか目にすることは無い。そんなちょっと読みにくいサンプリングの文章の途中で必ず引っかかるところがあって、それが著者の意見だったりする。以下、適当に引用。

歴史画風の戦争画が本物の歴史画としての戦争画になるためには、明確な物語を主題に得る必要があったが、もはやこればかりは画家個々人の手に負える問題ではなかった。なぜなら、欠けていたのは物語ではなく物語る主体、すなわち、しかと認識できる戦争の意義であって、それゆえ歴史画としての“本当の戦争画”を実現するには主題である戦争そのものの性質が変わらねばならなかったからである。

「明確な物語」とかさ。(´・ω・`)ショボーン…ですよ。

歴史画といえども絵にすぎず、絵である以上は戦争画もまた画家の技量が織りなす絵そらごとである、と一歩踏み込んでひらき直るためには、一見写実的と見える西欧古典絵画の非写実性、すなわち図式化を見抜けるだけのキャリアと資質が必要となる。藤田の制作態度を果たして写実と呼べるかと問われれば、答えはイエスでありノーでもある。

どっち−!?

戦争美術の功も罪も、おそらくその最も深い部分は、彼らの個々人のいわば“絵かきでしかあり得ないことの特権”に属している。その“特権”の底の底にある、政治の力をもってしては許すことも批判することもできない根本的な部分は、だから、戦争美術などふつうに考えられているほど特殊な美術ではない、と考えた瞬間に立ちあらわれる種類の何ものかなのだろう。

回りくどいなぁ。

ようするに、当時の戦争画は国民にはっきりと戦争の主題が明確に伝わるような写実的な作品で、しかもそこに聖なる戦いとしての物語性を含んだ作品が多かった。そうした具象の作品が積極的に描かれた視線はあくまで大衆に向けられていたし、軍部もそれを望んでいたと。だったら、それは講談社絵本や漫画と同じラインで語ればいいのに、それを無理やり「芸術」と位置づけて今もなお語ろうとしてしまうところに迷走があるんではないのかなと思ってしまう。

少なくとも「紙芝居」とまで揶揄するなら、そこで捨て置けばいいだけの話じゃないのかな? むしろ僕は、様々な絵画技法で描いてきた画家たちが、揃って絵解きの写実的な絵を描いた結果の方に注目してほしかった。そういう事って今後もうないと思うし。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 22:43

2005年10月19日

FLASH Basic 8 のチラシ

Flash 8 basic仕事の帰りにビックカメラへ行ったら、FLASH の新バージョンのチラシが JAWACON 仕様になってました。大型量販店のソフト売り場に置いてるみたいです。とかいう僕は、いまだに2002年売りのFLASH MXを使ってますが(しかもPCは10万円のSOTECノート)。

毎日新聞の記事 によると、JAWACONの東京上映会が デジタルアートフェスティバル の一環として開催されるようです。そんなわけで、僕も一度はゴミ箱に捨てた『無人間』を作り直すことに(ちょっとだけ)。

ちなみに、このイベントのプレスリリースではロマノフ比嘉さんの『TANK S.W.A.T.01』が上映されると書いてありますが、これは本編でしょうかね? だとしたらかなり嬉しい話です。

また大阪では、10月25日(火)に開かれる CGアニメシンポジウム でルンパロさんがJAWACONのレポートをされます。そこで上映作品のダイジェストが流れるらしいです。つーか、竹内義和さんが出てるじゃん!

木曜日深夜の「はいせんすアニメ」が、武蔵野美術大学から文化服装学院へ移りゆく昨今、Yahoo! の動画コンテンツでもノルシュティンらの短編アニメ作品の上映が始まったりして、2004年の大作アニメ乱立を経た今、アニメ界は微妙な変化を見せているようです。

Posted by Syun Osawa at 23:32

2005年10月17日

犬狼伝説 完結編

画:藤原カムイ/原作:押井守/角川書店

犬狼伝説 完結編釣りキチ三平ならぬ犬キチ押井守の真骨頂ともいえる作品。小学校のときに読んだ『犬狼伝説』にまさか下巻が出ているなんて、灯台下暗しです。

押井守で困ったときは 野良犬の塒 さんのサイトへ。オリジナルかと思ったら実写映画『紅い眼鏡』が下敷きになってるらしい(こちらは未見)。しかも、映画『 人狼 』の公開時期にメディアミックス展開の一環で発売されたそうな。抜け目ないね、角川書店。

僕の世界観消費体験としては、実は『ガンダム』よりも『犬狼伝説』の方が圧倒的に大きい(二位はFFS)。首都警の成り立ちとか、特機隊の悲哀とか実生活に何ら関係のないことをが頭に刷り込まれてる。

