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2005年02月25日

第3回インディーズアニメフェスタ その3

第3回 インディーズアニメフェスタ前回のつづき

【感じたこと】

今回の上映会で一番心に残ったのは宮田眞規氏の『14歳』という作品。若さの特権をフルに生かしてひたすら「疾走感」を追っている。そしてスタジオ4℃のフォロワー的な陰影の強調されたセル絵とSF的ディティールが印象的で、動かしたい要素が散りばめられた熱い作品に感じられた。悶々とした内面を爆発させたい欲求が突っ切るイメージとして表現されていて、まさに「青春」って感じ。

もちろんそれらの熱気や青臭さは絵だけで表現されていたわけではない。この作品ではハイロウズの曲が観客の感情移入に大変大きな役割を果たしている。14歳をイメージした青い映像とヒロトの声が合わないわけがない。ここからわかるのは、音楽がヘボければ作品はダメになるし、音楽がよければアニメがヘタってても見れてしまうということ。そして両方が上手く相乗効果を発揮したとき、MTV系はストーリー物にはない力を持つ。

MTV系は個人作家による自主製作アニメにおいて、最も伸びる可能性のある分野だと思う。実際、NHKの「みんなのうた」では個人のアニメ作家が活躍している(ただ媒体がNHKということもあり、インディーズの熱狂が感じられないのは泣き所でもあるが)。ただ僕の嗜好としては、白井裕美子氏の『ひまわりの種』のような問題提起のある作品がたくさん出てくれると嬉しい。物語の再構築は批評家の嘆きなど無視して、ひたむきにやるべき価値のあることだと思うし。

さらにこれは毎度思うことだが、3Dの作品はプロとアマチュアの差を映像のクオリティだけで判断するのは難しくなっている。どうやらある程度の期間、学校で基礎を学べばそれなりの作品が作れてしまうことは間違いないらしいし、セル的な融和も昨年の『アップルシード』で極まった感じがある。ただしそれは、機械のレベルが上がっただけに過ぎない。

音楽の世界でサンプラーが安価で手に入るようになったときによく言われた言葉を自主製作アニメにも当てはめるならば、「決して作家のレベルが上がったわけではない」のだ。なぜなら商業アニメ業界のアニメーターの空洞化や老齢化が叫ばれる中で、アマチュアだけがレベルを上げているとは考えられないからだ。

アニメ業界の閉塞という固定されたイメージは、十年以上前から変わるところがない。そこへロマノフ比嘉氏や新海誠氏のような一人で作るタイプ(昔の漫画家のようなタイプ)のインディーズアニメ作家が登場し、一部にはそうした閉塞したイメージを突破する糸口になるかもしれないという話がまことしやかに流れた。

だがそうした個人作家も、商業ベースに乗れば「まな板の鯉」状態で、これまでアニメ制作会社を苦しめてきた「メディア>代理店>制作会社」という構造を同じように踏襲する可能性があると感じている。もしも業界再編の機運が代理店主体で行なわれたならば、製作者の不遇はこれまでのように続くことになると思う。このあたりは勝手な妄想であり、根拠もないのでもう少し長い目で見つめていきたい。

Posted by Syun Osawa at 19:26

2005年02月24日

第3回インディーズアニメフェスタ その2

第3回 インディーズアニメフェスタ前回のつづき

【第二部 上映プログラム】

『ウシガエル』by つかはら
日本のFLASHアニメ界でいま最も実力を持ったつかはら氏(弥栄堂)による作品。ネズミとネズミ駆除機の追いかけあいというシンプルな物語を、スピード感のあるカメラワークと演出によって力強い大作にしてしまった腕力に感服。このクオリティの作品がザクザク出てきて、そこから更に上を行く作品が出てくれば時代は動くと思う。

『コドモノ抜け殻』by 長谷智恵子
MTV系作品。映像のセンスがいい。ただアニメーションと言うにはちょっと動いてないような…。自主製作アニメとミュージッククリップの融合はもっと力強く進めるべき。

『sai』by きむら
作者のコメント欄に「子供の純粋な愛情を描きたかった」とある。自主製作アニメのテーマとして、こういった内容のテーマを掲げる人は意外に多い。そして、その中に込められているものが「子どもへ」ではなく「自分の中の子ども性へ」向かっているのがちょっと気がかり。

『Morning Man』by 瀬野志津佳
布を使ったアニメーションという出発点はとても興味深い。ただ布であることの意味は伝わってこなかった。僕はセルアニメという難攻不落な表現方法から脱却することがアート系アニメの一つの命題だと感じていて、そこに挑戦する人は尊敬する。ただそこを突破するのはセルアニメを作ることよりもはるかに難しいと思っている。そういう点ではパワー不足。

