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2005年12月31日

コミックマーケット 69

2005年12月29日−30日/東京国際展示場

コミックマーケット 69ペンタブレットの修理も終わり、気分新たにコミケへ。本日は晴天。今回は事前チェックを怠ったこともあり、自主制作アニメは大学のアニメーション同好会系を大人買いしてみた。自主制作アニメDVDのコレクションが微妙に増えてきた。

読み物系では岡田斗司夫さんの『オタクの迷い道 完全版』以外に目当てにしていたものはなかったが、その場の勢いで『PLANETS Vol.1』と『Natural Color Majestic-12』というオタク関連の批評本を購入。この手の言説はわりと同時代的な気もするので何となく知っておきたから買ったんだけど、オタク批評めいたものを買うのはこの2冊で終わりでいいかな?

その理由は、本田透さんの新刊『しろはた2005』の特別寄稿コラム「何故「メタフィクション」を書くと、小説が書けなくなるのか?」の中にサラッと書かれていて、僕なんかはこっちを完全に指示したいなと思う。本田透さんの隣のブースに東浩紀さんがいて『波状言論 号外』を配っていた。その中で「ぼくたちは動物は肯定しないがそれを生み出した世界は肯定する」という文章を書かれており、僕の中で両者が対になっているような気がした。「踊る阿呆に見る阿呆〜」なんてのがあるが、僕は踊ってる方が楽しいわ。以下戦利品。

岡田斗司夫『オタクの迷い道 完全版』
氷川竜介『毒舌 ロトさんの本 Vol.16』
雑誌の住人『雑誌ノ住人新聞』
東浩紀『波状言論 号外』
第二次惑星開発委員会『PLANETS Vol.1』
ParallelLoop+CutePlus『Natural Color Majestic-12』
本田透『しろはた2005』
menou『夏咲きのまぼろし 三分咲キ版』
早稲田大学アニメーション研究会『2005年度(冬)作品集DVD』
千葉大学アニメーション研修会『technos』
國學院大學アニメーション研究会『2005年度(冬)作品集』
東京大学アニメーション研究会『2005年度(冬)作品集』
東京工科大学漫画アニメーション研究部『2005年度作品集』

企業ブースのノベルティは無料漫画あり、ティッシュあり、カイロあり、手ぬぐいありでバラエティに富んでる(単価計算どうなってんだ?)。ノベルティの中では『Fate/Stay night』のシートがありがたい。一番の驚きはゼロサムの女子人気。ビビッた。

そして2005年も無事に終了。

Posted by Syun Osawa at 00:32

2005年12月29日

あの戦争は何だったのか ― 大人のための歴史教科書

保阪正康/2005年/新潮社/書籍

あの戦争は何だったのかあの戦争は何だったのかは、この本を読んでもわからない。おそらく今後、どれだけ太平洋戦争関連の本を読んだって、たぶん僕にはわからないと思う。とはいえ戦争画の後ろ側で何があったのかを、薄く知っておきたいと思って買ったので、そういう意味では十分な内容だった。考え方の面で冷めてるんだけど冷め過ぎず、熱いんだけど熱過ぎない。その頃合い加減がちょうどいい。

イラクでは連日テロが起きていて、占領軍がその被害を受けている。イラク軍はあっけなく負けたにもかかわらずだ。日本はその逆。玉砕、玉砕で多くの死者を出したのに、占領後は抵抗運動がほとんど起こらなかった。わからない。

福島みずほさんが憲法改正について「日本を戦争をする国に」と言っていて違和感を憶えたことがある。「すべての戦争に反対します!」は正しいけれど正しくないし、「あの戦争は正しかった」もあり得ない。そもそもこの二つは相反してない。このあたりの議論の食い違いが僕にはどうにも上手く捉えることができない(頭の悪さが原因なんだけど…)。わからないことだらけなので低レベルの置き換えをすると、ようするに「ケンカをするな」ということだろうか。

この本で保阪さんは第4章で「負け方」の研究をしている。ここが僕には一番すんなり入ってきた。もしも、あの戦争から学ぶことがあるのだとすれば、「ケンカの終わらせ方」なのかもしれない。

普段はケンカをしない大人しい子が、ひとたびケンカになれば相手が死ぬまでナイフでメッタ刺しにしてしまう。これはケンカを教えられてないからじゃないだろうか。ケンカはしても、それが口論で済むものか、たとえ殴りあったとしても数発で終わるものか、相手が強かったとしても回りに止めてくれる環境があるか、ハッタリでもいいからひと言タンカは切っておくべきか、みたいな駆け引きはいくらでもあると思うし、それを教えることにより被害を最小限に抑える試みもあっていい。そしてそれは、あの戦争を終わらせることができず、最後の最後までグズグズになり、あり得ない数の死者を出してしまったことから学ぶべきだろうと思う。

ちなみに僕の最大の謎は、あの戦争はアメリカと戦っていたはずなのに、某掲示板に巣食う保守系の書き込みの先がいつも韓国と中国に向いているところだったりする。韓国も中国も東南アジアの国々と同様に、当時の日本にとっては開放すべき国だったんじゃないのかな。世の中、わからないことばっか。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 23:04

2005年12月28日

鉄路の彼方

原作・監督・制作:御影たゆた/2006年/日本/アニメ

鉄路の彼方僕はSF耐性がないので、過去・現在・未来モノ(そんなジャンルはない!)に弱い。初老の駅長さんが童貞だった瞬間に、僕は宮沢賢治のピースをどこかに当てはめながら楽しむのかと思っていたがそれもわからず。

結局、時間を行き来する電車の運転席に子供を乗せていたシーンで、東武電鉄のあの一件を思い出すなど、どーでもいいことばかりがフックにかかった。事故が起きたときに運転マニュアルを探すシーンとか。こういうのは鉄道趣味の人が見ると楽しみ方がまた違ってくるのかも。鉄道って奥深いからなぁ…どうなんだろう。

陰影の強い3Dキャラクターと駅と線路しか描かれないシンプルな世界観。配色もシンプルで明快。こういうそぎ落とした世界が、個人制作アニメには合っているのかも。作業効率を高めつつ、特徴も出せて、テーマもしぼりやすい。ショートショートの(もしくは作家性をもたらす個人制作の)あるべき姿なのかもしれない。

…と、上っ面ばかりなぞっておりますが、物語の中心はそんなところじゃあない(当たり前か)。時間軸を使った逆転のトリックによって、未来・過去・現在の自分の有り様が浮き彫りにしている。そして、過去の自分に投げかけられる未来へのメッセージ。これが意図的にそのメッセージは伏せられているんだな。なぜ伏せたんだろう?