首都警はファンタジーながら、実生活に近くて「本当にあるかも?」と子供の頃は思っていたけど、おっさんになると絶対に無い話だということがわかる。しかも、公安の扱いがわりと大雑把だなぁとか、首都警に配分される予算はどういう形で出てるの? とか、どーでもいいことがばかり考えて、結局「無い話」と決め打ちしてしまう。そもそも暴動起こしている人達に動機が無いからずっと最初から最後まで空虚(それを言ったら全部空虚かw)。

さらに今回はそんな首都警の特機隊がクーデターを起こすというトンデモな展開。参考文献を見ると二二六を意識しているみたい。ただ大義名分が無さ過ぎて(首都警解体でクーデター? んなアホな…)始めから終わりまで頭に入ってくるキーワードは「犬」だけ。ラストシーンでシェパードの群れが走っていくシーンなどは、押井守さんのオーガズムの瞬間という感じ。藤原カムイさんのあとがきにちょっと笑った。

この作品に関してはこれが制作者側の限界であり、ゴールが見えていたからこそ、やる気を奮い立たせ、何度となく落ちる落ちないの瀬戸際をくぐり抜け半年間耐えに耐えた労作なのである。ひとまずはご納得いただきたい。漫画はここで完結するが、押井さんの頭蓋の中にはまだまだ犬の物語が続くようなので、読者の方々は是非ともそちらの方に思いを馳せていただきたい。

たしかに押井さんの犬の物語は終わってないようで、本書の中にも登場する立喰師の話がアニメ映画になったり、『犬狼伝説』の続編が出たりもするらしい。やっぱ押井守は『ビューティフルドリーマー』じゃないですよ。間違いなく『犬狼伝説』の人です。そして裏側にある大きな物語は、「最初から空っぽ」という実に不思議な代物です。

Posted by Syun Osawa at 22:22

2005年10月16日

-Nの第6弾はあの有名キャラだった!

[mn006] dataman - the most famous heroes ep

mn006この時期にこのタイトルですよ。マイヤヒー問題がまだまだくずぶっているこのタイミングで

「最も有名なヒーローは?」

とは、諷刺が効いてますね。その答えは 蚤様部屋 さんのカバーFLASHが明らかにしてくれるでしょう。

「カバーFLASH」という名称は僕が勝手にそう呼んでいるだけですが、この珍妙なアート形態は、少なくとも-Nのものに関しては面白い展開があります。触発の連鎖を期待します。

曲の方も重要視してください。のま猫とマイヤヒのわかりやすさ(これも重要です!)と同じ地平には、こうした真摯でミニマルな音楽世界が「the most famous heroes」として展開される場所もあるのです。音楽の方でも実はいろいろ面白い展開があるようです。

はっきりしていることは-Nの作品を色メガネなく評価している人たちは、残念ながら海外にしかいないという事です。既出なところでは、ドイツの音楽雑誌が取り上げたりしてます。そういった、海外の評価を待たなくては、日本の音楽ライターさんたちは語りだせないというのは何とも悲しい状況ではないでしょうか? …なんて、大それたことを言うわけもありませんので、どうぞ-Nの音楽を楽しんでみてください。(ファンより)

Posted by Syun Osawa at 01:11

2005年10月13日

日本の戦争画 ― その系譜と特質

田中日佐夫/ペリカン社

日本の戦争画戦争画について書かれた本のなかで、まっとうな「歴史本」と呼べるのって、もしかしてこれだけ? ほかにも『 イメージのなかの戦争 』(丹尾安典、河田明久/岩波書店)なんてのがあるけど、あっちは微妙なんで、ちゃんと描かれた絵にスポットを当てて、それに史実を照らし合わせながら語っているものはこれだけなのかも(知らないだけ?)。

戦争画についての本の多くは、戦前・戦中生まれの人が書いているケースが多いようで、そういう場合は必ずと言っていいほど揺れる心情が見え隠れしている。その一番強いのが司修さんの『 戦争と美術 』(新潮社)かも。否定も肯定もなく、とにかく「戦争画とは何か?」を追う旅みたい僕には映る。そういう気持ちに寄り添って見てしまうと、『アッツ島玉砕』に感動した僕のテンションもどんどん下がっていくんやね。