『ジョブスはかせのけんきゅうじょ』by Bricks Tricks Production
レゴ風アニメーション。3Dで作ったのだろうか。動きの貧弱さからくる映像のトーンダウンは狙いだとしても、Tomilandの作品 のようなオリジナリティのあるパロディだったらなぁ。好きな世界だけにちょっと残念。

『ひまわりの種』by 白井裕美子
今回上映された中では最も心に迫る作品だったと思う。3Dにはない生っぽさはアニメの機械化が進んでも絶対に残ると改めて思った。間の抜けたおじさんの行動が、ラストシーンを一層深いものにしている。素晴らしい。

『MY HOME』by 木魂
3Dのことはよくわからないが、プロの作品として何ら問題ないクオリティの作品に映る。MTV系アニメはこのクオリティで広がってくれたら嬉しいな。ただしラストは不満。家がダメだから車ってのは、築紫哲也の「スローライフ提唱」みたいでちょっと僕には食傷かな。

『DIMENTIONAL ESCAPE』by 佐伯雄一郎
実写と3Dアニメと2D風3Dアニメの融合。オチもしっかりしていてかなり内容的に濃い作品。3Dのシェーディングもカッコイイし、テンポもいい。もしも足りないところがあるとすれば、二人が追いかけあう最初の設定(イントロのドラマ)がショボイところか。実写の映画祭の方が評価されるかも。今っぽ過ぎて突っ込みどころ特になし。

明日、感想のまとめ。

つづく

Posted by Syun Osawa at 23:07

JAWACON2005 イベント詳細

イベントの詳細が決まりました。ちょっと早いですけど。

【開催場所】大阪産業創造館3F・4F
【開催日】 2005年8月27日(土)全日

JAWACON 2005

Posted by Syun Osawa at 22:12

2005年02月23日

ハイデガー

編著:木田元/作品社/書籍

ハイデガー宮崎駿はあるインタビューで「面白くない映画だったらすぐ帰る」と言っていた。決断は早い方が良い。僕はこの本を読み始めたとき、そのことに気づき本を閉じるべきだった。そもそもハイデガーの著作を読んだこともないのにトリビュート本を読もうというのが間違っている。でも小市民の悲しさか以次の点に引かれ最後まで読んでしまった。

1)最も有名な著作が本人にとって失敗作
2)ナチスへ入党
3)現在の哲学に影響を与えている

著書が未完でありながら人を引きつけることについて、本書ではその力を「魔力」と書いている。僕はその言葉はまさにピッタリという気がする。ナチスに入党してる時点で全否定されるくらいマイナスなのに、それでもフランスの現代思想家たちに影響を与えまくるんだから凄いね。

あと、これだけ有名な思想家でも職を得るために営業的な人間関係の操作をやってるのもなんだか不思議。更科修一郎がブログで大塚英志の腰ぎんちゃくになってることについて 言いわけ を書いていたけど、なんかちょっと共通する部分を感じるなぁ。田中吉六 みたいに一人で物思いにふけってもしょうがないとは言わないまでも、まずは発表の場を確保するという事が重要なのかな。

幸か不幸か、ハイデガーの言葉について丁寧な解説もついていたので、わからないなりに楽しめた。とくに唯一の女性、北川東子さんのエッセイが一番わかりやすく、面白かった。最後の言葉がいい。

ことばの稚拙な初心者は、『存在と時間』を読み始めることで、ようやく存在することの初心者になったのである。

ことばの稚拙な彼女は東大教授。…すいません。梶原一騎は『 懺悔録 』の中で、金儲けをするなら哲学をやっちゃダメだと言っている。重要なのはいかに直感し、決断するか。頭の悪いヤツは直感と腕で勝負しなければとつくづく感じた。考える前に描く。描きまくる。それにしてもハイデガー関連の本って、今もなお出まくってるのね。

Posted by Syun Osawa at 23:25

2005年02月22日

アニメーションの新たな一手

『A Scanner Darkly』予告動画

そうきましたか。

キアヌ・リーブス、麗しのウィノナ・ライダー嬢らが出演する映画の予告動画です。実写とアニメーションの重ね合わせ方が大変興味深いです。一見『 ウェイキング・ライフ 』のような実写トレース系アニメーションにも見えますが、俳優の演技を実写とわかる範囲で残しているところが決定的に違います。日本公開は年内でしょうか。楽しみです。