Posted by Syun Osawa at 23:32

2005年12月27日

素人と黒人

夏目漱石/短評/1914年1月7日−12日/東京朝日新聞

とても面白い文章なのに、まだ青空文庫には置いてないみたい。短いので僕がPDF化しようかなぁ。素人の僕にはうってつけのカンフル剤です。夏目漱石って熱い文章を書きますねぇ。

玄人(黒人)に関する視線も、素人に対する視線も古くない。今もそのまま当てはまる。

黒人はだいいち人付が好い。愛想がある。気がきいている。交際上手で、相手をそらさない。

これと似たようなことをこれまた宮崎駿さんが インタビュー(ほぼ日刊イトイ新聞)で語っているんですねぇ。不思議です。ニュアンスは少し異なりますが、才能はあっても共通の言葉を持たないとプロとしてはやっていけないというようなことを話されています。

そこから展開も両者は似てます。宮崎さんはそうであっても「アニメーションは一人からでも始められる」と続けるわけですね。夏目漱石さんも以下のように語っています。

素人が偉くって黒人がつまらない。ちょっと聞くと不可解なパラドックスではあるが、そういう見地から一般の歴史を眺めてみると、これはむしろ当然のようでもある。昔から大きな芸術家は守成者であるよりも多くの創業者である。創業者である以上、その人は黒人でなくって素人でなければならない。人の立てた門を潜るのでなくって、自分が新しく門を立てる以上、純然たる素人でなければならないのである。

こういう文章は好き嫌いがあるかも。そしてそれは宮崎駿さんが好きか嫌いかみたいなところとも絡んでそうな気がする。宮崎駿オタの妄言。

Posted by Syun Osawa at 23:12

2005年12月26日

マリといた夏

監督・脚本:イ・ソンガン/2002年/韓国/アニメ

マリといた夏韓国人のノスタルジー感覚って日本とホント似てる。田舎の小学生の描き方からしてそう。ランドセルだし、学校も教室も日本みたいだし、銭湯もある。漁港の雰囲気も。ただ韓国の場合は受験戦争が日本の比ではないらしく、この作品でも主人公の友だちが受験のためにソウルへ旅立つまでの様子を描いている。

最初の方はスタンド・バイ・ミーよろしく、しみったれた内容になるのかと思ってウトウトしながら見てた(バックミュージックもほとんどないし…)。ところがマリが登場したあたりから一気にファンタジーな展開になって、目が覚めた。思い出の中に存在した少女・マリ。白い夢の世界に現れたマリ。これがぜんぜん可愛くない。この瞬間、僕はこの作品が素晴らしいということを結論付けた。子供の頃に見た夢は『千と千尋の神隠し』よりもフワフワとしていて儚げ。

かくかくしかじかと少年達の淡い物語が展開された後、頭のいいスギは小学生のときにソウルへ旅立つ。残された主人公のナムもやがてソウルでサラリーマンになる。頭のいい悪いに関係なく結局はみんな田舎を出ていくのだ。そして故郷を思いながら、変わってしまった自分を再認識する。どこにでもある話。僕の話でもある。

なお、本作品は画面が特徴的で、動画部分のキャラクターには輪郭の主線が存在せず、ペタッとした着色がなされている。そのため普通のセルアニメよりも柔らかい印象を受ける。さらに背景も児童用ポスターのようにボッテリしていて、雲も綿菓子みたい。ハッキリクッキリのの背景がこれまた暖かい。韓国アニメも侮れないねー。

Posted by Syun Osawa at 23:23

2005年12月25日

Ergo Proxyの主人公はエイミー・リーか?

Ergo Proxy のフルPV楽画喜堂]を見て、気持ち踊る今日このごろ。主人公のキャラクターがモロにエヴァネッセンスのエイミー・リーな時点でスイッチが入りました。来年も楽しみなアニメがたくさんありますなぁ。

楽しみと言えばNinjai Gangが クリスマスカードアニメ をちょろっと公開してますけど、彼らはもうアニメ制作はやってないんだろうか…。FLASHを使ったアニメーション制作では他の追随を許さない技術を持っているわけで、あの技術を絶やすのは実にもったいない話です。

とはいえ、ネットの方でも商業アニメの無料ブロードバンド配信が花盛りで、GyaOYahooBB のアニメだけでも相当な数がある。『 エウレカセブン 』全話公開も始まったり、GONZOの新作があったり、またShowtimeでもProductionI.Gの『 KOF 』が始まったりと、これまでFLASHアニメの担っていた役割はもしかしたら2005年で終わるのかも。もちろん これくらい面白いパロディ は残るんでしょうけれど。そういう意味では来年は変化の年かもしれません。

今日は村主章枝さんの高速スピンが見れて満足。そして涙です。

Posted by Syun Osawa at 23:27

2005年12月24日

ベトナム近代絵画展

2005年11月5日−12月11日/東京ステーションギャラリー

ベトナム近代絵画展久しぶりに美術館の帰りに図録を買った。ベトナムの近代化の渦に飲み込まれながらも、時代を見つめ、自分を見つめ、絵に打ち込んでいる画家たちの姿がビシビシ伝わってきたから。

今回展示されていた作品群は、第二次世界大戦中からベトナム戦争後までに描かれた作品が中心。そのため描かれた半分くらいは、戦争画であったり、ホー・チミン(ホーおじさん)の絵だったりする。第二次世界大戦の頃は日本からも従軍画家が大量に派遣された時期で、年譜を見ると1940年あたりから日本と仏印で交流があったようだ。終戦までの間、両国間で展覧会が開催されており、伊原宇三郎さんが絵画活動についての講演なども行なったりもしたみたい。彼らが描いた戦争画の立場と、戦前に日本の画家が描いた戦争画の立場は、当時闘う敵を同じにするという意味で実は同じ立場だったようだ。ところが、戦後の捉えられ方について、両者の評価は正反対になる。これはとても謎だ。

展示ブースに入場して最初に目に飛び込んできたのは、グエン・ド・クン《射撃訓練をするハノイのゲリラたち》(1947年)という作品。ゲリラの側から描いた戦争画なんて初めて見た。次にチャン・ヴァン・カン《湾岸地域の女性兵士》(1960年)とレ・フイ・ホア《協同組合の女性主任》(1970年)という作品。前者は女性兵士を描いている。後者は左手で子どもに乳をやりながらベンチで寝そべる女性が中心にいて、その傍らにはライフルが立てかけられている。いずれの絵も女性が戦場で戦っている事実を強い態度で描いている。今のところ、日本の戦争画でこのような作品を僕は知らない。

さらにファン・ケ・アン《タイバックの夕べの思い出》(1955年)は金を光の照りにあしらった美しい山脈の風景画。一番手前の山頂をゲリラの一隊が裸足で歩いており、中には少年兵士の姿もある。そして、チャン・チュン・ティン《少女と銃》(1972年)では少女が銃を持っている姿が、激しいタッチで仏字新聞の上に描かれていた。

ほかにも列挙したい絵はたくさんあるけれど、その前に図録を読んで勉強しないとわからんことが多い。あと、彼らが勝ちとった国家が社会主義の国家だということも注目したい。ベトナムの近代絵画を日本の戦前の前衛美術とかプロレタリア絵画と比べたときに、何が見えてくるのか? ちょっと興味がある。プロレタリア絵画に関してもほとんど見たことがないので、どんなものかもよくわかっていないんだけど…。

藤田嗣治関連のエピソード。《ヴィンモック村》(1958年)を描いたフィン・ヴァン・ドゥアンさんはパリに留学していた時、授業を見学に来た藤田さんに描写力を認められたのだそうだ。そしてドゥアンさんは帰国後、ベトナム美術協会創立者の一人となった。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 23:29

2005年12月23日

長靴をはいた猫

監督:矢吹公郎/1969年/日本/アニメ

長靴をはいた猫作画監督に森康二、原画に大塚康生さん、宮崎駿さんのクレジットもある。大塚康生さんが アニメージュ文庫版の「あとがきにかえて」 に書かれているように、ディズニーっぽさが至る所に見え隠れしてる。ペロという可愛らしいネコ剣士を筆頭に、ライバルの悪ネコ三銃士、ネズミ軍団など、豊かな表情と動きでキャラクターの存在価値がググッと高められていて、この頃のアニメ業界には今とはちょっとちがう視線の先があったのかなと思う。