ただし、この本の中でも語られているとおり戦争画は戦争記録画と銘打たれていても最終的には「絵空事」でしかない。それは『 まぼろしの戦争漫画の世界 』(秋山正美/夏目書房)で書かれているとおり、戦時下の漫画の世界でも同じである。その絵空事が戦中は絵空事以上の効果を発揮してしまったことは間違いないし、その問題点は残る。だけど、そこの問題点をガッチリ受け止めながら戦争画の芸術性について語るから、迷走するんと違うのかな? 「絵空事」を「絵空事」として見る日和った僕の態度が良いかどうかは、今はよくわからない。

あと、戦争画を追う長い旅の結果見えてくるものは、「人間の罪深い業」だけという『望郷戦士』(北崎拓/工藤かずや/小学館)のラストみたいなことはわかりきってるんだけど、でもまぁ…もうちょっと。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 00:21

2005年10月11日

モンスターの眠り

エンキ・ビラル/訳:貴田奈津子/河出書房新社

モンスターの眠りムズい…。

もともとSF耐性がないので、こういうのは結構大変。全体像を飲み込めないまま、それでも強引に何度もいったりきたりして読んだので、わずか70ページほどの漫画なのに、映画一本見たような気分に。

物語の裏側で1991年以降のボスニアの不幸が書かれていて、さらに混乱する。シンプルなところでは、ボスニアの孤児である主人公のナイク(NIKEに由来)、アミール、レイラの3人が、世界とオプスキュランティス・オーダーという新興宗教との戦いに巻き込まれていく話。主人公が記憶を順に取り戻していく様子とオプスキュランティス・オーダーとウォーホール博士の陰謀が明らかになっていく過程が同時平行なので、「???」が「??」になり「?」になってとりあえず物語の要旨は見えるんだけど、結局「!」とはならず「…」のまま。

その理由は、ボスニア紛争とかそのあたりの事情を飲み込めてないので、皮肉を皮肉として受け止められてないからなんでしょうかね。うーん。ムズい。

絵はすんごくカッコいい。カット割りも色使いも渋い。日本の漫画だと、カラーページって雑誌媒体に依存してるから、凄い絵の上手な漫画家さんでもカラーなのは数ページだけの場合が多い。しかもこういう荒いタッチのカラーで全編を通すのも難しい。そういう意味でも、この本の圧倒的な画的熱量は映画一本分に相当するのかも。

ウォーホール博士もレプリカ(レプリカばっか!)で死んでないし、結局は続くんですね。楽しみだけど、次って出るんかな?

Posted by Syun Osawa at 00:49

2005年10月09日

『刺青版「解夏」』からFLASHアニメを思う

刺青版「解夏」(歌:華少翌) (flash/28mb) by ITS CARTOON
『刺青版「解夏」』メイキング記事

刺青版「解夏」ITS CARTOONは、Ninjai Gangと双璧をなすアニメーショングループです。そんなITS CARTOONが作った作品のメイキング記事があったので、チラチラ見てました。すると、JAWACONの中でも語られていたアウトプットの問題などを、ITS CARTOONの皆さんも抱えていたみたいなんですね。それが妙に嬉しくてキーボードを叩いている次第です。

そもそも論として、この作品を『レオン』と『人狼』のパクりというのは簡単です。それを置いてもこの作品はよく出来ています。『人狼』や『攻殻』を見てる人ならわかると思いますが、ProductionI.Gの映像を本当によく研究しています(多少似過ぎですが…)。その点については、メイキング記事の中で彼ら自身が『人狼』の特警のキャラクターに似過ぎているとして、いくつかのパーツを変更したことを告白しています。とはいえ、ガイナックスも初期の頃は宮崎アニメなどをコマ送りにして動きやカット割りを研究していたわけですし、下からの突き上げというのはそういうものだと思います(大事なのは、ここまでやってしまう気合い)。

この作品の中で2点、感じるところがありました。

1.共有されている世界観について

『レオン』世代ど真ん中の僕も、『 突破人 』という殺し屋と少女の作品を作りたいと思った事がありました(見るも無残!)。本来重なり合うはずのない強者としての男と、弱者としての少女が、孤独と傷つきやすさを共有するという世界観が裏側にあります。こういう作品について語られた文章を読む機会は少ないのですが(誰か書いて)、世界中でこういう種の作品が出てくる現象は興味深いです。単に『レオン』の縮小再生産というわけではないと思うんですがどうでしょう。

2.FLASHを取り巻くアニメ制作環境について

JAWACON参加の作家さんに使用しているソフトなど尋ねたとき確信したことがあります。FLASHを主軸にしてアニメを作るスタイルでは、作業工程はバラバラなのですが、使用しているソフトの方はかなり似ています。

 アニメ制作 FLASH
 背景着色  Photoshop
 画面効果  AfterEffect
 背景など  3DstudioMAX、Maya、Lightwave3D など