Posted by Syun Osawa at 21:58

2005年02月21日

インターネット実話

“裏2ちゃんねる”管理者の意外な正体

CIAスパイ研修 』の野田敬生氏とテレビ塔から旧百円札をばら撒いて世間を騒がせたヒキ投資家氏が全面対決です。うぉーこれぞまさにインターネット実話だ。

世の中ゴネ得ですからね。ひとまず法律違反でも刑事罰を受けない程度ならやったほうが得ですよ。いちいち裁判で損害賠償を求めてくるような人間はほとんどいません。ただし、あっち系の筋の人間に対してやるとえらい目にあいますが。モラルの問題はありますが、関係がこじれても差し支えの無いあいてに対しては無茶をやったほうが得だというのは常識です。

この言説にたった一人で立ち向かう元公安の野田氏。記事の後半ちょっと涙出ます。そして3月18日午前11時に東京地裁第607号法廷で全面対決です。行きてぇ。

【関連サイト】
ttp://live19.2ch.net/test/read.cgi/market/1105004717/l50

Posted by Syun Osawa at 21:09

第3回インディーズアニメフェスタ その1

第3回 インディーズアニメフェスタ昨年に続き 三鷹のアマチュア映画祭に参加。相変わらずの閑散ぶりだったが、審査員や講演者も豪華だったし、上映された作品群も未見のものがほとんどでなかなか刺激的だった。とりあえずメモと感想を2回に分けて書き殴る。

【大地丙太郎氏による基調講演】

アニメ監督として知られている大地氏のキャリアのスタートが『コナン』の撮影カメラマンだったことにちょっと感動。彼の話によると『コナン』のタイムシートは尋常でないくらい精密で、しかも先輩スタッフが面倒臭がってごまかしをやると宮崎駿が怒鳴り込んできたらしい。青春ですね。

講演の途中で彼の作った3分の自主アニメが上映された。はっきり言って紙芝居レベルの動き(つうか動画ないし)だったけど、声優とカット割の上手さでエンターテイメントとして完成させる技術はさすがはプロという感じ。

彼のようにアニメ業界の一線でやっている人は自主製作のアニメなんかには興味が無いのだと思っていたんだけど、どうやらそうでもないらしい。実際に 彼のサイト でも自主作品を公開しているし、講演の中でもパソコンを使って一人でアニメを作りたいと話していた。こういう願望を持つアニメ業界の人ってどれくらいいるんだろうか? プロの原画マンが各々こういうことをやりだしたら、かなりクオリティの高い作品が出てくると思うんだけど。

【第一部 上映プログラム】

『あかね雲』by あかね丸
たしかデジハリ勢力の作品ですな。3回くらい見たような気がします。この作品で一番好きなところはふんどし男達よりも、主人公の男の子の走り方。走るアニメーションを正確に表現することの難しさを逆手にとって、コミカルに表現してる。

『謎かけにほんふうぶつし』by 川瀬いつか
ほのぼの系ちぎり絵アニメ。『欽ちゃんの仮装大賞』みたいな言葉の紡ぎ方が、ちょっと恥ずかしかった。

『14歳』by 宮田眞規
感想は後述するが、今回の上映会の僕的NO.1作品。14歳の男の子の心の事情を表現したセル系アニメ。使い回しも多かったが、よく動いていた。

『meme self duplicator』by 山崎陽平
人の子を生むことに憧れるロボットの話。こちらもセル系アニメ。どういう経歴を積んだらこのクオリティの作品を作れるのだろうか。独学だとしたら驚愕です。商業アニメに近いクオリティだった。ツッコミどころとしてはラストかな。大切なものはわかってないだろ、とちょっと思った。

『まやかしキネマ』by 山原やすひろ
おそらく3D系アニメ。キャラの目はちょっとねこじる入ってる。コメントに「コンセプトは子供から見た大人」と書かれていたが、「大人から見た子供から見た大人」に何を託したのかちょっと読みづらかった。

『高橋宗太郎と地獄の古本屋』by 一之瀬輝
コマ撮りの人形アニメなのかな? 今回上映された中で一番上映時間が長かった。ストーリーありきの作品で、作者の気合いはビシビシ感じたのだけど、本屋の会話劇(事件の概要を説明)は、鳥みたいな魚がいたとしてもちょっと長く感じた。

つづく

Posted by Syun Osawa at 01:39

2005年02月19日

トキワ荘実録

丸山昭/小学館/書籍

トキワ荘実録著者の丸山昭という人は講談社の元編集で、『少女クラブ』の編集長などを経て、講談社フェーマススクールズの基礎を作った人らしい。フェーマススクールズ…ね(遠い目)。

それはさておき、漫画編集時代の丸山さんは多くの新人漫画家(石ノ森章太郎や赤塚不二夫など)を発掘したようだ。そして新人を多く誌面に登場させたことについて「まさか、ここまで大物になるとは思わなかった…」と自嘲気味に語っている。そうした態度が多くの伸びのある漫画家を発掘した要因になったんだろう。