スタッフの豪華な顔ぶれとは裏腹に内容的にはツッコミどころ満載。というのも、この物語の最初の転び方が、ローザ姫が「世界一の金持ちを婿にします」と募集し、その募集に魔王が応募したことから始まっているからだ。ローザ姫は魔王を見るなり「死んでも嫌!」と無碍(むげ)な断り方をする。怒った魔王は三日後の晩に強制的にローザ姫を嫁に貰うことを宣言する。この時点で妙な感じが漂ってますね(どっちもどっちじゃん…)。

主人公は百姓の三男、ピエール。金に汚い二人の兄に追い出され宿無しにされる。友人のペロ(猫)がその不遇を救うために、ちょうど婿を募集していたローザ姫の逆玉にするための工作を始める(これもセコい…)。

この展開もかなり妙なんですけど、僕が一番気になったのは、この国の王族がやたら「貧乏臭い」こと。基本的に城の中でも王様と姫しか出てこない。外出する際にも、付き人はたった3人。だから世界一の金持ちを婿にしたいと考えると筋は通りますがw

ところが、魔王との対決の場面で、ローザ姫は「お金はいらない、ピエールと一緒になりたい」と言い始める。…いやいやいやいや。魔王もダメだけど、ピエールも完全にダメだろ。だって彼、最初はペロと組んで自分が金持ちの息子であるかのように振舞ってた嘘つき男だよ? しかも逆玉狙い(さらに貧乏)。僕がお父さんなら認めんぞ絶対。

…子どものためのマンガ映画に、いい歳したおっさんが茶々入れするほど気持ち悪いことはないので、このへんで。

そういう不思議な物語の展開はさておき、背景画は暖かくて好きです。夜の描き方はやっぱり青色を使った偽の闇がしっくりくる。あと動きも。癖がないというのか、カメラワークなんかも絡めた過剰な演出もなく、シンプルに空間を動きだけで描き出している感じがする。

Posted by Syun Osawa at 23:22

2005年12月22日

ギャラリーガイド 近代日本美術のあゆみ

市川政憲、古田亮ほか/東京国立近代美術館/図録

ギャラリーガイド 近代日本美術のあゆみこういうお手軽な図録がもっとあったらいいのに! フルカラー&A5変形判なので通勤時にも読めるし、何と言っても800円(安い!)。

明治からの日本の近代美術の流れを東京国立近代美術館所蔵の絵を中心に解説しているガイドブック。所蔵品が豪華なので紹介されている絵も有名なものばっか。本をサラリと眺めると、明治以降、日本の絵画が海外の新潮流の影響を受けていく様や、戦後に至っては現代のコンセプチュアルなアートの波に飲み込まれてゆっくりご臨終していく姿がハッキリ見えてくる。

解説文からしてそう。明治の絵は写実的な絵が多く、時代性が反映しているので解説文も明瞭。それが戦後、絵も抽象的なら解説文も抽象的になってくる。見ている僕はコンセプトを見ているのか、絵を見ているのかわからなくなる。そこは「感じろ」なのかもしれないが、そこの域には達したくない(達せられない)。

ちょっとだけ引用。まずは1970年代以降。

反復するパターン純然たる幾何学的な敬称のなかに、あらためてイメージや意味の起源がもとめられ、そこに、近くや連想や記憶といった私達の内なる過程への糸口が見出されるなかで、絵画空間が蘇生し、彫刻が再起動し始めたのです。

で、1980年代以後。

「ネオ・ジオ(新しい幾何学的抽象)」「新しいコンセプチュアリズム」等の新潮流が、マスコミの後押しを受けて次々に並立した80年代半ばには、折からのポスト・モダン論議とも連動しながら、“新しさの終焉”や“独創性の消滅”が時代の合言葉となり、新様式の創出や展開ではなく、その消費や再使用といった言い回しが好まれるようにすらなったのです。――歴史が1本の道筋でなければならない理由はとりあえずありませんが、とはいえ、歴史のパースペクティブが失われると、同時代美術(contemporary art)を支える同時代性の観念そのもの、つまり物の作り手をも受け手をも含めて、自分たちが一時代の価値観なり問題意識を大なり小なり共有しているという意識が後退し、ひいては展覧会や美術館といった共通の土俵の存立や、その有効性が危うくなってくることは確かでしょう。

ガイドブックの最後の方で、こう書かれているわけでからw

そんな切ない話はさておき、アジアのキュビズム展 を見に行った時に立ち寄った常設展の中では、竹内栖鳳《飼われたる猿と兎》は最高だった。竹内栖鳳つったら京都を中心に活躍した日本画家。京都にいたときは全然興味が無かったのに、最近俄然興味ある。下村観山とか菱田春草とか横山大観とかの日本画もドカーンとあるんだけど、竹内栖鳳の絵だけは僕の中でしっくりきてしまう。これあ同郷人に通じる何かなのだろうか。だとしたらちょっと嬉しいぞ。

Posted by Syun Osawa at 23:14

2005年12月21日

FINAL FANTASY ― ファイナルファンタジー

監督:坂口博信/2001年/日米合作/アニメ

FINAL FANTASYあるCG屋さんが「この映画の失敗のせいで、CG業界の単価が下がった」と言っていた。B系であることは、公開前から噂されていて、その通りに失速した映画なので、それをことさら追求してもしょうがない。

ババ抜きで言ったらこの映画はまさしくババ。だから必要ないという意味じゃなく、誰かがこのババを引かなければ終わらなかったゲームなんだと思いたい。だってこの後は 『 アップルシード 』のような安定した方向へシフトするわけで、スクウェアがあえて人柱になったと思えば歴史的には評価されるべき作品なのかもしれないし。

そもそもこの映画の不幸は「全編フルCG」というただでさえ高いハードルを、面倒臭い世界観でさらにハードルを上げちゃったことにあったんだと思う。

僕ならこうする。冒頭の20分はひたすらヒロインのエロシーン。CGでも人間は勃起できるんだということを存分に見せつける。そこから怒涛のエイリアンの侵略場面。「ガイア」とか「8番目の生命体」とかどーでもいいんですよ。そんな『エヴァンゲリオン』みたいな要素も、『アキラ』のSOLみたいな武器もいらん。地球がエイリアンによって壊滅状態に追い込まれる。その危機を救うべく、元空軍のアメリカ大統領が宇宙船に乗り込み宇宙へ飛び立つ。これだけで十分です(え?)。

実はこの映画は、DVD特典の製作過程とコメンタリー(本編を観ながら監督が延々制作の裏話を語る)が一番面白かったりする。制作期間の4年間の間に技術が進歩してしまって、4年前に作った最初の映像が最後の映像に比べてトーンダウンしてしまうので、それをさらに調整したことなど妙な苦労話を披露していた。

CGアニメは土台部分の技術革新を繰り返していたんではいつまでたっても見る側のベースが固定されないし、どこかで漫画技法みたいに安定軌道に載せないといつまでたってもエンターテイメントにはならないと思う。そういう意味ではディズニーやPIXERのCGアニメはレンダリングも含めて正しい方向性のようにも思えなくもない。日本は圧倒的にセルシェードが強そう。