刺青版「解夏」ほとんどこれだけといっても言い過ぎではありません。これらのソフトを製作の過程でどのように選択するかは個人差があるようです。ただそれも頑張れば図式か出来ないこともないくらいの量だとも思ったりします(面倒臭いけど)。3Dソフトを含まない基本的な流れでは、PhotoshopとFLASHで作成されたアニメーションをAfterEffectに入れて、エフェクトを加えて仕上げるというパターンを多く目にします。

ITS CARTOONの『刺青版「解夏」』をよく見ると、主線にブロックノイズのかかっているパートと主線がクッキリと描画されているパートに気づきます。彼らの場合は、背景は3Dで起こし、主線だけを抜き出してPhotoshopで着色。動画パートは基本FLASHで作成。必要な箇所のみAfterEffectで画面効果を付け加えた後、SWFで書き出してFLASHに戻しているようです。

このあたりの流れは口で言うのは簡単ですが、ある程度のレベルでFLASHアニメをやろうとすると、最終的なアウトプットを含め相当な苦労が強いられることが予想されます。実際に、メイキング記事にはその苦労が綴られています。

それ以外にも、主線を鉛筆ツールにするか、ブラシツールにするかなど、作業の効率化やトラブルを減らすための工夫の点で迷う点がいくつかあります(あと動画ファイルのコーデック選択とか)。こちらはNinjai Gangの作品の変遷を追うとよくわかります。僕もそのへんは詳しくわからないのですが、市販のFLASHアニメ制作本でそこまで立ち入った本はないので、いろんな人から情報を得ながら少しずつ勉強していきたいと思います。

Posted by Syun Osawa at 11:45

2005年10月07日

戦争と美術

司修/岩波書店

戦争と美術著者の苦悩が凄い。なぜヨーロッパ帰りの画家達が戦争画に関わったのか? パリで新しい芸術運動を体感したあなた達がなぜ? 画家=前衛=アカデミズム的なものを信じていそうな著者の揺れる思いが、膨大な引用をもとに綴られている。

戦争画を描いた画家は海外帰りの洋画家が多かった。司さんはその点に「なぜ?」と食いついているのだが、僕は洋画家たちの気持ちはわかる気がする。なぜなら海外に行くと嫌でも日本人であることを意識させられるからだ。その意識を転換して日本人ではないような振る舞いをし、日本=悪い、欧米=良いと思ったところで、自分が日本人であることはどこまでいっても変わるところがない。

また、横浜の 海外移住資料館 なんかに行くと、当時の日本人移民が実際にアメリカなどでどういう扱いを受けていたかがよくわかる。こういった内面と外面の両方の抑圧に対して、日本人として明確な意思表示をしたい。そうした思いが、当時の政府方針と重なり合って、戦争画は大きな波になったとは考えられないだろうか。

本書は、戦前生まれの人や画家が描いた戦争画関連の書籍の中では後発。そんなこともあって、新人画会のことや、松本竣介、洲之内透さんの松本竣介批判など、いろいろな要素が入っている。そしてこれらのすべてが司さんの苦悩をよくあらわしている。戦時下、画家はどうあるべきだったかということについて…。

僕は思うんだけど、画を描くっていうのは、良くも悪くも単純な行為なんじゃないかな? 司さんは、戦時下にあって、戦争とは無関係の作品を集めて行なわれた新人画会を反戦や抵抗の振る舞いと見ている。だけどこの展覧会に参加した井上長三郎さんは、巻末のインタビューで反戦とかの意味はなく、描きたいものを描いたと語っている。僕もそれだけだと思う。そして、それだけの理由で戦争画も描かれたと思う。

イラクに自衛隊が行っている今はどうだろう?

賛成も反対も含め、何かを表明する美術は少ない。どちらの態度にも関心がないのだ。司さんが持ち上げた新人画会と重ねてみてはどうか。この状況は司さんの望んだものだろうか。みんなが描きたいものを描く。これは実現できてる。だが、どこか虚しい。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 22:37

2005年10月05日

知らなかった…

『紺碧の艦隊』を読もうと思って古本屋を回ってる今日この頃です。ところで、この漫画を描かれた居村眞二さんって、9月に亡くなられていたんですね。全然知りませんでした。ご冥福をお祈り申し上げます。

Posted by Syun Osawa at 02:44

2005年10月03日

連句アニメーション「冬の日」

川本喜八郎、ノルシュティン、高畑勲ほか/2003年/アニメ

冬の日世界のアニメ作家が集まって、松尾芭蕉の連句をオムニバスのアニメ作品に仕上げたもの。人形アニメ作家の川本喜八郎さんが発起人となり進められたプロジェクトだけあって、参加している作家の面子が凄い。