本書では、トキワ荘時代の思い出がかなり詳細に描かれている。例えば漫画『まんが道』の中で、オーラを放つように描かれていた手塚治虫がトキワ荘に住んでいた時代というのは、実は数えるくらいの日数しかなかったという話など、些細なことだけど「トキワ荘」ファンとしては嬉しい情報だ。さらに本人が『少女クラブ』時代に手塚番をしていたこともあり、手塚氏に関する内容が多い。手塚治虫が医師免許を取るまでの経緯などは手塚関連の著作の方が詳しいだろうと思われるが、手塚氏のネーム(漫画の構想ノート)に関するエピソードはなかなか貴重だった。なんと手塚治虫はスケジュールが切迫してくるとペン入れをしながら、別の作品のネームを後述で担当編集者に伝えていたというのだ。それはこんな風だったと丸山氏は書いている。

「一ページ目、四段に分ける。一段目、平均に三等分する。  一コマ目、右上にゴチックで、しまった、アマダレ、改行、ドアがこわれた、改行、らしいぞ。  次のコマ、左下に四行で、どうして、改行、こんな、改行、ことに、改行、なるんだ、ミミダレ……。」

手塚治虫、スゲェ。

PS.
二人で少年漫画ばかり描いてきた 』の感想文でも書いた手塚治虫が長者番付のトップになった時のエピソードは、「関西長者番付の画家の部のトップになった時」というのが正解らしい。

Posted by Syun Osawa at 10:34

2005年02月17日

ヤクザ・リセッション

ベンジャミン・フルフォード/光文社/書籍

ヤクザ・リセッションこの本が出たのが2003年9月だから、時事問題を扱ったホントして読むには時期的には微妙に古い。そして、著者のベンジャミンはすでに、この本の次作となる『泥棒国家』を上梓している(つっても2004年3月だけど…)。でも読んだ。何がいいって名前が良い。

内容はというと、ひたすら日本をボロクソに喝破している。ヤクザに汚染された官僚と政治家と大企業が支配する日本は最低。そんなことが延々と綴られている。『フォーブス』のアジア太平洋支局長という立派な肩書きを持ちながら、インテリっぽい文章ではないのでとても読みやすい。そのため耳に痛いような事が、わかりやすい表現でダイレクトに入ってくる。

読後感は爽やかだった。久々に怒られた気がしたからという個人的な問題ではなく、フルフォードが日本で長年くらし、日本への愛ゆえにがなり立ててるという事が感じられたから。これは鎌倉在住のジャーナリスト、ロバート・ホワイティングとも似ている。

著者は本書の中で「日本は法治国家ではなく人治国家」だと言っている。たとえば道義的責任というのを持ち出してNHK海老沢会長にさんざん辞めろと迫りながら、辞めた直後に「彼が辞めてもNHKは変わらない」と続ける世間の声だったり、自衛隊が憲法が改正されてない状態で、拡大解釈によってどんどん海外派遣されていく状況だったりと、感情が治外法権に最優先されていく。今の「ライブドアVSフジテレビ」なんてのも好例だな。ひたすら感情論に訴えるフジテレビと自民党。「いかがなものか」は今年の流行語か? 森元総理がライブドアの堀江社長にの言動について「教育の成果なのかな」と言ってたけど、だったらお前等の成果だろ! という突っ込みは誰もしない。

人治国家の日本では法律が無視され、バブルが崩壊した後もその雰囲気から抜け出せない。そして、その責任は右翼にも左翼にもあると。本当の資本主義を目指すならば、アメリカの属国ではダメだろう? 利権まみれの土建国家じゃダメだろう? という感じ。では、そういった怒りを引き受けている政党があるかとなれば、これは結構むずかしい。民主党が本来、その役割を担わないといけないはずなのだが、イマイチ迫力がない。個人的には岡田代表はもっとイオングループの名前をビシバシ出してもいいと思うのだけどね…。最後に著者のキツーイお言葉を胸に刻むことにする。

日本という国の不思議さは、同じ過ちを何度も繰り返すことである。負けても負けても、そのやり方を変えず、ついには決定的にダメになってしまう。

こういうダメダメな部分に妙な哀愁を抱いてしまうのは、僕が日本人だという事の裏返しかもしれない。

Posted by Syun Osawa at 22:07

2005年02月15日

x-rayed

(03:18s/mp3/4.54mb) download
by xerxes

xerxesの曲の中で一番好きな曲。抑え目なベースのリフと左右を漂うように振り分けられたストリングスのまったりとした横の展開。縦に切り込む叙情的なメロディ。僕の好きな曲っつったら基本的にそんな展開ばっかりですな。