Posted by Syun Osawa at 23:09

2005年12月20日

常設展「1920年代の東京/1960年代以降の美術」

2005年9月16日−12月18日/東京都現代美術館

常設展「1920年代の東京/1960年代以降の美術」正方形の会場の壁面それぞれに貼られたデカい4枚の絵。サム・フランシス《無題》は最強。抽象画ってほとんど見ないこともあり「ジャクソン・ポラック展」以来の新鮮な衝撃を受けてしまった。ノイズがかった鮮やかな色の線がダイナミックに走ってる。やっぱ絵はデカけりゃいいんだわ。

その部屋を抜けると、雰囲気が一転。1920年代の東京を描いた絵がずーっとつづく。前川千帆《ベビーゴルフ》という作品に描かれているゴルフは、今で言うパットパットゴルフ。あんな地味な遊びが1931年にはすでにあったとは。

さらに進むと、戦争画関連でファンになった清水登之さんの作品《カフェ》(1925年)と《水平のいるカフェ》(1926年)が飾ってあった。そしてその隣には国吉康生さんの作品があった。国吉さんは藤田嗣治さんが戦後アメリカに渡って展覧会を開催しようとしたとき、力づくで展覧会を阻止した人。彼は戦中、アメリカで作家活動を続けており日本の軍部には批判的だった。戦争画を描いた人と戦争画に反対した人が隣同士に並んでいる。そのように見られるべき意図があっての陳列かどうかは不明。僕はどちらの作品も好き。

そのほか、石垣栄太郎、東郷青児、岡本唐貴といった著名な近代画家の作品群が続いた後、東京都現代美術館の本尊ともいえる「現代美術」のルームへ。こうなると僕にはもうわからない。白いキャンバスとか、木の棒とか。1900年代初頭の抽象画のようなゴツゴツした感じもなく、洗練されすぎて僕の頭はエラーを起こす。高柳恵里さんの「しぼった雑巾」4種(…と大沢が勝手に命名)のような作品などは、僕の足りない頭は台所用品としてしか想像力を喚起してくれない。高尚な作品は高尚な人たちが楽しむもんで、階級社会に生きる僕は「下層階級だもの、わかった風に思って何になる? 下手に背伸びなんかしないで自分の身の丈に合った絵を楽しむがいいさ」とつぶやきながら美術館を後にした。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 23:42

2005年12月19日

文展と芸術

夏目漱石/第6回文展評/明治45年10月15日−28日/東京朝日新聞

夏目漱石がたった一度だけ書いた美術評論らしい。かの有名な「芸術は自己の表現に始まって、自己の表現に終わるものである。」から始まる文章。実際には冒頭でこの一文を書いた後、それ自体を否定したり肯定したりしながら文章は展開していく。

美術評論と言っても、凡人には理解できないような哲学的で頭の良い文章ではなく、文展を友達と見にいったときの体験にそって、巡回した室内の様子をエッセイ風に書いている。そして、文章の大半が絵に向けられる批評や賞という名の権威そのものに向けられている。お前らの批評が何ぼのもんじゃ、権威なんて芸術にとって何のメリットもないんじゃ! そういうのは銭と名声のためでしかないんじゃ! と、夏目さんは言っているわけですね(批評についてはもう一歩踏み込んで話を進めてます)。

また、この文章から、当時の洋画壇の立場が読み取れる。

今の西洋画家は日本画家に比べてはるかに不利益の地位に立っている。彼らの多数は隣合せの文士と同じく、安らかにその日その日を送る糧すらも社会から供給されていない。彼らの政策の大部分は貨幣と交換されるべき市場に姿を現わす機会に会うあてもなく、永久に画室の塵の中に葬り去られるのである。

なぜ戦争画に西洋画が多いのかという事について、多くの著書でこの時代背景を指摘していました。でも夏目は彼らに優しいんです。

これほど窮迫の境遇におりながら、なおかつ執念深くパレットを握っているものはよほど勇猛な芸術家でなければならない。自分はこの意味において深く今日の西洋画家を尊敬するのである。

夏目漱石は熱い人なんですね。しかも、少しも権威的なところがない。自分が書いた批評に対しても以下のように締めくくっています。

審査の結果によると、自分の口を極めて罵った日本画が二等賞を得ている。自分の大いに誉めた西洋画もまた二等賞を取っている。してみると、自分は画が解るようでもある。また解らないようでもある。それを逆にいうと、審査員は画が解らないようでもある。また解るようでもある。

村田喜代子さんが『名文を書かない文章講座』の中で似たようなことを書いてたことを思い出しました。達観した人達の言葉は凄いですね。

Posted by Syun Osawa at 23:15

2005年12月18日

アニメーションノートとか押井守とか

タブレットが2週間ほど使えない。あー。

アニメーションノート

最近創刊された『アニメーションノート』(誠文堂新光社)の特集号が「How to アニメーション」だったので佐藤秀峰短編集といっしょに購入。まだパラパラとしか見てませんが、予想していた以上に勉強になりそうな情報がつまっております。新海さんを始め、コミックスウェーブ関係では「カクレンボ」も「ネガドン」も取り上げられていますし、アニメスタジオでの3Dと2Dの融合とか背景美術など、シンプルなフローチャートも含め、バランスよくアニメ制作のネタが取り上げられている。アニメの現場の今を見れるのも嬉しい。

ただ、このままいくとすぐにネタ切れ&頓挫するような気が…。もしくは、制作者無視のサブカル雑誌や学校宣伝の提灯雑誌になる可能性も大です。とりあえず創刊号は自主制作アニメを「プチクリ」してる人ならば、チェックしても損はないんじゃないかと思います。

早稲田文学のフリーペーパー

というような本を買っていると、『 早稲田文学 』がフリーペーパーになってた。R25より確実に面白いけど、こちらも『アニメーションノート』同様に先行きが危うい代物(そういう意味でもレアかも)。大塚英志さんの連載が「戦時下」から「翼賛下」になってて笑った。こういう人ってたぶん本当に翼賛下の時代になったら真っ先に転向しそう。本当に危機感ある人は太らない。僕の脳内定説。いずれにせよ、「まんたん」「マントラ」「アニカン」「bounce」「FILT」に加えて無料購読紙がまた一つ増えた。貧乏人には嬉しい限り。

押井守「立喰師列伝」の参考文献

あと、押井守さんのサイトで公開されている 立喰師列伝、幻の企画書 の最後に掲載されている参考文献って、検索しても一つも引っかからない。つまりこれも幻…上手いですね。

Posted by Syun Osawa at 23:46

2005年12月17日

週刊アニメ雑感 2005.12.17

素敵なアニメってたくさんあるねぇ…。見ようと思って放置している動画がどんどん増えていく。アニメ作る人はやっぱし多いですよ。

クリスマスカード 2005年

(flash/3.14mb) web
by B&T

純粋なFLASH作品で凄いのを見ようと思ったら、どうしても中国産が多くなってしまうのは、学校単位でFLASHやってるからなのかも。それにしてもB&Tは凄い腕前ですねぇ。背景の美しさとアニメーションの技術向上を同時にやってるのが何より凄い。早くNirvanaの本編公開してほしいなぁ。

Ronald Grandpey Music Video

(mov/03:32/22.6mb) web
by Ronald Grandpey

鳥肌立った。やるね。こういう気合入ったヤツ大好き。やっぱ手描きのモノクロってのは心震えるものがあります。3D全盛世の中ですが、アナログレコードが残ったように間違いなく手描きアニメーションは残って欲しいなぁ。