松尾芭蕉の句をほとんど知らない僕が言うのもなんだけど、松尾芭蕉の世界が出てたんかなぁ…。冒頭のノルシュティンの作品は誠実な世界観で、かなりインパクトがあったんだけど、その後はどんどんわからなくなっていく(みんな自由すぎてw)。イントゥ・アニメーション4 で見た10秒アニメーションというオムニバス作品と僕の中では並列な感じ(出てる面子が似てるというのもあるが…)。

そんな中でも、アレキサンドル・ペトロフ、横須賀令子、島村達雄の三人は僕の中では完全に特別な存在になってる。ペトロフさんの油彩アニメと横須賀さんの水墨アニメの破壊力は尋常じゃない。引きのアニメが受ける世の中にあって、ここまで画のパワーで圧倒するアニメも珍しい。凄まじいといえば島村さんのミクスチャーされた技法もとんでもない。イントゥ4で見た『 霧湖伝説―第2稿 』級の破壊力。だって泣きわく姉ちゃんの周りの世界が、ボコボコボコ、ドドーッって壊れていくんだもの(芭蕉なんだろうかw)。

Posted by Syun Osawa at 21:49

2005年10月02日

アジアのキュビズム ― 境界なき対話

2005年8月9日−10月2日/東京国立近代美術館

アジアのキュビズムギャラリートークで松本透(国立近代美術館企画課長)さんの貴重な話を聞いて、大満足だったイベント。展示数も多かった。

展示会の趣旨をザックリ言うと、1900年代前半にピカソやブラックらによって創始されたキュビズムは、第二次世界大戦や以後の民族紛争などがあったため、アジアの各国には時間差で伝わっていった(1920年から1980年あたり)。そこで浸透したアジアのキュビズムが特徴的なのは、短い直線で対象を切り刻み、普遍化と無個性の立方体として再構築するというキュビズムの技法が、アジアでは土着の美術や宗教と絡み合い、多用な広がりを見せたこと。とまぁ、そういうような話らしい。順序としては日本→中国→韓国→インド→東南アジアという感じ。それが経済成長の順序と比例しているのかはよくわからん。

さらに松本さんの話だとキュビズムが持つ無国籍性&無個性がゆえに創造や構築の手法として捉えられ、キリスト画や仏画などにも援用されたそうな(左上の画なんてモロですね。キリスト)。あと、シュールレアリスム的な視点も出ていて、社会の明暗が描かれているものも少なくなかった(ロシア・アヴァンギャルド?)。

いつぞやのシュールレアリスムの展示会で見た鶴岡政男さんの『重い手』も展示されていた。この絵は前がシュールレアリスム、背景がキュビズムで描かれている(らしい)。今回展示された膨大な数の作品群の中では、日本の萬鉄五郎さんとフィリピンのヴィンセンデ・マナンサラさんの作品が特に印象に残った。

キュビズム絵画を大量に見て改めて思ったことがある。キュビズムには具象が抽象へと飛び立つ瞬間があって、僕はそこが好きらしい。さらにキュビズムには対象をズタズタに切り刻んでイデオロギーも個性も破壊していくくせに、文字を添えることで物を物としてとどめておきたいという可愛らしさがある。

Posted by Syun Osawa at 22:02

早稲田青空古本祭

2005年10月1日−6日/穴八幡宮

早稲田青空古本祭8月の中盤くらいから戦争画にどっぷりハマってしまい、その関連本を求めて古本市へ。古本市は目的があると結構楽しい(前は錦絵の武者絵だったかな…)。以下戦利品。

『別冊週刊読売(戦争100年の記録)』(読売新聞社)
『芸術新潮 1992年9月号』(新潮社)
『芸術新潮 1995年8月号』(新潮社)
『アカデミー賞50回辞典』(キネマ旬報社)
『日本美術史』(美術出版社)
『西洋美術史』(美術出版社)

『日本美術史』はやたら安いと思ったら書き込みが多数(ショック…)。キネマ旬報のアカデミー賞本は古い方から50年の記録で、短編あたりのマイナー賞が網羅されていて嬉しい。雑誌はだいたい戦争画メインで購入。古書店で購入したものを含めると、少しずつネタが集まってきた感じ。おそらく次のアニメが完成する前に、同人誌(戦争画の)の方が先に完成してしまうな、こりゃ。

早稲田青空古本祭
規模は池袋の方が大きいかも…

Posted by Syun Osawa at 01:31