そんなベタな展開の中でも、これは相当わかりやすい。色気あります。明快なまったり革命という感じですか(曲の尺が短いのでまったりするほどの余裕はないですけれど)。構成がシンプルなので、短いながらも丁寧な流れを抑えつつ、しっかり物語を堪能できる良作です。

Posted by Syun Osawa at 22:51

2005年02月13日

パークライフ

吉田修一/文芸春秋/書籍

パークライフ仕事の関係で昔よく日比谷公園で昼飯を食べていた。その当時の雰囲気を浮かべながら読んでしまったのは、ちょっと反則かも。爽やかな作品。ただし不思議ちゃん(死語)というとってもベタな登場人物が物語をグイグイ引っ張る微妙な展開なので、人工的であり都会的であることを前提とした爽やかな作品という感じ。ボーッとしているサラリーマンの視線には共感できた。

物語の中盤に登場する風船おじさんが空に上げた風船の視線は、東京という街をファーッと立体的に映し出すようでドキドキする。そこで実際の日比谷公園を眺めてみると、風船からは こんな感じの風景 が視界に入るようだ。「どの辺が心?」とは思わないように。地図を見ると公園の周りにあるのは空疎なビル街で、東京の中でも最も人間味のない場所だいうことがわかる。もし僕がこの高さから日比谷公園を眺めたならば、間違いなく皇居の荘厳さの方に目を奪われていただろう。都会で暮らす人たちの曖昧な心の動きが表現されていて、日比谷公園さえ知らなければ僕も爽やかに読み、特に記憶に残らず本を閉じていたと思う。

Posted by Syun Osawa at 22:24

2005年02月12日

へヴィメタル

監督:ジェラルド・パッタートン/1981年/アニメ

へヴィメタル清々しいB級アニメ映画。作画の基準を日本のスタジオとかディズニーに置いて比べればそれは酷いもんですけどね、でもその辺の技術論は素人の僕が言ったってつまらない。画面から溢れ出るパワーは、そんな重箱の隅をすべて取り払ってしまうほどの勢いがあった。そして何より素晴らしいのは先の展開がまったく読めないところ。久々にドキドキワクワクしながら全編を見通した。

この映画の骨格は、「ロック・ナー」という時間・空間・次元を支配する悪の化身(つっても緑の玉なんですが…)が引き起こす悲劇をオムニバス形式で描くといったもの。全部悲劇なんだけど、登場人物が欲望むき出しで同情も誘わないし、やってることが馬鹿っぽくて笑ってしまう。例えばこんな話。地味な科学オタクの青年が異世界に飛ばされる。そして着いた場所で彼はマッチョな肉体を与えられる。そこで英雄として活躍するんだけど、頭の中はモテない科学オタクのまんまだから、美人とSEXできて最高! みたいなところで興奮してしまって、結局、地球に帰るチャンスがありながら異世界に残ってしまう。

そんな話がオムニバス形式で続き、最後の話でいよいよ「ロック・ナー」と対決する守護神ターナーが登場する。その登場シーンは風変わりで、優雅に王宮風の風呂から全裸で出てきてセクシーにTバックのパンツをゆっくり履いたりといったことを長々とやる。しかもその前のシーンでは民衆が皆殺しにされたにも関わらず、気に留める様子もないのだ(その時点で守護神としての仕事をしてない気もするが)。こういう感性は素晴らしいなぁ。

そんなB級大作のパッケージには「大友克洋に影響を与えた」らしき文章が書かれていた。もしそれが本当なら『AKIRA』というよりは『 幻魔対戦 』にちょいと影を落としているんじゃないかな? はっきりしていることは、この映画に登場する女性はみんなおっぱいさらけ出すし、SEXシーンもあるし、下の毛もしっかり描かれているけれど、決して萌えはしないということ。間違っても東浩紀『 動物化するポストモダン 』の範疇には入らんだろうなぁ。ちなみに映画自体はカナダ映画だったりする。わお!