The Microwave

(mov/04:09s/51.4mb) web
by EESA

2D絵が3Dになったり、その逆になったりしながら、限られた空間の中を所狭しと動き回るドタバタもの。技法で遊んでいるところが、かつての漫画を連想させますねぇ。漫画でも昔の作品ではコマとコマのつなぎ目が折れたり、コマの右下がめくれて作者が出てくるような作品があったし、そういうところで遊べる楽しさを3Dはまだまだ秘めているという事かな。最近こういうの作るのがとっても大変だと知ったので、とにかく頭が下がります。『ET』のパロディがあったりで作品の雰囲気も好きだけど、ラストはブラックかも。

Tiempos Mejores

(avi/03:29s/21.1mb) web
by Alejandro Glez / Spain

3Dの世界は今や何でも擬人化ですね。本作はプールに置かれたレスキュー用の浮き輪を擬人化(マニアック過ぎ!)。演出が素敵です。目の動きだけで画面の外側に物語があるようにしたり、シンプルな画面の置き換えなのにその転換が冴えてます。

Robot Ate My Homework

(mov/02:16s/5.94mb) web
by Mark Shirra

Vancouver Film Schoolという3D学校の作品。3Dアニメ作家さんってとにかくキャラが個性的。キャラデザインに命かけてるやろうね。オチが妙にアメリカンショートショートっぽい。

感動! みんな大好き

(flash/6.07mb) web
by 中華窓アニメネット

昔の歴史画がそのまま現実の記録とはならないように、FLASHに映し出されているものがそのまま中国の姿でないことはわかっている。それでもなお、そういったものが透けて見えるこの作品。貧富の差が都会のそれと絡み合っている。ラストの絵が象徴的。

日本でも、今年のDoGAコンテスト でグランプリを獲った木霊さんの『MY HOME』も対比という面では近い世界を描いている。『MY HOME』と比べれば技術的には劣るのだろうが、社会がよく描けている。こういう『同棲時代』みたいな社会の描き方は今の日本にはあまりなくて、ちょっぴり感傷的な気分に。良作です。

愛情的寛容《別人》

(flash/6.14mb) web
by 夢

韓国の音楽を中国人がミュージックビデオ化したということですかね。絵は新本格系の美少女路線。この手の絵の場合は、商業エロゲでも動画を重ねることは少ないのに、わりとよく動いていて関心。しかもベタながら物語がしっかりしてる。中国人のメロドラマ大好きの感性と、この手の絵の親和性は日本の泣きゲー以上に高いのかも。人形が雪に埋もれるシーンの絵は演出含め印象的。

taken

(flash) web
by Adam Phillips

FLASHも演出も上手い! さすがはAdam Phillipsです。この人は向上心が作品にあらわれていて、斜めからの立体的な映像作りとか鏡に映るテレビとか、その後で揺れる木々などをシンプルな動きで表現してる。凄いなぁ。

あかいつき

(wmv/04:52/24.5mb) web
by Splingboard

立体造形作家の小川アリカさんを中心としたアニメーションユニットの作品。こういう作品を見ると、クレイとCGの親和性はたしかに悪くない。技法だけに注目するならば青池良輔さんの『ペレストロイカ』の方に先進性を見つけるが、こういう安定したフォーマットの上で、物語をしっかりと熟成させるというのもインディーズアニメが大事な要素かも。ラストに降ってくるのは灰かな? 核実験の灰が降ってくるような展開かと思ってドキドキした。

打ち水大作戦プロモーションビデオ

(wmv/02:36/16.4mb) web
by Studio 4℃

スタジオ4℃っていろんな仕事してるのね。さすがに背景美術などは学ぶところばっかり。ちなみにこのプロモーションビデオは何人で、どのくらいの期間かけて作ってるんだろう。1週間とかかな…。

少年楊家将 予告編

(flash/18.9mb) web
by 商宿動画

FLASHを使ったテレビアニメっぽい作品(その頂点がNinjaiと仮定)だけをチェックしていると、どうしても中国の作品が多くなってしまう。エンドーロールのクレジットを見ると、この作品もかなりの人数をかけて制作しているようで、背景には間違いなく映像学校があるんでしょう。作品の中の背景画で、飛鳥動画かなんかの作品で見たことあるものがあってちょっと気になった。背景画をデーターベース化しているとかだったら、それはそれでちょっと面白い試みかもしれない。

特別!約束の地方

(flash/) web
by 謝天笑&冷血動物

中国産FLASHの凄いところはこのクオリティの作品が常時公開されているところだ。このレベルまで達してしまうと、日本アニメーション協会系列のアニメ作家もそうそう無視できないでしょう。FLASH特有の多間接アニメを駆使して、平坦な世界を上下左右に動かしながら躍動感のある画面を作っている。キャラクターも良い。さらに無視できないのが、泡の表現など細かなところではちゃんとコマアニメの技法が用いられている点だ。FLASHに限れば、中国産FLASHは学ぶところが多いです。

Public Symphony「Stronger」

(mov/03;44s/9.37mb) web
by Thcodorc Ushev

曲にあっているかはともかくとして、アニメを使用したミュージッククリップは一見さんであっても最後まで見させてしまう力がある。この映像は針金人間を使用したシンプルな作品ながら、その針金人間がセンスよくキャラクターの造形に収まっていて可愛らしい。ラストの落としどころもなかなかシュッとしていて、好きな感じ。

隠れる身[鄭蕭]

(flash/4.54mb) web
by 魏鈞

カメラアングルがすごいことになってる。広角レンズ(魚眼レンズ?)を買ってビデオに撮りまくったものを元に作画したんだろうか。中国のこれ系のMTVって見事なくらいに紙芝居が多いので、今回はドあたまからガツガツに動いていて感心した。女の子のツンとした感じがいいです。制服も髪型も、男の子のイケメン像も、みんな日本と変わらない。何でこんなに変わらないのに言葉だけが違うんだろ? 3Dじゃない…よね?

Posted by Syun Osawa at 23:44

2005年12月16日

トムとジェリー アカデミー・コレクション

監督:ウィリアム・ハンナ(1940-58年)、監督:ジョセフ・バーベラ(1940-58年)、ジーン・ダイチ(1960-62年)、チャック・ジョーンズ(1963-67年)/オムニバス作品/アメリカ/アニメ

トムとジェリー アカデミー・コレクショントムとジェリーって何気に凄い。動きがダイナミックでアニメーションの根源的なものを教えてくれる。そーいや少し前に古本屋で買った『SFアニメファンタジー』(1978年/新書館)の特集「世界アニメ映画ベストワン」の中で、森卓也さんもTOP5に選んでた(ただし1941−1956年のTVシリーズ)。

本作品は、そんな優れた作品群の中からアカデミー賞を受賞したりノミネートされた作品だけを集めたオムニバス。だからアニメーションのクオリティもさることながら、物語の出来もいいんだと思う。シリーズ全体を見ているわけではないので、何とも言えませんが…。

トムとジェリーは某アニメ上映会でよく見ているとはいえ、一度にこれだけの作品を見るのは初めて。通してみると、意外にも作品によって毛色が違うことに気づく。トムとジェリーの二人の関係に絞ったアニメーションもあれば、キャラクター性だけが先行して劇中劇のようなスタイルになったもの、新キャラが毎度登場するものなど様々。見た目で言うと「上には上がある」という作品などは、トムもジェリーも顔が全然違うし、個々のキャラクターの動きが洗練されていなくて驚いた。『キネマ旬報』増刊4・28(1948年/キネマ旬報社)を見ると、どうやら1940年にこの作品で初めてアカデミー賞にノミネートされたみたい。

アニメーションの技法に目をやると、こちらはディズニーアニメと似ていて、キャラクターの移動域は、上下、左右に長く、前後は10メートルくらい。いわゆる劇場型のカメラワーク。暇人なのでコマ送りで見てみると、わりとパターン化された動きという感じもした。ビックリした時の眼の飛び出すアクションなんかも含め、キャラクター性を動きで浮かび上がらせることに努力しているのが見える。あとコマ数の多さは尋常じゃない。見ているだけで気持ち悪くなります。よくもまぁこんなに描くもんだ。ディズニーに追いつけ、追い越せで頑張っていたのでしょうね。

トムとジェリーは子供向けのアニメのわりに残酷なシーンが多く、トムはよくジェリーに尻尾を切られるし、トムはトムでジェリーに向って鉄砲撃ちまくる。『ワルツの王様』という作品では、なんとトムは主人にギロチンをかけられて殺されて終わる。怪我しても、殺されても、次のシーンでは何もなかったように元気に復活してる。

テレビではたまに「今の子供はバーチャルリアリティーと現実世界を混同していて、スイッチを切ればうんぬんかんぬん」みたいなアホなことを言う人がいますが、トムとジェリーではそれが芸風になってる。しかもそれが1930年代のアニメとして消費されているわけです。バーチャルリアリティーというよりは、こういうアメリカ文化が日本に流入した結果と見るのが正解かもしらん。

【アカデミー賞受賞作品】
1.勝利は我に(The Yankee Doodle Mouse)(劇場公開時:星条旗よ永遠にの巻)
2.ネズミとり必勝法(Mouse Trouble)(劇場公開時:ねずみ取り虎の巻)
3.ただいまお昼寝中(Quiet Please)
4.ピアノ・コンサート(The Cat Concerto)(劇場公開時:猫の演奏会)
5.台所戦争(The Little Orphan)(劇場公開時:食いしん坊の仔鼠)
6.パーティ荒し(The Two Mousketers)(劇場公開時:鼠の二銃士)
7.ワルツの王様(Johann Mouse)(劇場公開時:猫の宮廷音楽会)

【アカデミー賞ノミネート作品】
8.上には上がある(Puss Gets The Boot)
9.メリー・クリスマス(The Night Before Christmas)(劇場公開時:トムとジェリーのクリスマスイブ)
10.あべこべ物語(Dr.Jekyll And Mr.Mouse)(劇場公開時:鼠のハイド氏)
11.いたずらきつつき(hatch up your troubles)
12.ごきげんないとこ(Jerry's Cousin)(劇場公開時:チュー太武勇伝)
13.武士道はつらい(Touche、Pussy Cat!)(劇場公開時:剣豪ジェリー)

<特典>収録時間:(約8分)
Worry Song「錨を上げて」より

Posted by Syun Osawa at 23:27

ペンタブレットの寿命

ペンタブレットのペン部分が突然反応しなくなった。どこも傷ついてないし、マウスも消しゴム部分も反応するのに。ドライバ差し替えても変化しない。もしかして寿命か? うーむ。

Posted by Syun Osawa at 01:51

2005年12月14日

東京府美術館の時代 1926〜1970

2005年9月23日−12月4日/東京都現代美術館

東京府美術館の時代 1926〜19701926年から1970年という時代設定ながら、戦争関連はほぼ無し。戦争画に至ってはその影すらなかった。残念。

東京府美術館(現・東京都美術館)時代の匂いを感じながら、中村不折《裸体習作》や浅井忠《伝通院》などを見つつ歩いていると、竹内栖鳳《蹴合》がデーンとあった。竹内ファンにはたまらない一品。特に右側の鳥のグイッと伸ばされた首の感じが良いです。

展示ブースの中ほどで、1940年に開催された「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」の作品が展示されていた。この当時は大画面の戦争画が数多く制作された時期にもあたり、アメリカの現代美術の影響があったかどうかは知りませんが、とにかく絵がデカくなる。凶暴なトラを左右に配置させた竹内栖鳳《雄風》もデカい。そのほかにも松本俊介《街にて》や人形では6人のふんどし姿の子供たちが可愛い高浜かの子《騎馬戦》などもあった。たしか松本俊介はこのあと「生きている画家」を描くんですな。

ちなみにこの展示会の名前を聞いてピンと来た。先日行った 遊就館「常設展」 にもこの展示会に出品された絵があったからだ。清水多嘉示さんの《重慶夜間爆撃行》という絵で、こちらは完全な戦争画。今回の展示会では戦争に関連するものは綺麗に外されていた。何でだろう?

このブースを終えて、3階に上がると読売新聞が主催していた「読売アンデパンダン展」の出品作がたくさん並んでいた。タイル張りで作られた岡本太郎《太陽の神話》や『 フジタよ眠れ 』『 絵かきが語る近代美術 』の菊畑茂久馬さんの作品《奴隷系図》などがあった。《奴隷系図》は立体で、アボリジニの民族楽器(ジャミロクワイが使ってたヤツ)みたいな長い物体を男女に見立て(片方にはチンチンがついているのでたぶん男女)、神々しく飾られていながら、顔のところには黒いボロ切れかかぶせてある。そしてそんなオドロオドロシい物体のまわりには5円玉が散りばめられていた。菊畑さんの本を読んだ後でこの作品を見ると、神も仏もねぇぜって感じの作者の熱い感情が見え隠れして面白かった。心情的に支持したい作品。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 23:17

日経.ent

という雑誌で小さく紹介されました。
おわりのはじまりのおわりのおわり 』です。感謝。

Posted by Syun Osawa at 23:09

2005年12月13日

森秀樹さんの『墨攻』が映画になるらしい

安聖基とアンディー・ラウ、映画『墨功』で共演

『墨功』って『墨攻』ですよね。記事によると。高校生のときに『ビッグコミック』で連載されていた森秀樹さんの同漫画をむさぼり読んでいた者としては嬉しいかぎり(ホントはアニメがよかったけど…)。それにしても中国の歴史を描いた日本の作品を中国で映画化するというのは何だか不思議な展開です。

Posted by Syun Osawa at 21:54

スポーツ漫画の中のラグビー漫画メモ

GilCrowsのFLA板観測所 さんが「アメフト漫画は成功している」と的確なことを言われていました。そうなんです。アメフト漫画はなぜか昔から成功しているのです。不思議ですね。ヘルメットでキャラの描き分けが制限されるはずなのに。

バスケットボールに目をやると、井上雄彦さんというのはバスケ漫画に新境地を開いた凄い人だと思います(あらためて言うまでもありませんが)。手塚赤塚賞で入選を果たした「楓パープル」では『スラムダンク』ほどの集団スポーツとしてのバスケは描くことができず、1on1にとどまっています。『カメレオンジェイル』収録の読み切りを見ると、その後も何度かバスケットを漫画で表現することについて試行錯誤があり、ようやくスラムダンクに繋がっている。スラムダンクも「不良漫画」で初期の頃は引っ張っています。もちろんバスケ漫画の場合、これまでに何度も成功した漫画(『ダッシュ勝平』など)がありますが、でもちょっと違うんですね。『スラムダンク』以降に描かれたバスケ漫画の多くは井上式のバスケ漫画になっていることに注目したいです。