Posted by Syun Osawa at 10:17

2005年02月11日

まぼろしの戦争漫画の世界

秋山正美/夏目書房/書籍

まぼろしの戦争漫画の世界戦争漫画なんてジャンルの漫画はアホほどあって、みんなそれを楽しく読んでいるのに、それがこと戦前の漫画になるとサーッと引いた感じになってしまう。その一番の原因は、漫画の中に登場する敵の後ろ側に中国やアメリカというリアルな敵が透けて見えると、僕らが勝手な先入観で覆ってしまっているからだ。だけど内容だけで見るとかわぐちかいじの漫画の方がよっぽど生々しい。

戦争漫画といっても、そのほとんどが動物をキャラクターにしたドタバタ戦争漫画である。なぜ動物なのかというと、人間を主人公にドタバタコメディをやると「兵隊さんはドジをしない」と国から圧力がかかるらだ。漫画映画『 桃太郎・海の神兵 』を見ても、人間の姿をした日本人はみんな見事につまらないキャラクター(マジメで間違いをしないという意味で)として存在している。当時の漫画家たちは、表現の自由を制限された状況下にあってもユーモアを描きたいという強い意志のもと、ドン臭くてもOKな動物を題材に動物戦争漫画という一つのジャンル(ある種の限界でもある)を作り上げた。

戦前の漫画でもっとも有名なものは、田川水泡の『のらくろ』だろう。当時は海賊版的な漫画(早い話がパクリ漫画)も存在するほどの人気を集めていたそうだ。そのことからも推測できるように、『のらくろ』のヒットの背後にはかなり大きな漫画のマーケットが存在したはずで、そこで発表された漫画群の中には今に通じるような素晴らしい漫画がたくさんあったのだと思う。

同書に掲載された漫画の中でいうならば、僕のオススメはダントツで大城のぼるの『トッチン部隊』だ。この作品はできれば手に入れて読んでみたい。レイアウトといい、物語の展開といい、『のらくろ』をはるかに超えた(今に繋がる)漫画っぽさを持っている。そして、映像作品を意識したような連続するコマ割りが印象的だ。昭和の漫画史の中では、手塚治虫の『新宝島』が映画表現を取り入れ、トキワグループの多くの漫画家達に影響を与えたという風になっている。たしかに影響についてはそうだろう。しかし『新宝島』的な作品というのは戦前にもあったということは、『トッチン部隊』を見れば明らかである。ちなみに、大城のぼるは藤子不二雄の初単行本『UTOPIA 最後の世界大戦』(鶴書房)の表紙絵を描いた漫画家でもある。

ではなぜ、そこ(手塚治虫とそれ以前)が分断されたのか? ここがこの本のキーポイントでもある。戦前に描かれた大日本帝国賛美とも捉えられがちな戦争漫画群は、実は太平洋戦争が始まった頃からはほとんど発表されなくなる。「兵隊さんが敵地で戦っているときに漫画とは何事だ」というわけだ。そして資源節約の理由で漫画雑誌は小冊子になり、絵物語を中心とした誌面構成で細々と発刊されていく。つまり戦争漫画は戦中に戦意を高揚させるためにあったのではなく、今と変わらない虚構の物語を楽しむために存在したのだ。それが判明した時点で、手塚治虫以後とそれ以前は繋がれなくてはならないはずなのに、その後の漫画文化があまりにキラキラし過ぎていて、かなり中途半端な形で論じられてきたのではないか。

だって、凄いよ。戦前の漫画群の表紙のポップさは尋常じゃないもの。田川水泡の『のらくろ上等兵』(講談社)が上梓されたのは1932年である。『カラー版 西洋美術史』(美術出版社)を開くと、この時代はダダイズム、シュールレアリスム、キュビズムの花盛りだった時代だ。アンディ・ウォーホールがまだ5歳のときに、後のポップアートに繋がるような素晴らしいデザインの本が各社がこぞって発売していたのだから、海を渡った写楽の絵と同様に、その部分はもっともっと胸を張って論じられるべきであろう。

PS.

日本で初めてヨーロッパ・アメリカ風の漫画を描いたといわれる北沢楽天の一番弟子が岡本一平という漫画家で、その一平の息子が芸術家・岡本太郎であると書かれていた。このあたりの繋がりもなかなか面白い。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 09:28

2005年02月08日

the bell

(6:08s/xm/752kb) download
by xerxes

SHOUTcastの人気プログラム「 DIGITALLY-IMPORTED - Chillout 」にもよく登場するxerxesの曲です。残念ながらこの曲はMOD形式(正確にはXM形式)のため、ネットラジオなどで流れることは少ないですが、僕にとってはxerxesの作品の中で最も思い入れのある作品でもあります。

そんなわけでこの曲はできれば XMPlay で聴いて欲しいです(というか、XMPlayをメインプレイヤーに!)。あいかわらずサンプリングの元ネタは不明です。作者のxerxesはキレイめのAmbientを作る人で、この曲はおそらく初期の頃に作ったものと思われます。僕が初めて聴いたxerxesの曲がこれでした。

音の質はお世辞にも褒められないし、作品全体を通して眺めると、中盤以降はかなりダレてます。そしてドラムのループも軽くて弱い。でも作品の持つ骨格といいますか、根本的なキャッチさに強さがあっていいのですね。わかりやすさと美しさと誠実さがあって、それが単刀直入に伝わってきて惚れました。また、後半から抑え目のサンプリングのループがいい具合にミニマルを演出していて後味も良いです。