漫画研究家ではないので突っ込みませんが、とにかくスポーツを漫画で表現するにはそれ相応の技法を確立する必要がある。『キャプテン翼』も高橋式のサッカー漫画です。ラグビーの場合、青春ドラマの代名詞という事もあり『愛と誠』(ながやす巧)などでも最初の方にラグビーは登場します。でもこれらは、スポーツ漫画の捉え方とは違う。

井上雄彦さんのようなやり方でラグビー漫画を描こうとしたものでは、大御所では『ガンバFly high』の菊田洋之さんが『HORIZON』(サンデー/小学館)という作品を、『うっちゃれ五所瓦』のなかいま強さんが『ゲイン』(サンデー/小学館)という作品を描いていますし、池田文春さんの『ノーサイド』(ビジネスジャンプ/集英社)なんかもありました(女性が男子に混じってラグビーをするというトンデモ内容ですけど)。新井英樹も『8月の光』というのを描いています。でも一番は『ラグビーマガジン』でも連載を持っているくじらいいく子さんの『マドンナ』w

また、マガジンで連載していた山下てつおさんの『IDATEN』をコンビニで見かけたときは、いろいろな思いが交錯しました。なぜなら貧乏な少年が兄弟を食べさせる為に万引きし、走って逃げていた時、才能を見初められるという展開だったからです(21世紀なのに)。でも脚力を使った1対1の戦いを軸に試合を描こうとしていて、努力の跡の見える作品でした。

話がとりとめもないので、このあたりで。ちなみに宮下あきらさんの『魁!男塾』(ジャンプ/集英社)にもラグビーは出てきます。そして、これが実はなかなか上手いところをついているように思ったりもするのです。ラグビー漫画ネタはだらだらと続いていきます。

Posted by Syun Osawa at 21:44

2005年12月12日

東京ゴッドファーザーズ

監督・原作・脚本:今敏/マッドハウス/2004年/アニメ

東京ゴッドファーザーズホームレスかなぁ…。生き生きし過ぎてるもんなぁ…。逆に言うとあそこまで生き生きしてたらホームレスやらないよなぁ…。うーん、うーん…(以下、繰り返し)。

場当たり的な展開とか、妙に散漫な感じとか、集中力を欠いた雰囲気はたしかに東京そのもの。僕のような地方出身者から見た東京は、たしかにそんな風に映ってる。同時に新宿にいる大量のホームレスにも毎日出くわすわけだ。寂しげで無気力なホームレス達。

では、今回の映画に描かれたホームレスが彼らかと言われれば、彼らじゃないよなぁ。設定自体はホームレスになる要素を抱えていると思うんだけど、特に家出娘は違うと思う。何でもっとブサイクで誰にも見向きされないようなキャラにしなかったのかなぁ。日本のアニメや漫画の最もダメなところは、女の子が絶対に可愛く描かれてしまうところだと、つくづく思う。それを業界のエライさん達が、あまりにも無自覚に強いていたりするから根が深い。

この映画の場合はどうかは知らんが、あのビジュアルで家出してホームレスにはならんよ。どんなに傷ついていても自分をちゃんと知ってるはずだし。『トラフィック』のエリカ・クリステンセンみたいにボロボロになっていくんではと思う。

ライトな雰囲気の物語の中で、不自然に人と人が繋がっていく感じは、往年の日本映画を思わせる。暖かさみたいなやつ。僕などは冷えた東京しか知らないから、それが本当にあるのかないのかさえわからない。

過剰な演技は2Dアニメの良さが出ていて、気持ちよかった。声優さんも素敵。特に岡本綾さんはビオレのCMの時から少しも変わってない(関係ないです)。

それはさておき、映画を見終わって僕に何やらの意見があるとすれば、3人のホームレスが社会復帰したわけでも、何か大切なものを得たわけでもないところが、どうにも楽しくない。もう一つ。彼らはホームレスでありながら、都会の人達(家族や友人含め)とちゃんと繋がっていて、逆に同種のホームレスとはそれほど繋がっていない。彼らはあの後、どこへ帰って行ったのだろうか。

Posted by Syun Osawa at 23:12

2005年12月10日

藤田嗣治 ―「異邦人」の生涯

近藤史人/講談社/書籍

藤田嗣治 「異邦人」の生涯藤田嗣治さんは戦争画に関係した本の中でたびたび登場する。断片的なところでいろいろ語られているものが、この本で一つにまとまったという感じ。著者がNHKのプロデューサーという事もあってか、全体的にバランスが良い。特に晩年の藤田嗣治を書いた後半は、彼の人間的な振る舞いや誠実さがよく出ていて、胸にくるものがあった。

藤田嗣治さんは戦争画を描いたことの道義的責任を取って日本を追放されるわけですが、その後パリで開かれた彼の展覧会には《ゲルニカ》を描いたピカソもちゃんと見に来るんですね。他にもダリ、コクトー、ブラック、ユトリロ達とも交流が続く。大物ですよ。日本限定の大物ではなく、本物の画家ですね。そんな人がこんなにも人間的で暖かいと思うと嬉しくなるし、その人が戦争画を描いていることも大いに意味がある。僕が戦争画に興味を持っている一番の理由は、なぜ今、戦争画は描かれないのか? ということでもあるので。

この本に対して、ちょっと苦言。この本の核となる「藤田嗣治自身の書き込み」は、夏堀全弘さんというアマチュアの研究者が長年かけて研究した文章を、藤田嗣治さんに送り、その文章に藤田さんが書き込みしたものだ。夏堀さんは原稿を世に出す前に亡くなられたそうな。本書はそんな彼の原稿の藤田嗣治さんの書き込みだけをキレイに抜き出して論を展開している。作り方も上手。でも僕はちょっと嫌だった。大きな資本力と優秀な著者によって、苦労して積み上げられたものが横から上前だけハネられたように映った。

調べてみると、夏堀全弘さんの奥さんが2004年に自費出版で『 藤田嗣治芸術試論−藤田嗣治直話− 』(夏堀全弘/三好企画)という本を出版されているようだ。僕はまだ読んでいないがこちらがそうなのだろう。心情的にはこちらの本こそ読まれるべき本なのではないかという気がする。

本書の後半は、図書館に行って大型本『藤田嗣治画集−素晴らしき乳白色−』(藤田嗣治/講談社)を見ながら読んだ。どの本かは忘れたが戦争画以降の藤田の絵はダメだなんて書かれていたが、そんなことは全然ない。僕はむしろ彼がパリから凱旋した以降、秋田で描いた大壁画からの戦う猫や戦争画、人形のような子供の絵の方が大好きだ。特に晩年の絵は初めて見るものばかりだったので、本を読むのも忘れて画集に見入ってしまった。中でも《アージェ・メカニック(機械の時代)》(1958-59年/パリ市立近代美術館)という絵は、かなり僕好みの作品。

そこで少し気づいたことがある。彼が晩年に描いた「人形のような子供」の絵は奈良美智さんの絵にそっくりだ。特徴を挙げてみる。眉毛がなく、真一文字に口を閉じ、丸みのあるふっくらとした輪郭で、不機嫌そうに視線をそらせている。さらには離れた眼や口鼻のバランスまでとてもよく似ている(あくまで僕の印象ですが)。奈良さんがパクッたとかそういう話をしたいんではなく、海外で成功している日本の画家の特徴なのかもと思った次第。チラシの裏。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 23:17

2005年12月09日

古い漫画

古い漫画

画面が「1024×768」以上の人なら全画面表示(F11)でいい感じに見れます。画面クリックで次ページへ。

「一生懸命がかっこ悪くて〜」の世界。ベタな内容なのに話の展開が超ヘタですw 実は僕はラグビー漫画に長い間執着してまして、ラグビー漫画研究会を作りたいと思ってたりします。なぜならこれまで多くの漫画家がラグビー漫画を描いて失敗してきたからなんですね。一番成功したのがくじらいいく子さんだったりするわけです;

何気に曽田正人さんもあだち充さんも描いてたり、他にもいろいろな漫画家さんが挑戦するも玉砕続きで面白いんですね。…誰か入りません? あと、この人がラグビー漫画描いてます、ってのを知ってる人がいたらぜひ教えてください。

Posted by Syun Osawa at 23:53

2005年12月07日

文芸と道徳

夏目漱石/明治44年8月、大阪にて講演
文芸と道徳(青空文庫/図書カード:No.756)

彼がこの題目で語った時期は、自然主義が勢いを増していて旧来のロマン主義との対立が明確になっている様子。しかも時代はまだまだ「ロマン主義>自然主義」なのだという。しかし時代は変わった。

特に道徳との兼ね合いで、明治以前の道徳をロマンチックな道徳、明治以後の道徳をナチュラリスチックな道徳と名づけ

人間の智識が発達すれば昔のようにロマンチックな道徳を人に強いても、人は誰も躬行(きゅうこう)するものではない。できない相談だという事がよく分って来るからである。これだけでもロマンチックの道徳はすでに廃れたと云わなければならない。

と、時代遅れのロマン主義に追い討ちをかけている。もちろん

物は極まれば通ずとかいう諺(ことわざ)の通り、浪漫主義の道徳が行きづまれば自然主義の道徳がだんだん頭を擡(もた)げ、また自然主義の道徳の弊が顕著になって人心がようやく厭気に襲われるとまた浪漫主義の道徳が反動として起るのは当然の理であります。歴史は過去を繰返すと云うのはここの事にほかならんのですが、厳密な意味でいうと、学理的に考えてもまた実際に徴してみても、一遍過ぎ去ったものはけっして繰返されないのです。

ロマン主義の後には自然主義、その反動でロマン主義、その反動で…と繰り返すことをも予期している。時代はその後、太平洋戦争があって、戦後民主主義があって、そして憲法改正へと続いていく。まさに繰り返し繰り返しですね。でも本当に夏目漱石が言っているように、この繰り返しは螺旋状に上へ上へと上昇軌道に乗っているのだろうか?

あと現在は、エラい先生たちが講演する時は、きまって冒頭に「戦後○○年」と語られる。これに対し、夏目漱石の時代は「明治維新後○○年」とくるのだ。どちらがプラスの要素を持ってるかは明白ですね。だから、戦後○○年はやめて、「万博後○○年」とか「東京オリンピック後○○年」もしくは「憲法発布○○年」なんていう風にした方が何となくテンション上がると思うんですけどね。

Posted by Syun Osawa at 23:36

2005年12月05日

マインドゲーム

監督:湯浅政明/2004年/日本/アニメ

マインドゲーム笑ったなぁ。脚本素晴らしいなぁ。

居酒屋のヤクザとのやり取りですっかりヤられてしまった。「西くんどこにおるんかなぁ? これマル虫やしなぁ〜」とか、その後の「しばくぞ」の「ぞ」のところで殺されるくだりとか、台詞回しがとにかく秀逸。

展開も凄い。最初から最後までひたすらハイテンション。ReCycle!(古っ)で切り刻んだような映像世界と、ひたすら疾走するドライブ感が心地よ過ぎてまいった。山田芳裕級にパースの効いた絵もその勢いを助長している。3Dをミックスさせた背景の回し方とか、押し寄せる波のスピード感とか、どれもこれも素晴らし過ぎ。

特典映像の中で、舞台挨拶に出た島木ジョージさんがこの映画の出演について「町内会で言いまくり」と言ってたのがこれまたツボに。一見オシャレ風(スタジオ4℃だし)な作りのアニメなんだけど、作っている人がみんなモッサいのが、これまたいい(良いトコばっかだな、くそぅ)。監督も愛着なさげだしw

あと、原作者のロビン西さんが「漫画なら勢いで描くから勢いが出るけど、アニメは勢いでは作れないのに、この映画は勢いがある。それが凄い。」と言っていたのが印象に残った。本作のような破壊的なテンションを持った作品を、劇場公開レベルの規模で作品化できる力量は本当に凄いと思う。『 スーパー変態ハネムーン 花婿はヘンな人 』とはやっぱ違うわ。日本のアニメーターは素晴らしい!

Posted by Syun Osawa at 23:06

2005年12月03日

道楽と職業

夏目漱石/明治44年8月、明石にて講演
道楽と職業(青空文庫/図書カード:No.757)

両親に対する言い訳がほしい人にオススメ。引きこもりだ、ニートがどうしたと世間はうるさいですが、このへんの話は平成も明治も変わりません。時勢を語った文章がこんなに普遍的に捉えられるもんかとちょっと関心した。これは夏目漱石が凄いのか、人間が愚かなのか。

職業がどんどん細分化していき、自分の職業以外は何もわからなくなる状況に対しての比喩。

人間が千筋も万筋もある職業線の上のただ一線しか往来しないで済むようになり、また他の線へ移る余裕がなくなるのはつまり吾人の社会的知識が狭く細く切りつめられるので、あたかも自ら好んで不具になると同じ結果だから、大きく云えば現代の文明は完全な人間を日に日に片輪者に打崩しつつ進むのだと評しても差支ないのであります。

上手いこといいますね。差別表現が含まれているので、今はこのように表現されるべきではないと思いますけれど。それにしても明治時代の講演なのに数日前に爺さんが喋ってた内容のようにも感じられて新鮮です。あと、文学についてもサッパリした表現で以下のように語ってました。

がんらい文学上の書物は専門的の述作ではない、多く一般の人間に共通な点について批評なり叙述なり試みた者であるから、職業のいかんにかかわらず、階級のいかんにかかわらず赤裸々の人間を赤裸々に結びつけて、そうしてすべての他の墻壁(しょうへき)を打破する者でありますから、吾人が人間として相互に結びつくためには最も立派でまた最も弊の少ない機関だと思われるのです。

もしかしたら、明治っていい時代だったんじゃないだろうか…。

Posted by Syun Osawa at 23:06

2005年12月02日

ドイツのカルチャー誌『DE:BUG』に-Nの記事が!

DE:BUGフランスの電子音楽祭“qwartz”ノミネート に続いて -N 関連の素敵なネタ。

ドイツの月刊カルチャー誌『DE:BUG』に-Nの記事が掲載されました。この雑誌は wiki情報 によると価格は3ユーロ(約420円)、4万部くらい発行されているらしいです。

-Nの記事が掲載されたページには g_n44f - 120_1 ep のジャケットが映ってます。嬉しいですね。この雑誌の面白いところは古い号からPDF版でオンライン公開しているところです。バックナンバー販売じゃないんですね。公開されているPDFをザザッと眺めてみると、DE:BUG97 にレイハラカミさんなんかも載ってました。

そういう経緯もあり転載可能とのことなので、以下に掲載ページのPDFを置いておきます。ドイツ語なんで、何が書いてあるのかは全然わかりません。紙面レイアウトがシンプルでカッコイイです。僕もこういうオンラインマガジンやりたいなー。

『DE:BUG』に掲載された -N の記事(PDF/142kb)

DE:BUG

Posted by Syun Osawa at 00:31