この曲が作られたのは1997年です。この時期は、1995年あたりから爆発的な伸びを見せたMOD関連の音楽が円熟期を迎えた頃でした。その後1999年のMP3普及でMODが下火になるのですが、その頃までに作られた作品群の中から多くの優れた作品が生まれました(日本では唯一、あんこのなかみ というサイトでその時代の作品群をデータベース化されています)。ちなみに今回の曲に付けられたコメントの中にもMODで最も有名になったミュージックグループFive MusiciansのZodiakやWAVEの名前を見つけることができます。次回もxerxesです。

Posted by Syun Osawa at 21:35

2005年02月06日

オレンジレンジの表記について

オレンジレンジ盗作疑惑

今さらなんですのん? と思っていたら、何でも紅白で『ロコモーション』のクレジットが「Carole King、Gerry Goffin」となっていたとのこと。セコいなぁ。だけど、そのクレジットにするなら逆に原曲を改変しすぎだろうという気がして、検索をかけてみた。どうやら正式には以下のようなクレジットらしい。

MUSIC/LYRICS WRITTEN BY Carol King and Gerry Goffin,with additional lyrics and music contributed by ORANGE RANGE, published by Screen Gems-EMI Music Inc.

この表記に新しさを感じるのは僕だけだろうか? パクリをパクリでなくするために用いた手法が意外な方向に転回したって感じ? 誰か「オレンジレンジと佐藤友哉」でエッセイ書いてくれないかな。

Posted by Syun Osawa at 23:00

二人で少年漫画ばかり描いてきた

藤子不二雄/文芸春秋/アニメ

二人で少年漫画ばかり描いてきたトキワ荘関連の本は読み出すととまらない。もはやトキワ荘は宗教の巡礼地みたいなもんで、そこに得体の知れない信仰心を抱いたっていいじゃないか、という開き直りまで持つに至ってしまった。一番読みたい藤子不二雄A氏の漫画『愛…しりそめし頃に…』は最後にとっておくとして、とりあえず目に付いたものから読んでゆく。

この本が最初に出版されたのは1980年。今から25年前に20年前を回想しているという、とっても時代を感じさせる本。だから本来は時間を縦軸とするととっても長い一本の竹を連想しながら、節目節目を時代に当てはめつつ、懐かしさや古さを感じなければいけないはずなのに、そうしたいと少しも思わない。高校を卒業後、会社に就職するも仕事が嫌ですぐに辞めてしまう感覚(長男なのに)。東京でダラダラと生きている風景。時代を感じるどころか、今もそんなヤツばっかりじゃないか(僕もそうか)。

藤子不二雄は最高だ。もう本当に。『オバケのQ太郎』でヒットを飛ばした後に『毛沢東伝』をサラッと描いてしまうんだもの。変な勘繰りがなくて、ヒーロー漫画の興奮しかなくて、シンプルに漫画を愛しているからこそ、そこを経由しても『ドラえもん』が生まれるわけだ。少年漫画を愛する思想は最強です。

トキワ荘関連は本を読み始めたばかりなので、考察じみたことはしたくないけれど、少なくとも彼らがマンガ家として成功したからこそトキワ荘は伝説となり得たわけだ。そして「クトゥルー神話」のごとき世界観は多くの漫画家たちによって共有され、受け継がれてきた。キーワードは東京、貧乏、仲間、夢。まー、ベタなこと。ベタじゃないのは、例えば手塚治虫がトキワ荘に住んでいた頃、彼はすでに長者番付に名を連ねるほどの売れっ子だったという事くらいか(しかも、その事実を記事にした新聞まである)。この感じはちょっと放置。変な妄想はやめて次を読もう。

Posted by Syun Osawa at 13:09

2005年02月05日

スーパー変態ハネムーン 花婿はヘンな人

監督:ビル・プリンプトン/1997年/アニメ

スーパー変態ハネムーンいかにもアメリカのバカ映画って感じですね。たしかにこういう雰囲気の作品は日本じゃなかなか作れないし、たまにインディーズの実写とかでそーいうのを狙って大いに外す作品も目にする。休日に『 ワラッテイイトモ、 』を観に行ったり、サウスパークとかシンプソンズが好きで、将来はとにかく外国に住みたいなんて思ってる眼鏡女史にも好評なのかもしれない。…が! この文章を書いている今、それはこの後に感想を書くであろう『へヴィメタル』を観た直後という事もあってかどうにも薄い印象になってしまった。

エロい部分は『裸のガンを持つ男』程度といった印象で、グロの方はそこそこあったけどこちらは僕の方が好みじゃない(しかも飯食いながら観てたし…)。そして何といっても一番の原因は、こういう作品が餌とするはずの「皮肉」が弱く、その分爆発力が鈍ったからだろうと思う。

作画の部分はおおむね満足。アニメの作画は観客の始点で言わせてもらうとキレイであればよいという事ではなく、乱れていたり下手糞だったりした方が逆に味が出て、作家性も出やすくなる。そのあたりは漫画と同じだと考えている。ただ秒間のコマ数が少なかったのか、たまにカクカクした動きの動画が混ざるのが気になった。秒間6コマくらいで回していたのかな? というよりは、4コマ撮りしてたのかもしれない。

ちなみに監督のビル・プリンプトンは『Your Face』という作品で、1987年度のアカデミー賞短編アニメ部門にノミネートされている。

Posted by Syun Osawa at 11:31

2005年02月04日

リメイクの視線

GolfのCM動画

映画『雨に歌えば』の中で、ジーンケリーが雨にうたれながら歌い、踊ったあの有名なシーンをとっても素敵な方法でリメイクしています。改変された踊りも曲もリメイクの視線がちゃんと今を捉えていて良いです。

Posted by Syun Osawa at 18:14

2005年02月03日

CIAスパイ研修 ある公安調査官の体験記

野田敬生/現代書館

CIAスパイ研修メールマガジン「ESPIO」でおなじみの野田敬生氏が、公安調査庁にいた頃につけていた日記をベースに書かれた本。公安調査庁がCIAにスパイ研修に行っていたという事実に驚かされ、にも関わらず、たいした研修を受けていないという事実に落胆させられた。鈴木邦雄氏が『 公安警察の手口 』の中で同書のことを取り上げ、公安調査庁はもう必要ないというようなことを書いていたが、たしかにこの程度なら必要ないかも。

そもそも「公安」と言っても、公安警察と公安調査庁は別の組織なのだそうだ。怖いのは公安警察。こちらは戦前の特高警察のような匂いを残している。一方、公安調査庁には逮捕権もないらしい(そういう意味でも公安調査庁はCIA的と言えるのだろうけど)。で、そんな公安調査庁で野田氏は語学学校に行かせてもらい、CIAのスパイ研修まで受けさせてもらっているわけだ。とっても将来が嘱望されているじゃないか。にも関わらず彼は今、フリーでジャーナリストをやっている。なぜ? そこが知りたくて読んだ。だけどその点については最後の行に、

…そのとき、私は、その後の自分の運命を知る由もなかった。

と、触れられているだけ。うーん、残念。そんなわけで、本書の内容は野田氏がいかに公安調査庁を去っていったかという顛末記ではなかったので、名前の割にはいたって地味な印象を受けた。CIAが教えるブリーフィングとかを丁寧に書いているので、論理の組み立て方とか、分析のトレーニングとしての教本として作られていたら、もうちょっと違った読み方ができたかもしれないと思った次第。

Posted by Syun Osawa at 20:34

2005年02月01日

Unreal

(1:39s/it/661kb) download
by Arikama

 ありかま氏にとって最後のMOD作品となった曲です。PC付属のスピーカーで聴かれているのならば、すぐにヘッドフォンで聴かれることをオススメします。

 MODでは作曲の事をよく「Compose(組み立てる)」と表現します。そしてTracker(MOD用シーケンサーの総称)のインターフェイスを一度でも見たことのある人ならば、その理由はすぐに理解できるでしょう。そう、この曲はシンセの一音一音が丁寧に織りこまれた、まさに組み立てられてた作品なのです。『Unreal』はテクノというジャンルにおいてその作品性が結実しているのではなく、PCミュージックとして完璧に組み立てられた作品として結実しているのです。おわかりでしょうか?

 僕はたいそうな事を書きつつも、全く理解できていません(;;

 この曲はぜひ ModPlug Tracker で聴いてください。海外のMOD作品や日本のMOD界を席巻したガバ系列の作品群のようにロールを高速回転していません。だから組み立てられた音の流れが手に取るようにわかります。さらにパターンが非常に整理されており、どこでどのような音が鳴っているかを明確に捉えることができます。神経質なほどに管理された「音」には隙がなく、パターンの流れはぼんやり眺めたオルゴールのような美しさがあります。

 僕はTrackerを眺めながら曲を聴くのが好きです。その曲を組み立てた作者の人となりがよく出るからです。例えば、ギターの鳴り響くイントロから、タブラが「ジャララ〜ン」とくるまでの流れ(Pattern 5〜11)などはTrackerで見ると鳥肌ものです。

Posted by Syun Osawa at 23:02